私は今、自分の文章は上手いと思うようになりました。
他人の評価や他人が自分の文章をどう思うかは正直あんまり興味がありません。
私は自分の文章が下手な時期をしっかりと覚えており、
上手な人の文章と自分のもの、一体何が違うか、違うから上手な人がいて、下手な人がいるのだとそこから目を背けず、自分の下手さと向き合い続けました。
下手な文章はともかく、
私は【想像力】だけは子供の頃からあったので、
物語を自分で作り、思い描くことだけには飽きたことがなかったのです。
まだ文章が下手だったころ、ある人に言われたことがあります。
「お前の文章で何かの賞を受けるなど、まるで宝くじが当たるのを待つように途方もないこと」
がっつんと言われて、非常に傷つきました。
ものすごく傷ついたと同時に、
怒りが湧いたのです。
その時は言えませんでしたが、
言いたかった言葉があるのです。
「宝くじとは同じじゃない。
宝くじは当たるか当たらないかの可能性を自分の努力で引き寄せることは出来ないけれど、
文章を上手くなることは努力で必ず出来る。
今より上手い文章は、真摯に努力して書き続ければ必ず手繰り寄せられる。
運とかじゃない」
その言葉を飲み込みました。
私はある時期まで「文章が上手くなること」を最大の目的にしていたことがあります。
とにかく書き続けました。ただ書くのではなく、きちんと内容のある話を書こうと意識し、下らない文章は書かないように気を付けながら書くようになりました。
好きなものを好きなように書かなくなったのです。
そういう目的である一定時期、書き続けました。
ある時に気づいたのですよ。
「自分の頭に思い浮かんだ風景を、描写したいように、描写出来るようになった」
と。
私は小説を書く時、キャラも情景も、実は完全に頭の中に「絵」として浮かんでいます。
実は漫画も書くのが好きなので、
私は
「小説を書く」→それを自分で「漫画にして書く」ということをしていた時期があるのです(今も気に入ったシーンは描いたりするのが好き🥰)
今は割合的にはもっぱら字ではありますが、
ある時期は本当に
字を書いたら→漫画にする→また字を書く→漫画にするという作業を繰り返していたのです。だから、情景が頭に思い浮かぶようになったのかもしれませんが、
私はとにかく、実は文字だけの人間ではないのです。絵も描くため、この作業に拘ったことにより、
私の中で文字を書く=絵を思い描くという回路が結びついたのかもしれません。
本当にある時「思い描いた通りの情景を、文字化できるようになって来た」ということに気づいたのです。
「書きたいことが書けない」
ということが、その辺りから全くなくなってきました。
私はやたら難解な言葉や漢字は使わない書き手ですが、
そんなものを使わずとも、分かりやすい表現を組み合わせれば、どんな形も作れる折り紙のようにどんな景色でも文字で描き出せることを理解しました。
この辺りから、私の話す言葉などにも変化が見られ、
前は責められたり貶されたりしても全く言い返せず泣くばかりでしたが、
言葉がそういう時に出て来るようになりました。
言葉で反撃出来るようになって来た自分に気づいたのもその頃。
文章だけではなく、
話す言葉も、
明らかに変わって来ました。
私は非常に苦しんで、誰かを憎んだ時期があるので、
今回の【魔眼】で書いた、リュティスのような人の気持ちがとても分かります。
でもその憎しみを許したこともあるので、
メリクのように「憎かったけどもういいよ」と許す人の気持ちさえ分かるようになったんですよね。
前はもっと悲しみや苦しみや怒りが強すぎて、
温かいものや優しいものを嫌悪していた気がします。
しかし、ある時憎むことに飽きて、
こいつを憎むよりも、
もっと他の楽しいことを見つけて、こいつへの憎しみなどどうでも良くなりたいと思いました。
勿論意識してそのように心がけたので、
その頃から多趣味になり、色んな興味が増え、色んな楽しみが増えているうちに、本当に醜い感情などに人生の時間を使いたくない!! と強く思うようになりました。
リュティスという人も、
メリクという人も、
両方の人間の感情を理解し、表現すら出来るのですが、
私がこの前読んだ井野さんの【白川諒雨】の人間には適量の邪気が必要、という言葉に妙に馴染みを覚えたのは、やはり実感だったのかもしれません。
強い不満を溜め込んで、幸せになること自体を放棄してしまっているリュティスのことも、
憎むよりは憎まないことを選びたいと思うメリクの、
そう思うことは「別に俺が優しい人間だからではなく、ひたすら憎むのが面倒臭いんだよ」という、自分は特に情け深い人間ではないが、勤勉に誰かを憎むほど、我が強くないんだよ
