◼︎ なぜMCバトル編が必要だったのか――作者コメンタリー
ボクは好きな映画にたまにオマケでついてる監督コメンタリー(オーディオコメント)を見るのが好きです。
監督と一緒に作品の解釈の答え合わせをしてるような、あのまったりとした時間が。
なのでこのノートはクソ長いです。コアなフェイクスターの読者むけです。
ボクと同じような趣味の人に向けて書いてます。
さて・・・・
第二章「MCバトル編」は、ボクにとって最大の賭けでした。
正直に言います。この章を書き始めたとき、自分自身でも成功率はかなり低いと思っていました。
なぜなら――
◼︎ 圧倒的に読者を選ぶ内容だったから
一章が終わった時、カクヨムの現代ドラマ部門の週刊ランキングで3位〜5位になり順調でした。
なので底辺Vtuberの活躍と逆転を素直に書く方が良いんじゃないかと迷いました。
でもそれは、この作品を書き始めた時に伝えたかったことではなかった。
人気を取るか、書くべきものを書くか——まさに『選択』を迫られていました。
考えてみれば結果は明白なのです。
Vtuber小説を読みに来た読者が、突然MCバトルの世界に放り込まれる。
韻を踏んだリリック、フリースタイルの駆け引き、ヒップホップ文化への深い理解――これらすべてが、読者にとっては「想定外」のはずです。
実際、軽いノリでVtuber小説を楽しんでいたライト層の読者は、この章で離脱しました。PV数がガクッと落ちたのも事実です。
でも――それでよかったんです。
ボクが欲しかったのは、「数」ではなく「深さ」だったから。
表面的なエンタメとして消費されるのではなく、YUICAという人間の魂の変容を、本気で追体験してくれる読者の心に「刺さる」作品にしたかった。
◼︎ なぜMCバトルだったのか
ボクは昔、日本語ラップをダサいと思っていました。
偏見から共感へ——偽物から本物へ。
このテーマを目指すために、ボクは嫌いだった文化へのリスペクトを書きたいとおもったんです。
でも知れば知るほど、日本語だからこそできる言葉の美しさに気づいた。
韻を踏みながら、人の心に届く言葉を紡ぐ。即興で相手と向き合いながら、敬意を失わない。そのリリックには、人が持つ共感と救いがありました。
YUICAというキャラクターは、その言葉の力に救われて深化していったんです。
本物のラッパーの奏でるリリックは、ボクのベンチマークになっていきました。
彼らの言葉には知性があり、即興性があり、そして何より――相手への敬意がありました。
ディスるイメージが強いけどMCバトルが目指しているのは破壊ではなく、対話なんだと教えてくれた。
もちろんボクの韻を踏んだリリックは、プロのラッパーから見れば稚拙かもしれない。
MCバトルの描写も、本物を知る人から見れば物足りないかもしれない。
でも――
本気で書けば、伝わる。
不完全でも、本気なら届くということを、自分自身で証明したかったのかもしれないです。
◼︎ 第三章への「説得力」を作るために
もしMCバトル編がなかったら、YUICAがJ-ROCKフェスという大舞台に挑む説得力は、まったくなかったでしょう。
「Vtuberが頑張ってロックバンドやります!」――それだけでは、ただの夢物語です。応援はされるかもしれないけど、心を揺さぶることはできない。
でもMCバトル編を通じて、YUICAは――いや、田中美咲という36歳の女性は――言葉で戦う術を身につけたんです。
1000本ノックという地獄の特訓。MC婆という師匠との出会い。猛烈な修練、本物たちとの激闘。そして最後の、婆の死と継承。
この過程があるからこそ、YUICAは「偽物」ではなく「本物」になれた。
アバターという仮面の下にある、36年間否定され続けてきた魂が、ついに自分の言葉で戦えるようになった。
これがなければ、第三章で「本物」の音楽に挑む姿があまりに滑稽に見えたかもしれない。
◼︎技術的な挑戦――韻を踏んだリリックの困難さ
MCバトル編を書くのは、本当に大変で、ボクにとっても前例のない挑戦でした。
実際のMCバトルの動画を何十本も見返し、リズムを口に出して確認しました。
ついでに音楽にしてみたりもしました。
※Yutubeに公開してます
https://www.youtube.com/@%E6%9C%88%E4%BA%AD%E8%84%B1%E5%85%8E特に準決勝のミスティ戦、最終決戦のMC-CODAMAとのバトルは、かなりの時間をかけて書きました。
でも――やってよかった。
なぜなら、この技術的な挑戦が、作品に「本気度」を与えたからです。
読者には作者が本気で書いているか、適当に流しているか。伝わると思ってます。
ボクが本気でMCバトルに向き合ったから、YUICAも本気でバトルできた。
その誠実さが、残ってくれた読者の心に刺さったのではないかと思ってます。
まあ勝手にですけど。
◼︎「継ぐ」ということの意味
MCバトル編の真のテーマは、お気づきの方も多いと思うのですけど「継承」でした。
MC婆だけではなく、兄弟子たちの想いもすべてをYUICAが継いだものです。
そしてYUICAが次の世代に継ぐもの。
これは、すべての表現者が直面する問題です。
師匠の技術を、どう自分のものにするか。先人の想いを、どう次に繋げるか。
そして――人が自分が死んだ後、何を残せるのか。
婆のマイクを握りしめて、最終決戦に挑むYUICA。
あの場面に、ボクはすべてを込めました。
これは、死者との対話であり、同時に自分自身との対話でもある。
◼︎第三章への橋渡し――「革命」の準備
MCバトル編の最後、YUICAは「革命」を起こしました。
底辺Vtuberが、MCバトルの頂点に立つ。
それは、業界の常識を覆す出来事でした。普通はありえないかもしれません。
でももしかしたら、いつか、誰かが本当に達成するかもしれない。
だからこそ――それはまだ、過程に過ぎない。
第三章で、YUICAはさらに大きな革命に挑みます。
J-ROCKフェスという「本物」の舞台に、「偽物」であるVtuberが乗り込む。
その説得力を作るために、やっぱりMCバトル編は必要だったという結論です。
完璧じゃなくていい。偽物でもいい。
でも、本気なら――本物になれる。
MCバトル編は、そのことをYUICAに教えると同時に、ボク自身にも教えてくれました。
さあ、第三章もいよいよ後半、すべての章をまとめるクライマックスに向かいます。
YUICAの革命は、まだ終わらない。
ここまで読んでくれたあなた!
すごく胆力がありますね。ありがとうございます。
これに懲りず、引き続きよろしくお願いいたします。