体調不良→仕事→体調不良→仕事→仕事→仕事のエンドレスによりあっという間に世間から置き去りになり、私は誰?ここはどこ?といった具合になっております。
年末と言う概念が憎い。
そもそも何だ? 年末って。たかだが1年の終わりのくせに何をそんなに我が物顔で大通りを肩で風切って歩いてるんだ?
と言うか、どっかの誰かが1年は12月まで!って無敵バリア的なノリで決めただけで、万が一そいつが「一緒にゴールしようね」って約束を破って本気でマラソン大会を走り切るヤツで、ちょっとズレて15月とかあったら、お前なんかただの12月だかんな。あまり調子にのるなよ。キリストにもそこんとこよく言っとけよ。オメーの脇腹つついた槍のせいで色んな災害起こっからって。だいたい救うより滅亡巻き起こすのに使われるパターンだからって。
まあそうは言ってもね、年末のわちゃわちゃ感は別にそんなに嫌いじゃない。学祭前日みたいな浮き足立った感じは、どちらかと言うと好きではありますよ。メンドクセーって言いながらやってる感じはね。
ただ、大人になってさらに歳を重ねるにつれて、メンドクセーってぺちゃくちゃと駄弁りながら「え?お前あの子のこと好きなん?」なんて言い合う人数が少なくなってくる。例えばそれは、人によって家庭があったり、例えばそれは、仕事があったりとするからなのだけれど。
それははたして寂しいことなのか?と、何かに追い立てられるように行進していく交差点の中で、ふと立ち止まって自問自答をしてみる。私の中から湧き出たそれは、私の形を保ったままぽやんと浮かび上がり、そのまま大気圏を突破して宇宙へと放り出される。あっちへ行きこっちへ行き。名だたる恒星や惑星の隙間をたまに手放し運転する余裕を見せつけながら、くるりと一回転すると、「ごめん、待った?」 「ううん。今来たところ」という甘酸っぱさと照れ隠しと社交辞令を携えて私の落ち着くべき所へとすとんと収まっていく。
私はたぶん、少しばかりの寂しさと煩わしさを抱えながら、それでも、このわちゃわちゃ感を昔と変わらず今も感じて過ごせていることに感謝しているのだと気付く。
誰に? 別に特定の誰かにではない。自分にでもない。例えばそれは、今まで出会ってきた人に対してであり、もっと言えば、それは今まで嫌いになった人に対してであったりもする。
そんな丁度良い曖昧さ加減で、めっきり人通りの少なくなったアーケードを通り抜け、イルミネーションが施された特に裕福そうでもない一般家庭の家の前を通り過ぎたりすると、何とも言えない気持ちになる。何かを蹴り飛ばしたいような、何かを祈りたくなるような。
ネガティブでもポジティブでもなく、それはただ眠りにつく直前に、あぁ今日も65点ぐらいだったなっと思い、小さな満足感と後悔と懺悔を、ちょっぴり冷えたお布団と一緒にくるめて、誰に向けるわけでもなく、おやすみっと呟くような、そんな感じであったりはするのだけれども。これを書いている私は、事ここに至って、いったい何のこっちゃっとなっていることを今ここに告白いたします。
途中から完全に何の話かも忘れて書き連ねていましたからね。何ですか? 途中けっこうスペクタクルな展開を見せましたけれど。あれがデネブ、アルタイル、ベガですか? 見えないモノを見ようとして望遠鏡を担いでったんですか? 何だかよく分かりませんね。
まあでも、要するにその程度のものだと言うことですよ。年末なんて。ね。
ハッピーですか?と問われて、間髪入れずに、ハッピーですと答えられる人間になりたいと言うことです。いや、別になりたくはないか。うん、なりたくはないな。来年も何かに対してクソ食らえっと心の中で中指を立て続けられる人間でいられたらいいなとは思います。いやまだ年末までは、もう少しだけ続くんじゃよ状態ですけれどもね。結局何が書きたかったかと言えば、やっぱり特に何もないのでございまして。
何かをパチン!っと主張出来る人間にいつかなれれば良いなと、そう思う次第でございますが。強いて言えば、私はたけのこ派であり、カントリーマアムはバニラその一択だと言うことだけでしょうか。あ、あと焼きおにぎりには、断然三ツ矢サイダーですね。そこは譲れない。いくらアシタカでも押し通れませんよ。まあ、こんなペラッペラに薄っぺらい主張は、文字通り暖簾に腕押しですけれどもね。
カクヨムもXもすこぶる低浮上ではありますが、一応のオチが着きましたので、ここらで一旦終わらせていただきます。