私は自分なりの登場人物考察が行われているものであれば大概歴史小説はそれでいいんじゃねえかと思う方なのですが、自分としての線引きを一つだけしていることがあります。
それは歴史における功績を「作者の手柄にだけは決してしない」こと。
つまりオリジナルキャラが歴史の偉業を成し遂げたことにしてしまうとか。
「俺が〇〇をした」とか「私が〇〇を発見した」とか。
歴史における偉業を自分(が作ったキャラ)が成し遂げたように改竄して描くもの。転生させて、自分は記憶があるので、自分がやっちゃおう!! みたいなのだけは、私の美学として受け付けないのです。
私も陸遜を取り扱い、実際には無かったであろう展開なども書いています。
しかしそれは全て、定められた運命の轍の内側で起きていることに留めています。
今陸遜はある事情から魏におりますが、このまま魏に居続けて【呉の孫権がクソムカつくので魏の武将になってあいつを討ち取ってやろうと思います!?】みたいな話を書くことは絶対にありませんし、それは、やってはいけないことだという線引きがあります。
陸遜は史実において呉の孫権に酷い扱いを受けています。
孫権は陸遜が功績をあげると評価していますが、それは評価しなかったら孫権が疑問を持たれるレベルだからある意味「評価するのは当たり前だ」のレベルであって、孫権が何か陸遜が失策しても庇ってやったとか、誰が反対しても陸遜を擁護し続けたとか、そういうことではないのです。
何かと褒美をくれたとか、そういうことではない。
孫権と陸遜は極めて常識的な範囲の、仕事上の主従関係でした。
陸遜は呉と孫家に深い忠義を誓っていましたが、
慎み深い性格をしていたので主従関係以上の何かになる気はなく、
あくまでも臣下の範囲を越えませんでした。
孫権は人に対して甘えている部分が多いので、もっと情を見せてくれる人間の方を好むのですが、かといって感情を見せすぎてその感情が自分と合わないと、やっぱり受け止められず張昭先生やグフィーと大喧嘩したりしているので、「もっと本音を見せてくれ。友人のようにやろう」などと懐深い主を気取ろうとしても、結局好みで人を選ぶ、非常に狭い所があります。
要するに自分にとって心地のいい、都合のいい人間にはニコニコして付き合いますが、こいつ自分と合わねえなと思う人とは付き合わないという非常にはっきりした子供のように分かりやすい好き嫌いを見せる人間です。
陸遜と孫権は、正直人として合わなかったのです。
しかし陸遜が素晴らしい功績を残し、人としても素晴らしすぎたので、合わなくても孫権からすると全く非の打ち所が無く、罷免する理由もないため、生涯付き合っていくしかない人になったのですね。
自分好みの人間しか周囲に残さない傾向のある孫権が、唯一自分好みじゃなかったけど二宮の変まで遠ざける理由を見つけ出せなかったほど完ぺきな人だったのが陸遜です。
それほどこの二人は本来人として合わなかったのです。
好みで自分の周囲に置く人を決めるタイプの孫権と、
陸遜はどんな相手とも穏やかに話すことが出来、相手の良さ、相手の悪さも受け止めたうえでどんな相手とも誠実に向き合いました。
陸遜も好まざる人というのは持ちましたが、理由あってのことです。非常に実例をもとに評判が悪いとか、こういう悪いことしてるという報告が耳に入っているとか。
嫌われて当然のやつを「そういう行いはよくありませんよ」という観点からつるまないようにしているだけで、陸遜は自分好みじゃないからお前嫌いとかどこぞの孫権のようなことは決してしませんので。
とにかくこれほどに人として合わなかった上司ですが、陸遜は生涯呉を裏切りませんでした。それが彼のアイデンティティなのです。正直陸遜は軍歴が長く、方々で都合のいいように使われている人なので、軍も政も経験豊富です。生粋の軍人さんだと私は思いますが、山賊討伐などして治安を取り戻す、という命令を受けて動いていることが若い頃から多く、治安を取り戻した後の街の統治なども、かなり興味を持ち積極的に行うため統治者としての資質もきちんとあったのです。
非常に軍においても政においても人望があり、
晩年女にうつつを抜かして腑抜けになった孫権とほぼ同期ですが、
全く60歳過ぎても才気に衰えが見えません。
陸遜は実は二宮の変の時、建業にいたわけではありません。
荊州、武昌にいました。
対蜀、対魏の外交の最前線に相変わらずいたわけです。
だからそこに孫権のお手紙攻撃が来たわけですね。
二宮の変の孫権がしたことは本当にひどいので、実の所陸遜が「もうこんな上司嫌。長子継承も守らないようではこの国も長くはない」と見限れば、正直軍を率いて蜀か魏に向かうなんてことも出来たと思います。
要するに司馬懿が曹家と戦う道を選ぶのと同じことが陸遜もやろうと思えば出来たんですよ。
しかし陸遜は自分が孫権にいくら濡れ衣を着せられても動じず、呉への忠義を貫きました。例え自分の命を失っても、決して呉から魂を遠ざけることは無かったのです。
呉は陸遜の魂が捧げられた国です。
これだけは絶対に、触れてはいけない部分なのです。
そういうのは、押さえておかないと!!!!!!😇
触れてはいけない部分、
いじってはいけない部分というのがあるのです。
例えば「私が転生して周瑜様に愛されて夫婦になって病気の夫の代わりに大都督になって赤壁の大勝利を目指します!!」みたいなのは醜い蛇足なわけです!!