っていう気持ちも非常に分かるのは、
私が元来から優しかったり穏やかな人間であったら書けなかった描写だと思うのです。
私も邪気の存在した人間だからこそ、
邪気や雑味がある人間の心が理解出来る。
思うに、
いい作品を描けるようになるかは
①いい、上手な文章を書きたくなりたいと真摯に思い、ちゃんと努力をすること
②自分の文章、自分自身の、人間としての欠点から目を背けず向き合うこと
③他人と自分をきちんと見比べること。
④自分自身を正確に把握すること。そうすることで弱点を補い、強みを磨く、「どこをどうすればいいか」という部分が分かるから
この①②③④が不可欠だと思います。
本当に基本的な、当たり前のことなんですけどね。
実はスポーツでも、結局何が物を言うかと言うと
いわゆる「基礎トレーニング」と言う一流の選手が結構多いのです。
私は前から「つまんない答えだなぁ。模範的すぎだろ」「そんなこと言って秘密の特訓でもしてるんだろ」「嘘だ。スポーツは結局才能とセンスだ」などと思っていたのですが、
しかし自分が文章を上手くなった過程を思い浮かべてみると、
本当に、特別な秘密の特訓などしておらず、師もおらず、助言者もおらず、
結局①②③④を真摯にやり続けてただけなんだよな ということに気づくのですよね。
そういう自覚が出てから、才あるアスリートが「結局大事なことは?」と聞かれて「基礎トレーニングをどれだけするか」と答える訳が、すんなりと納得出来るようになりました。
基礎トレーニングで一定のレベルまでは、何があっても崩れない土台を多分アスリートは作り上げるのですよ。
肉体的にも、技術的にも、精神的にも。
そこから先は確かにセンスや才能ですが、
実の所「基礎トレーニング」をきちんと量をこなすということは、
誰しも真面目に続けられることではなく、
案外「そこまでやっている人はいない」ことなのかもしれません。
私は先ほど「毎日更新自体にはさほど意味は無い」と書きました。
しかしながら、私は本当に書くのが好きなので、体調不良とか山小屋にいたとか、そういう特別な事情が無い限りは一日たりとも欠かさず書いていましたし、書けない時すら、頭で創作のことをいつも考えていました。
明日は大晦日です。
更新はしません。
ですが私は明日も書きます。
元日も小説を書きます。
家のことで忙しい方などは全く違う理由で書いてないだけなので省きますが、
そんな家のことはしなくていい方でも、大晦日や三箇日はさすがに書かないというような人は全然多いと思います。
ですが私は書きます。
他人が書かないような日でも、書き続けて来ました。
何なら子供の時も正月親戚が集まるような所でも書いてたので、協調性が無いと見なされ「こういう(家族みんなが集まる)時は書くな!!!💢💢」とか激しく叱責されたこともあります
昔から本当に【創作】というものを知ってから、一日たりとも書くのを止めたことがない。
上記のように、なんなら創作をしていたから、他人とそれを巡って嫌な想いなどもしたことも山ほどあります。
その時はすごく嫌な思いして 嫌だ って苦しむんですが、
不思議と私はその嫌さを【創作をしてるからだ】と創作のせいにしたことが一度もないのです。
むしろどんなに苦しいことが現実にあっても、書けば没頭出来ました。
仕事に出来る出来ないにせよ、
これが自分の【天職】なんだなと、ある時思いました。
【翡翠】のメリクが何故リュティスを憎まないのか、反撃しないのか、悪しき運命を受け入れようとするのか。
決して全てが私自身と言うことではないですが、
私の実感の籠った、一部なのですよね。
理解出来る人間の行動なのです。
いい作品を書くには、やはり色々な物事、自分自身は勿論ですが、様々な人間に自分が出会い――誰かや何かに対して感情や、実感や、想いを逐一、抱くことが大事なのだと思います。
いいことであれ悪いことであれ、
敏感に何かを感じ取り、
頻繁に何かを想い、考えること。
そういう習性を身につけること、これが文章を上達させる、一番の近道であり、長期的な強化方法なのかなと思います。
あまり上手じゃない文章だなと思う時、
形式以外でそう感じる時に思うことは、
作者の、特定のこと以外に対する興味の無さのような気が私はします。
何かが好きで、何かを書いてることは分かる。
それが好きなのは分かる。書きたいのも分かる。
でも、好きじゃないけど書かなければならないことや、知っていなければならないことを知ってないとか、知識の狭さや、
それ以外を書けない、書こうとしない、それはすなわち目を向けようとしない、そういう悪しき頑固さ。
別に書かなくてもいいんですよ。
でも書かなくても目を向けることは出来ますよね?
