誰かの心に住むとは、どういうことだろう。
私たちは普段、街の片隅に部屋を借り、家賃や光熱費を払いながら生きている。そこには契約があり、規則があり、期限がある。しかし心という場所は、契約書もなければ保証人もない。にもかかわらず、もっとも厳しく、もっとも高価な“生活費”を要求する。
たとえば信頼。一度の裏切りが、長年の積み立てを水泡に帰す。友情や愛情といった絆も、誠実という通貨で支払い続けなければ維持できない。感謝や思いやりは、いわば家具や食器にあたるものだろう。磨かれず放置されたなら、すぐに錆び、埃をかぶり、居心地を失わせる。
だが、この「心の居住費」には奇妙な性質がある。
それは貨幣のように価値が一定ではないということだ。ある者にとっては、微笑みひとつで充分に支払いが済む。別の者にとっては、どれほど尽くしても家賃滞納と見なされ、立ち退きを迫られる。つまりその価値は、常に相手の感受性や期待に委ねられているのだ。
ゆえに、誰かの心に住むことは、経済合理性を超えた営みである。
私たちは見えない家賃を払い続けながら、いつ退去させられるとも知れぬ不安を抱く。それでも人は誰かの心に住みたがる。孤独という荒野で、たったひとつの居場所を見つけるために。
──もし「誰かの心に住む生活費」を想像するならば、それは貨幣でなく、存在そのものを注ぎ込むことなのだろう。愛し、傷つき、赦し、また求める。その繰り返しこそが、私たちが支払いつづける永遠のコストなのだ。
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急にポエムですか? いいえ。思いつき物語の冒頭です。
とりあえず上記導入と人物設定と1話目は思いつきましたが、書かいたところで公開しないいつものやつなので、供養させておきましょう。そうしましょう。
とりあえず、ギャルは8、9話が仕上がりました。
そして文字数制限の自分ルールは吹き飛びました。
いや、まあ、別ければいいんですけれどね。へへへ。