養蜂は古代から試みられましたが、巣箱を壊して蜂蜜を回収するものでした。従って泥や素焼きの壺や丸太、蔓で編んだドーム状の籠(スケップス)が基本で、取り外しできる可動式巣枠は1851年に登場です。蜜蜂が巣を繋げてしまわない距離(ビースペース)が、やっと見出されたのです。
進化論が受け入れられて蜜蜂の生態を科学的に観察できるようになるまでは、経験だけでは難しかったのでした。何しろ西洋では「蜜蜂は牡牛から産まれる」という珍説が、日本でも江戸時代初期までは「蜂蜜は蜂が小便で醸して作られる」という奇説が唱えられていましたから。
桶を利用した巣箱は、日本初の昆虫図鑑『千蟲譜』(19世紀初頭)に挿絵があります。我等世(ウィラルテ)でも横倒しした桶型としました。幕末の紀州の天才養蜂家、通称「蜜市」の貞市右衛門(さだ・いちえもん)さんのご子孫は、今も養蜂業を営まれています(貞清養蜂園、和歌山県と北海道の二拠点)。
スコレン村(Scoren)
古英語で「(刃物などで)切断する」の意味scieranの過去分詞(shearの語源)。すなわち「切通村」。百年以上前に「玄奥の森」から蛟鬼の群れが現れた大漲溢「ノルドの惨劇」の後に建設された関所砦が起源。初代男爵の弟の家系が代々村長兼隊長。衛兵隊が訓練を兼ねて山地の魔物狩に励む砦村。
AI画像は、壁内に設置する横倒しの桶型巣箱の養蜂小屋。日本初の昆虫図鑑『千蟲譜』(19世紀初頭)の挿絵を参考にしています。