そういう目を向けることすらせずに、自分の好きな、もしくは性癖で固めたような世界に閉じこもってる作風だなと思わせる人がいます。
こういう人の文章は、極めて魅力的でない閉鎖感があり、
これ以外には見向きもしない冷酷さが見て取れる文章で、
その冷たさが多分、読み手を極めて限定的にさせているのです。
話しても話が通じなさそうな文章、というのも実はあるのですよ……。
凝り固まっちゃってんなっていう。
自分の考え方がきちんと確立されていたとしても、
様々な物事の側面を捉えていることが伺える、そういう広い見識を思わせる文章というものは書けるんですよ。
真に強い文章を書くためには、
自分が意固地にならなければならないと勘違いしている人の文章は、
本当に読んでて誰の助言も受け付けず、自分が書いてることだけを正義として、絶対それ以外書かない!!!! というそういう陰に籠った気配を感じるのです。
このタイプは本当に文章が上達しません。
この文章は固く冷たい内容だけを指すのではなく、能天気なバカ騒ぎなど明るい雰囲気で例え書いてても、感じる文章です。
なにがどうとは、上手く言えませんが、
文章を通して作者を想像した時の印象が「話が通じないな」「広い知識をもっと得たいとか、上手くなりたいとか、そういう学ぶ意識が少ない人だな」という感じがとても滲み出ているのです。
硬質な考え方の許に書かれた文章というのは、暗い雰囲気の話でも、明るい雰囲気の話でも、読み手からすると噛み砕きにくいものなのです。
今回の【翡翠】の更新の【魔眼】という話で、
リュティスという人を書きました。
そしてメリクという人を書きました。
考え方や生き方が全く違う二人なのですが、
うちで言うと、
長編小説なのに何人キャラを出してもリュティスのような人しか出て来ない話とかがあるのですよ……
逆にメリクのような考え方ばかりの人が出て来る話も。
そういうのって、世界からすると不自然なのです。そんなことは実際の世界に起こり得ないことなんですね。
そういうことを、捉えられてない人がいる。
自分の書きたいキャラだけ、自分がいいなと思うタイプのキャラだけ出していると、みんな種族が同じみたいな書き方になってる人がいる。
ああいうのは自分の世界に閉じこもりすぎです。
もっと人間には多種多様なタイプがいるはずですから、やっぱり人間をもっと学ばなければいい話は書けない。
人間を学ぶなんてめんどくさそうだし難しそうだからヤダって思うかもしれませんが
そんな大層な事じゃなくて、
スポーツで、好きなクラブとかチームが出来ると、その中に色んなタイプの選手がいるじゃないですか。
一年通して一つのクラブとかを応援して見ていると、それだけでも色んなタイプの人間のことが知れるんですよ。
楽しそうにやってるが良くない結果の時に一番最初に逃げる奴だなとか
年下だけどベテランの先輩ともガンガン話せるタイプやな!とか
チームメイトのお子さんと遊んであげてるじゃん 可愛い🥰とか
よくこの二人一緒にトレーニングしてんな 仲良しなんか?✨とか
車に乗せて送ってあげてる!!君この前も別の選手送ってあげてたよね!?✨とか
すげぇクールで身だしなみに気を遣うカッコいい人なのに本日ポンポン付きニット帽で来てるやん!!!ポンポン付きニット帽やん!!! あんなにいつもかっこいいのに今日……可愛いやん!!!!!とか
犬連れて来てるーーーーーーっ!!! 愛犬家だったんかおまえー!!!!!!とか
ファンに自分の手袋今あげてたー🌸とか
この選手今、敵チームの選手助け起こしてなんか話してたな……なんでだろ? →調べる→そうか他の国にいた時チームメイトだったこと一時期あるんだ!!!✨ とか
この選手、新人の選手によく声かけてあげてて偉いなあ 気に掛けてくれてる とか
悪戯すんな 隠れてチームメイト驚かそうとする悪戯すんな😇 とか
おああああああああんないつも優しい人なのに今日は咆えたあああああ!!!✨とか!!!
