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縦と横の話。

また、AIと何でもないような一文で、ドンパチやっています。

「……魔力が余剰なのですから……何か私に魔法をかけてください。
それで消費できるかと……」

この一文が、説明的でダメですか。そうですか。

「……魔力が余剰なのでしょう。
でしたら、何かに付与して消費なさっては?」

こっちを提案されたけど、マデルナはこんな冷たくツンケンしていないよ。
そもそも最初は発言したキャラも取り違えていたし……

イラっと来るのは、自分が正しいのか、自分が正しいと思い込んでいるのか――わからなくて、執筆が苦痛です。
でもきっと、私の思うがまま書いたのでは、伝わらない読まれない届かない文章になるのです。


この土日は、考古学の勉強会と、短歌の講演会に参加してきました。
まったく違うジャンルの内容です。

考古学の方は、縄文後期の有名な研究者S氏による、型式論や、中期後葉から後期前半にかけての土器の話でした。
その中で、土器型式は縦軸――通時論的な考え方ばかりされてきたが、
これからは横軸――共時論的な視点を持たねばならないというお話がありました。

短歌の講演会は、若山牧水関連だったのですが、三名の歌人の方がいらっしゃって、先日角川書店(!)から発行された若山牧水全歌集から、それぞれ5首づつ持ちより、講評を行いました。
その中で、吉川宏志氏だったと思うのですが、
現代短歌は、横軸の関係ばかりで、縦軸が語られていない。
短歌自体は、1300年以上の歴史を持つ、文芸なのに、縦軸の視点が断絶している。
そのために、斬新なことをした!と現代の歌人が作っても、明治大正の牧水や白秋がもうすでにやっていた――ということも多々ある。

とのことでした。

私はびっくりしましたね!

同じ週末に聞いた、全然違うジャンルの講演会で、
一方は、縦ばかりで横がおろそか。
もう一方は横ばかりで縦がおろそか。

まったく逆の課題を抱えているとは!!

いや……それだけです。


考古学の方では、
レヴィストロースの『仮面の道』
佐藤信夫の『レトリック感覚』
マルセル・モースの『贈与論』
を勧められ、近いうちに読もうかと思います。

短歌の方で購入を促された、牧水全歌集も欲しいな。

特に、『贈与論』は、原典を知らなかったので、読みたいですね。


そして――、どちらも、先生と呼ばれる人はすごいです。

特に、短歌の方は短歌というジャンル性もあるのでしょうが、一粒一粒の音・字の読み方、磨き方、切り方が、鋭くて鋭くて、
普段私の書いている文の鈍重さに反省するばかりです。

まああそこまで研がなくても、大変参考に――仕切れる自信がない……

2件のコメント

  • ”言葉を磨く” とか ”語彙力” って、何だか最近よく耳にするのですが……。
    普通の生活には、何ら支障なしで。

    それでも、私達は、表現を発信していく側に立ってしまったので、悩んでしまうんですよね。
    やっぱり、ちゃんとその道の ”先生” と称される方の講義の中に、
    その道に向けての熱や発見や意義の中に、隠れた面白い表現方法が引き出されて来る。学びは変換されて現れて来る。
    面白ろそうです。

    考古学も短歌も、縦軸と横軸なんですね。
    (不勉強で分かりません……)

    しかし……。本の題名見ただけで、多分私には睡眠薬 *_*
  • 一見なんの関係のなさそうなものも、自分ごととして(この場合は、小説の肥やし)受け取ると、たのしいですね!

    縦と横ですが、
    縦は積み重ねた歴史や、時間による変容
    横は同時代の他者との対比や共鳴でしょうか。

    たとえば、100年後、悪役令嬢が実は主人公、という現代なら当たり前の設定が完全に廃れてる中で、誰かが書いたら新しい!と称賛された…
    これが、同時代のみで評価され、歴史的な検証はされてない状態になります。

    でも正直、100年前の大衆小説とか、思い浮かびませんよね笑
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