俺の名はブラックドッグ。精霊使いの荒いご主人様の命令を遂行すべく、日夜駆け回るナイスガイだ。
お優しい俺は、今日もご主人様から「七大魔王のデータをちょろまかしてこい」なんつぅ無理難題を言われ、死に物狂いでデータを入手して戻ってきたばかりである。
なんて俺は優秀で主人思いの健気な精霊なのだろうかと自画自賛しつつ、ご主人様は俺という存在にもっと感謝すべきだと、心の中でぼやきながら扉を開けると──
「おーい、クロガネぇ。お前の言っていたデータを——」
「さ、サチコ……俺のこと、好きか?」
『はい、好きです』
「あああああああ!! 俺も好きだあああああ!! サチコおおあああああ!!」
目にした光景に、瞬時に扉を閉める俺。俺の直感が告げている。今のクロガネには関わらない方がいいと、長年の勘が囁いていた。
「……はぁ、嬢ちゃんに知られたらどぉすんだか」
深いため息が漏れる。聞こえたあの音声……間違いねぇ、またアイツ、任務記録の個人再生機能を私的利用してやがる。
しかも再生された音声は、あの日、任務帰りに街をふらついていたクロガネが、偶然、公園のベンチでたい焼きを食べていた嬢ちゃんと出くわし、そのまま隣に腰かけて少し会話したときのものだった。
『先輩も食べますか?』
『いや、俺はいい……あんこ、好きなのか?』
『はい、好きです。特に粒あんが』
……ただの何気ない会話。それなのにクロガネは『はい、好きです』の部分だけを都合よく切り抜き、毎晩その音声をリピート再生してはのたうち回っているという……黒いマナを抑える手段とはいえ、どこに出しても恥ずかしい完全なる悪質なストーカーである。
「……マジで嫌われてもしらねぇぞ」
嬢ちゃん、つまりサチコの嬢ちゃんも、クロガネの異常な愛情表現には気づいている。アイツが彼女を「特別」に思ってることは百も承知だろうが、それが恋愛感情かどうかまでは計り兼ねてるってところだ……。
でも、もしそれが恋愛感情だと嬢ちゃんが気づいちまったらどう思うかって?
んなもん決まってる。嬢ちゃんはきっと「勘弁してくれ」って思うだろうよ。
だからこそ、あえて見て見ぬふりをしているんだ。藪蛇にならないよう、クロガネのあの過剰な愛情表現に深入りしないようにしている。
「まさか、ここまで骨抜きになるたぁなぁ……」
俺は、初めてクロガネと出会ったときのことを思い出しながら、遠い目をした。
あの頃のクロガネは、まさに荒削りで、触れるものすべてを傷つけるような危険な雰囲気を纏っていた。
俺の縄張りに一人で乗り込んできたあの日、アイツはふてぶてしくも「ここで一番強ぇヤツは誰だ?」と聞いてきやがった。
俺が名乗り出ると、アイツは目をギラギラさせながら「俺と勝負しろ。お前が負けたら、俺に従え」と挑んできた。
とんだ生意気なガキが現れたもんだと呆れたが、同時にどこか面白ぇとも感じた俺は、「いいぜ? ただし、てめぇが負けたら食い殺してやる」と、その勝負を受けた。
結果は──まぁ、俺が奴の精霊になっていることで、ご察しというやつだ。
俺がクロガネの相棒になったばかりの頃も、アイツが口にする言葉は「うるせぇ」「黙れ」「殺すぞ」のオンパレードだった。
人との関わりを徹底的に拒絶し、近づくものすべてが敵だと言わんばかりに殺気立っていた。
だからこそ、初めて嬢ちゃんを見かけたときのクロガネの反応は、俺にとっても意外だった。
あいつがあんなに積極的に誰かに関わろうとする姿を見たことがなかったからだ。必死に嬢ちゃんに近づこうとするクロガネの様子を、俺は半ば面白がりながら見守っていた。
嬢ちゃんと関わる時間が増えるにつれ、クロガネの表情に変化が現れ始めた。冷たく張り付いていた仮面が少しずつ剥がれ、そこに笑顔が生まれていく。
そんなクロガネの姿を見るたび、俺は「これは良い変化かもしれねぇな」と内心ほっとしていた。
だがしかし、現実は俺の期待を裏切り、予想外の方向へと転がり始めた。
まさか、ここまで悪質なストーカーになるとは夢にも思わなかった。もしも俺が、昔のクールな相棒に戻ってほしいと強く願ったとて、誰も責めやしないだろう。
けど、それでも俺は、クロガネの変化を完全に否定するつもりはない。
少なくとも、かつての孤独で冷たい姿よりはマシだ。誰かを大切に思い、そのために努力しようとする姿には、どこか憎めないものがある。
道のりは険しいが、いつかクロガネの想いが実り、嬢ちゃんと笑い合う日が来る。そんな光景を見られることを、俺は心から願っている。
とはいえ、クロガネの愛があまりにも重くて、嬢ちゃんが距離を取るかもしれないが……その時は、クロガネも少しは自分を見直すだろう。
「これから先、お前がどんなに変わったとしても、俺はずっとお前の味方だぜ、相棒……でもな」
俺はクロガネの部屋の扉を振り返り、静かに祈るように呟いた。
「これ以上の暴走だけは、勘弁な」
その願いが届くことを祈りつつ、クロガネが落ち着くまで散歩でもしてくるかと、俺は再び夜の街へと駆け出した。