本当に色んな性格や人柄の人がいることを知れるんですよ。
間違いなく私はスポーツ見てなかったら文章下手なままだったと思います。
スポーツを見て人間の多様さ、展開の多様さ、ドラマティカルとは何ぞや 友情とはなんぞや 師弟とは 家族とは 怒りの美しさ 色んな、作品に応用出来る人間の多彩さを学び取っているんだと思います。
私はこれからも死ぬまでスポーツを愛好すると思いますので、
日々これからもそういうことを学び続けられるわけです
若い学生さんでも、なかなかの文章を書いて来る人はいますが、
トータル的に子供が素晴らしい文章を書けないのは、知識が欠乏してるからなのです。扱える言葉が少なく、自分の言いたいことを言えない子供は多いですよね。
彼らの文章が下手で拙いのは、そのせいなのです。
だからこそ文章が上手くなりたいのなら、書くこと、書く内容、言葉の扱いを鍛えなければならない。
子供が文章下手だって言いましたが、大人になっても自分のしたいことを他人に伝えられない人って実はものすごく多いのですよ。
中には髪が白髪になろうかという年代であっても、他人と明確に話して自分が何をしたいか伝えられない人は多いのです。
ああいう人は恐らく、60歳でも書く文章は下手だと私は予想するのです。
私は文章の上達と共に他人に話す言葉の内容もガラリと変わったので、
話す内容とかがおかしかったり子供のような人は書く文章もやはり拙いことが多いですね……。
私の文章の強みは、
リュティスのような人も書け、
メリクのような人も書け、
なんならラムセスのようなタイプも書け、
エドアルトのようなタイプも書け、
ミルグレンのタイプの女の子さえ書けるという、
この人間像の多彩な捉え方と表現が一つ魅力だと思いますね。
同時に、やはりいい作品というのは人間が一つの闇属性に凝り固まらず、聖属性に凝り固まったりもせず、
【色んな人間が生き生きと色んな属性の許に一つの物語に描かれている】
これだと思いますね。
タイプの違う人間をただ書くだけでなく、内容にきちんと組み込まれて命を吹き込まれてると、やはり作品に多彩な印象が生まれて来ます。
私は昔は、恐らく人間の属性が寄った文章を書いていた面が強かったんですが、
自分がとても苦しんだので、
リュティスタイプの人間の暗面も実感と共に理解出来るため書けますし、
ある時生き方が外界に向けて広く心がポジティブになったため、
他人の罪を許して生きる、メリクのような人間の気持ちさえ、自分で理解して描けるようになりました。
今回の話では、タイプの違う人間の生き方が激しくぶつかるのですけれど、
私自身は「こういう両極の人間さえ、私はちゃんと捉えられるようになってるんだなあ✨」と思って自分の上達を実感出来るのです。
よく言うんですよね。
「作家は、作家以上のものは書けない」と。
多少「想像力」でカバーは出来ますが、
確かにそうなんですよ。
作者が意識を閉ざしてしまうと、
その作者は自分以上の存在を、文章に書けなくなります。
天才でない作者が天才を捉えられないから天才が書けない文章になるように、
「捉えられてない世界」を作家は書けないのです。
なのでやはり文章が上手くなるということは、
広い知識や世界に目を向けて、様々な人間が世界に生きていることをちゃんと受け止めて――自分の世界に、自分の思想と、自分の思想とは異なるものさえ、想像力という武器を使って補い、
「これは書けない」とかいう分野を極力減らすことも上手くなるコツだと思いますね。
一定の方向性に特化することは人はありますが(私の中国史が三国志のみなのがいい例である😇)、基本的には「これしか書けない」みたいな人はその「これ」が通じない相手の場合、打つ手が無くなるのでプロ向きじゃない不器用な文章だな……と私は感じたりするのです
「これに拘って書くの好き✨」と
「これしか書けんしあと考えたくない」とかだと、
やはり様々な人間に理解される人や作品になることは不可能だと思います。
私の場合
【海に沈むジグラート】(中世、西洋系ファンタジー)
