• 異世界ファンタジー
  • 歴史・時代・伝奇

キャッチフレーズと魅力ある言葉の違いを完全に掴む

早速6月11日のW杯開幕に向けて(?)セリフの選抜に取り掛かったんだけど、取り掛かった矢先に気づいたことがあります。


私先ほど魅力的なセリフを選抜する作業を「キャッチフレーズを何にするか?」の時に吟味していると書きました。


折角なので我がコロニーからまんべんなく魅力的なセリフを選抜しようと思って短編とかも読んでいたのですが。


例えば【2000分の一の微笑】という話が短編にあります。
このキャッチフレーズは『こいつ、俺が隠したとかは一切考えないのか』なのですけど。

これ確かにキャッチ―なのです。

キャッチフレーズとは、カクヨムの所にも書いてある通り「読者の興味を引くフレーズ」であることが最重要です。

なのである意味、

なになに? どういう意味?🥰

と思ってもらうこともとても意味があるので、『こいつ、俺が隠したとかは一切考えないのか』というのは<こいつって誰なの?><何故隠したの?>という点で疑問を残す形でキャッチフレーズに選んだのですが、


実は、私が魅力あるセリフと定義したのは「作者の実感が籠り、意図と理由があり、どう魅力的か説明が出来る」ものです。

まあ私はセリフはなんでも本気で書いてるのでそもそも気合いの入っていない意味のないセリフなんぞ書いたのはこのアカウントには一つも上げてないので、実はこの『こいつ、俺が隠したとかは一切考えないのか』も、情報屋として狡猾で抜け目のない新堂朱里が、貴田に対しては信頼しきっていて、貴田が他人を騙したり出し抜いたりもする男だと知っているのに「なんで俺が隠したとこいつは考えないんだ」というのが女ごころが分からん貴田には面白くて、

女を面白いとほぼ思わない貴田という男が

朱里の純粋さや素直さや無防備さを見遣った時に面白く感じて、
もう面白く感じた時にそこにすでに「愛情」があるタイプの男なんだよなーっていう意味で、個人的にはすごく意味があって気に入ってる、貴田という男が口にしたセリフの中でも魅力的な言葉だよなとも思っているのですけれど、


ただそれは話を随分読んでからの話です。
貴田と朱里の関係性や、それぞれの人間性が分かってからのこと。

魅力的なセリフというのは、
その話を全く知らん人がそのセリフを読んだとしても「なるほどな」「いい言葉だな」ということが分かるセリフだということも付け加えさせてください。

いわゆるそういうセリフではこれはなく、

キャッチフレーズというのは確かに大層な内容の言葉であるかよりも、
【人の興味を引ければいい】
というのが最重要なのかもしれません。

だから「語感がいい」とか「耳に残る」とか「意味が気になる」とかいう方が重要なのです。

それがキャッチフレーズ。

ある意味そこに宿る作者の実感や魂は【二の次】です。






――ただし。





実際の小説の内容、セリフはそうはいきません。

いわばキャッチフレーズは「小細工」です。見栄えがいいパッケージやパッケージに書かれた文面。
内容が美味しかったり面白いかどうかはまた別なのです。
そして消費者は金を出してそれを「確かめる」のです。
買うまでは誘導できても、買って確かめられた時に内容まで小細工だったら、二度と消費者は買いません。


要するに今のカクヨムの風潮は、小手先の小細工に走って「一つ買わせる」ことは出来ても、内容に拘っていない為、読めばすぐに内容の高が知れるものが非常に多いのです。売り上げが落ちているのもそういう理論だと思いますよ。

「一つ買ってみたけどつまらん」

そんなことがすぐばれるものを作っても、すぐ捨てられます。

こんなもん出版業だけでなく、仕事してる人はみんな常識だと思いますけどね。

しかも出版業なんてwebはともかく、「本」は手元に残ります。
残る所に本の魅力がある。いつでも手元に置いておける。その存在感がある。
私は人生である時、一気に突然ものすごい環境を変えたことがありました。
本来そういう人間ではないので、実は非常にその時期急激な環境の変化に不安を覚えました。


色んな手は打ちましたが、

私が一つ、やったことがあります。

どこへ行くにもバッグに、大好きな本を一冊入れたのです。
読みたい本ではなく、大好きな本を。
読むのが目的ではなく、お守りみたいなものでした。

環境が大きく変わっても、ずっと何回も見て来た大好きな本がいつでも手を伸ばす所にあるんだ、というのがその時すごく心の支えになったのです。
web小説にはあの圧倒的な安心感は与えられません。実際手の中に、大好きな本がいつもあってくれる、あの感じ。