やめろと!!!
確かに何でも人は自由に書いていいんですよ。
表現の自由です。
勿論いいよ。
でも私は歴史上の功績を「私」もしくは「私の作ったオリジナルキャラ」の功績に盗み取るような話は本当に大嫌いです!!
やり口が卑怯!!
何がいけないってまあその何でもかんでも自分の手柄にしようという浅ましい考え方がまずダメなんですけど、
つまりその人の功績だったものを盗み取るわけですから、盗み取られた人の価値を貶めてますよね!?「いなかったひと」にしてるわけです。
これはやっぱり酷いと思います。歴史に対して。
歴史の凄さは、人間が実際の人生の時間をかけて、命を懸けて、生み出したり行ったり発見したもの、という困難で誰しも出来ないことを聡明さや勇気や努力でやった、類い稀な方たちが要所要所で輝きを放っているのです。
それはいじってはいけない聖域なのです。
その人たちの命を踏みにじる行為なのですよ。
冬でも温かく明かりも好きに付けられてぬくぬくした部屋でポッキー食いながら書いてる人間がどういう神経で歴史の偉業を自分の手柄にするとかいう卑しい発想に辿り着くんすか。
しかも転生したから歴史として知ってるから誰かがやったことを俺がやれば出来るとかそんな展開本当に最悪です!!!
わたしは!!!
例え夷陵の戦いの全ての詳細を台本で書かれたとしても!!!
自軍の人間にすら「陸遜にこのまま指揮を任せたら呉は滅ぶ」などと疑われていつ味方から刺されるか分からないような中で幕舎の中で寝たり、時間を待ったりすることだって出来ませんよ!!
その時の「怖さ」とか「死ぬかもしれないけどやろう」とか!!
全部無視してる!!!
そういうのを乗り越えて、行動を起こした人たちなんです。
その人たちの心がどこかで折れていたら、それだけで達成されなかったことかもしれない。その人たちだから出来た、唯一無二の行動なわけです。
「知っているからと言って誰しも出来ない!!」
ここが美学なのです。
私本当にあの歴史の功績自分の手柄にする盗人猛々しい歴史改竄小説が嫌いでしてね……友人とも度々いかに腹立つかを話すんですが、あまりに見た時の「実際に行った人の命と心を踏みにじっている!!!!!!💢💢」という怒りが激しいのでどういう考え方をしたら平常心を保てるのかと相談したら「ほっとくしかない」というそらそうだという尤もな助言をいただいたので、
もうそういうの見つけたら放置放置!! ひたすら放置!! 無視!!!と心に言い聞かせてるんですが、
本当に私個人は、歴史改竄盗人小説本当に大嫌いなのです!!
私はだから、確かにオリジナル展開、オリジナルキャラも出します。出て来ますが、それは全て歴史の運命の轍の内側で起ったことに留めています。そこから飛び出すことはありません。
私などが書くオリジナル展開、オリジナルキャラが例え出ても、そいつらがいてもいなくても、歴史に刻まれた運命の歯車は、そいつら程度で狂ったりはしません。いじれたりはしません。全く揺るぎないほど強いものとして描いています!!
本当に自分の手柄系歴史小説はあかん。
実際にその偉業を成し遂げたひとを「なかったこと」にするなんて、本当に考え方として酷い。いなかったことにするなんて。
何かを発見した人とかもそうですよ。
私たち現代人は、生まれた時から何の苦労もなく電気だの、パソコンだの、スマホだの、薬だの、車だの、水だの、なんだのと使えますが!!!