【その翡翠き彷徨い】(魔術師ファンタジー)
【アポクリファ】(近未来系異能者バトル系)
【晴明】(和風)
【花天月地】(歴史、三国志創作)
【闇のフクロウ】(異世界ファンタジー恋愛もの)
【FINAL DIPA】(現代風芸能恋愛系)
【無言のペルセウス】(犯罪都市警察系)
【花の目覚め】(バレエ 恋愛もの)
と大まかな所上げると、本当にジャンルが多彩で「書けない」というものがありません。万能型です!!! 何でも来い!!!! という感じです。
ですがこれだけジャンルが多彩であっても、
「ちゃんとあなたの考えとか書きたいことがどれにも入ってるのが凄いし、
どれを読んでも貴方の文章だなって分かる✨」
と言われたことがあり、
もはや文章や思想が確立された場合は、取り扱う舞台などは自分の好きなもの、興味のあるものを使って何からでも作品を生み出せるようになるわけです。
間違いなく私のこういう万能型の長編書きっていうのは、
多彩な趣味や興味を持ってる人ならではの特徴なのかなって思うんですよね。
どうなんだろうか。
プロは省きますが、あんまり私も自分みたいなタイプには会ったことがないです。
色んなジャンルを書ける人はいると思いますが、一つ一つがこんな長編で文量あって、それでいて多彩なジャンルでお見舞いして来るっていうのは非常に珍しいと思いますね。
短編なら多分こういう感じで興味あることがたくさんあり「今回はこういう話書いてみた🌸」みたいな人は珍しくないと思うけど、
私の場合書けば書くほど尚更自分の世界観にもドンドン掘り進めて行く傾向があるのでやはり習性として長編が好きなんだと思います。
全くタイプの違う長編艦隊を抱えて尚、
どの部隊も指揮出来るってのはなかなか見ないタイプの多才な指揮官ではないかと、
話がいっぱい膨らみましたが、2025年も気持ちよく!!
自分を自分でいっぱい誉めて締めくくりたいと思います!!🥰
締めくくりたいと思いますが、
私はお正月はスポーツを楽しみまくる!! 以外の目標は自分自身の作品を読み漁る!!! が伝統行事なので 年末年始時間あるから読書を楽しもうとか思われる皆さんとは考え方が違います
我が百万字艦隊を三つ抱える巨大コロニーの総司令官として、
正月はやはり我が防衛部隊に抜かりはないか、視察して確認作業をしなければなりません!! よって正月は普段時間を見てしかなかなか出来ない自分のコロニーの装備や設備を確認し、新年に備えよう! という高いプロ意識を持ってるので、
自分の作品に没頭します!
自分の作品大好き!!!✨
みなさんも自分の作品大好きだと思いますが!!
どうですか!!
正月三箇日自分の作品をじっくり読み耽りたいと思うほど愛していますか!!
自分の書いた内容に満足していますか!
私は大満足しています!!
すっごい面白いです!!
でも自分の作品が自信を持って大好きならば、全然そういうこと出来るはずですよね。
他人に読まれたいと思うものを作りたいのであれば、
誰よりも自分の作品は自分で読むくらいしないと。
本当に貴様この話自分で読み込んだか?
そしていいと思ったか自分で?
と疑うような内容をお見舞いされることありますが、
私は自分の作品を書いた後も気に掛けない作者とか嫌いですので、
どうぞ自分の作品がこの世で一番最高だ!!と思うならばじっくり正月を使って読み込んであげてください
私はそうします✨
義務じゃなくて無茶苦茶楽しみで本当に今からソワソワしています
てか今からもう読み始めます
何から読もうかな~~~~~✨✨
読んだら色々そのことで感想とか考えとか私は生まれてしまうんですよ。
だからそのことを多分無茶苦茶近況ノートには書きに来ると思います。
が、あまりに自分の作品を使っての説明になると思うので、これはもう限定公開にしておきます。
大層な話は全然してません!😊 いつもの「こういう書き方好きなんだよねー🌸」とか「ここはこういう意図で書いたけど、ドラマとかでもこういうところつい見てしまうほど好き……✨」
とかそんなことばっかり書いてるのでどうぞお気になさらず!