あの存在感が本の価値なのです。


確かに昨今電子書籍は利便さにおいて需要は高まってると思います。


でも本を求める人は絶対ゼロにならないと思いますよ。
私が実際そういう人間ですが、いい本というのは内容が面白いだけではなく「人生の相棒のように、その手に寄り添える」のです。
物理的な存在感も、人間には必要なのです。
軽量化だけが価値じゃない。


だから「キャッチフレーズ」と「作中の魅力的なセリフ」は別物なのです。

前者はノリや閃きや、もしかしたら響きだけでもいいかもしれません。
しかし後者は小細工は通用しません。
本当に価値のあることを書かなければ。



話を読んでいて、全然セリフが魅力的じゃないな……と思う作品があります。



分かるんですよ。カッコいい感じに書かれたセリフとか、見た目を気にしたセリフなんだろうなということとか。
頑張って作ったセリフなんだろうなということは感じる。
でも中身がない。

キャッチフレーズなのです。

そういうセリフは。

見た目は一見いいが、内容は空虚なのです。

作者の実感や魂が入っておらず、耳当たりのいいフレーズでしかない。




多分私が「この作品セリフがすっごいい!!!」と思う作品と、
「まあ色々書いているのは分かるが、セリフに魂が籠っておらん。つまらん」と感じるセリフを使っている作品の違いはここです。


キャッチフレーズ止まりのレベルのセリフしか使ってないんですね。恐らく。


私がすげぇこの人のセリフ!!! って思う人はもっと人生に追い詰められた時とかに思い浮かんだとしても、力や支えになる現実のパワーを持っています。


今まさにチンピラに絡まれている時に
【キャッチフレーズ】が浮かんでも全くチンピラに立ち向かう勇気になりません。
ただ魂の籠った作中の、魅力的な言葉は、もしかしたらチンピラにんだコラァ!!!!!!!💢💢と殴りかかって立ち向かう勇気を与えてくれるかもしれないわけです。




どうも自分の作品のセリフにパワーがないな……と思われる方は、キャッチフレーズ止まりのセリフに終始している可能性があります。

要するに見た目はいいし、見た目を気にしているセリフだが、
格好だけつけてて中身がないのがバレる程度なのです。

ではこういう場合どうすればいいか?

まあ打つ手はありません😇
今日見事じゃなかった人間が明日から見事な人間になれない理論と同じで、
そんな簡単に自分の扱えるセリフの技量は向上しません。

しかし世に溢れる、現実の力ある言葉をたくさん聞くようにして、
どこがどう凄いのか、ちゃんと自分で理解出来るところまで、人の言葉とかを聞くよう心掛けること。
言葉を大事にすることですよね。

私は才あるアスリートの言葉(名言とかではなく、インタビューなどの日々の言葉)を聞くのが好きで、あの人たちは現実で自分の身体を戦いの場において、実戦を戦っている人たちだから、局面で出て来る言葉に「現実のパワー」が宿ります。

勝った喜びや、感謝の言葉、戦う覚悟や、負けた時の、悔しさを飲み込むための言葉も。

恐らく戦記物という私が最も得意とするジャンルと「スポーツ」という勝敗を決めるジャンルの世界観の「言葉」が非常にマッチするんだと思いますね。

合うんですよ。

だからすごく為になるのです。

海外ドラマの字幕とかにも非常に優れたセリフが存在します。

要するに言葉のパワーが足りない人は、自分の中にある【言葉】自体が足りてないのです。
私はセリフを書く時、自分の中から湧き上がって来るものを言葉にするような感覚がありますが、下手期はこの感覚がありませんでした。もっとなんか外界にある言葉をパッチワークのように繋いで、自分の言葉のように作っていた感覚が強かったです。

今はそういうの全くありません。

全部自分の中から探す言葉が分かるし、それを引き出すことも出来る。

欲しい言葉が探すとちゃんと自分の中にある感じなのです。

私は元々周囲に素晴らしい言葉を紡いでくれる人が全くいない環境だったので、他人の言葉の中に光あるものを探すのがとても好きでした。
力を与えてくれるような言葉には非常に鋭く、
それも枯渇していたから余計にそうだったんだと思いますが。

言葉を大切にしたり、したいと思う気持ちは強かったです。

セリフを大切にする下地はあったんですね。

魅力的な創作とかを読むと、素晴らしいセリフがたくさん溢れていて。

現実の自分の世界と比べた時に、「なんで私の周囲にはこんな素敵な、人生の支えになるような言葉を言ってくれる人がいないんだ」ってすごく思っていて、余計色んな世界に力ある言葉を探して求めていたんだと思います。