それを「発見」「開発」した人たちは!!!
無からそれを考えだし、実用出来る所まで昇華させたのです。
そこに至るまで死ぬほど身を削ってる!!!!!
そういうのに心を向けて「こんなすごい方がいたんだな」と思いを馳せるところから歴史上の出来事や人物に興味を持つ、歴史小説を書いてみたいというスタート地点に立つのでは!? と【私自身は】思っているので、
やっぱりそこは厳格な越えてはならない一線としてきちんと心得ています。
なので今陸遜が魏とかにいてオリジナル展開ですが、
ご安心ください。絶対に歴史の大まかな流れとか、戦いの勝敗とか、そんなものは一切私の話などで変わったりしませんので!!😊✨
オリジナルキャラとか出て来ても、心配ご無用です!!
そいつが歴史に関わるほどのなにか物凄いことをするとかそんな展開は一切ありません!!
赤壁後の世界観に郭嘉君は確かにうちは生きてます!
郭嘉が好きだからです!
確かに郭嘉は赤壁後の世界にも関わって行きますが、それで石亭の戦いを魏が大勝ちするとかそんなことには一切なりません!!!
赤壁後の世界に何故郭嘉がいるのか?
その意味は私の中でただ一つです!
「赤壁後の混迷極まる乱世の世の様々を、郭嘉の目に見せてあげたい!!✨」
ただこれです!!
見ればいいのです! 見て、その都度歴史において光り輝く者たちを見抜き、
目を輝かせて生を謳歌させてあげたい!
これだけです!😊
郭嘉は若いのに、
病気で亡くなり、
その後の数々の素晴らしい戦いを見れませんでした……。
これが無性にかわいそうなので、見せてあげたいのです!!✨
ただそれだけ!
だから郭嘉様が生きているから魏がなんでも凄いことになるとかそんなことを画策はしてないのでご安心ください。
「何故この人の話には赤壁後も郭嘉がいるんだろう……」
そう思ったでしょ?
改竄系か? と。
違うんですよ。改竄系は改竄した時に改竄系が発生するのです。
郭嘉がいても郭嘉が歴史上の支柱に触れなければ、別にいてもいなくてもいいんです。
甘寧なんか死期もはっきりしてないんですよ。
年齢的に見て、夷陵にいたらさすがに高齢すぎるだろという観点からいなかったであろうというのが史実の見方ですが、【演義】では夷陵に出ちゃって見せ場とかも作っていますからね。
ただ別に甘寧がいてもいなくても夷陵は陸遜が勝った戦いなのです。
重要なのはそこであって、甘寧はいてもいなくてもいいんですよ。
重要なのは甘寧が夷陵後の世界にはさすがに出て来ないという部分なんです。
だったら夷陵が甘寧の最後の戦いになれば、彼がその時何歳だろうと別にそれは些細な事なんです。
歴史の支柱にだけは触れない。
「何でこの人の赤壁に姜維がいるんだろう?」
不思議に思ったでしょ?
それは蜀と呉の未来を担っていく二人をそうなって行く前にどこかで実際に会わせてあげたかったからなのです😊
でもここで会ったからといって、これがきっかけで二人がライバル関係になっていくわけではありません。会わずとも、ほっといても、いずれ姜維と陸遜は自分の国を負って立つ人間になって行くわけです。
孔明先生の北伐は宿命の遠征なので、別に赤壁で姜維がいてもいなくても結局北伐はすることになるのでね。
姜維も降将ですが、降将であること忘れられるほど蜀と孔明先生に傾倒する方ですので、ある時孔明先生を慕ってついて来た子にしたって大差ないわけです
うちの趙雲様【涼州編】で涼州の山々を駆けずり回って涼州騎馬隊を助けるために奮闘しましたが、別に表面上にそれは一切出て来ません。
ただ涼州騎馬隊が馬超と共に成都入りした、という支柱が揺るがなければ、別に趙雲様がその陰でどのように駆けずり回っていても関係ないわけです。
触れてはならない部分に触れなければ、
あとは歴史小説、果てしなく自由に書けばいいと私は思っていますね😊✨
というかこの塩梅なんですよ。弁えてるか弁えてないか。
単に歴史をなぞってるだけなら、別に見る必要ねえな教科書で十分楽しいわってなるので、作者のオリジナリティもやはり歴史小説といえども書かなければならない面は絶対あると思いますよ。
しかし絶対的な弁えは歴史小説には必要なのだ
決して触れてはならん聖域はある✨