そういうものですよ。


小説を書くっていうのは。


一朝一夕でいい話を書こうなどと思う方が考え方ふざけてます。


自分の文章を変えたかったり、向上させたかったら、
自分の考え方や物の見方を変えないと。
今まで見ようとしなかったものみも目を向けてみたりすると、今まで知らなかった世界に触れれば自分自身に影響が生まれます。

そういうものを大切にし、
いい影響に出来れば(悪い影響は受けないよう、弾きましょう。それも文を書く判断力やクレバーさになりますし)劇的に自分自身が変わっていきます。


私はある時【スポーツ】に出会って、
それまでのジオラマのような作り物の世界が一新されました。


それまでは想像や空想こそ、自分自身をどこまでも自由にしてくれると思っていましたが、今は現実が一番大切で力があって、それを軽視してはいけないんだという考えに変わりました。
これはスポーツが私に現実の鮮烈さや凄さを見せて、考え方を変えてくれたんだと思っています。

そして現実には思い通りに行かない辛いこともあることをちゃんと把握したので、時折創作で、現実には起こらないような奇跡とか、救いとか優しさを書くようになりました。


この世で本当に価値があるものが分かるようになったんですね。多分。
自分なりに、何が正しくて、何が間違っているのかとか。


そういうのが分かって来た時、多分自分の使う言葉も、
変わって来るんだろうなって思います。


私は小説って、心がけて、努力すれば絶対にいい話は書けるようになるものだと思っています。書きたいならね。

私はいわゆる、輝くような文章の才能はないですが、
「書きたいと思う」
才能は、圧倒的なものがあります。

書きたいと思える才能がある場合、努力すれば必ず文章力は上がるし、いい作品を作れるようになる。素晴らしい言葉も使えるようになる。

スポーツは才能が無いと、優れたアスリートには絶対になれません。
いくら努力をしても、才能ある選手と同じことは凡庸な才の選手には出来ません。
これは申し訳ないですが残酷な現実です。

ただそんなものに比べたら、文章は遥かに努力で向上させられます。

上手くなれる。
素晴らしい言葉も使えるようになる。


ただたった一つ、絶対いい話を書けるようにならない人がいます。


【面倒臭い】


とすぐ言う人。

これは無理です。

「すぐに自分が変わりたい」
「すぐに結果が欲しい」
「すぐに良くなりたい」
「すぐに楽になりたい」

そうするために出来るだけ効率よく、出来るだけ楽をしようと考え、

地道な努力などを

「面倒臭い」

とすぐ言う人。



このタイプはもう小説を書く才能はないです。
まあ上手くもならないでしょうが、書き続ける才能がこのタイプありません。


私はプロではありませんが、心持ちは生粋の作家だと自分でも思ってるので、


この世で最も友達になる気がしねえのは実はこのタイプです。
すぐ面倒臭いとか言う奴はこの世で一番嫌いだし肌に合わねえ。


アスリートの運命を左右するのは確かに才能です。
でもその才能も「地道なトレーニング」などを軽視して疎かにすると、たちまち腐ります。

なので才能ある選手たちはみんな「結局地道なトレーニングを重ねることが大切」
「上手くなる秘訣は誰よりも頑張って練習すること」とそんな当たり前のことを言われてもな……と全ての人が思うようなことを言います。


が、


つまるところ、それは真理なのです。


優れたものになりたかったり、優れたものを作りたいなら、努力することは避けられません。


それに立ち向かうことが苦労や面倒だと一切思わないでいられる仕事に出会ったとき、それがその人の天職なのです。


面倒臭がらない人大好き!!!🥰


ジグソーパズル愛好とか見てもらえば分かると思いますが、
私は好きな物や興味あるものに、努力を一切惜しみません。
面倒臭がり屋の正反対の場所に位置する種です。

明日明後日のことで、いいセリフは生み出せるようになりません。

でも。

本当にいい話を書く作家になりたければ、今この瞬間から「言葉を意識して大事にするようにしよう」と思うだけで、一日一日の過ごし方が変わって来る。

もうちょっとで6月になります。約半年過ぎたことになります。

今日から意識が変わったらあと半年。

大晦日には随分と自分の作品で使う言葉が変わっているはずだと思いますね。

そう考えれば小説というのは、変えようと思えば今すぐにでも変え始めることは出来るんだと思います。


そういう所もすごく好きなんだよね🥰


コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する