久留宮花香は除霊屋である。
不本意ながら、当代最強であった。
そんな彼女が一棟のぼろアパートの前に立ちはだかる。
「ここが今日の仕事場か?」
「ああ、除霊師は軒並み匙を投げた案件だ」
「くだらねぇ」
花香は両手に数珠を巻き付ける。
まるでバンテージのように。
「頼んだぞ」
「行ってくる」
花香はアパートの外階段に足をかける。
ギシギシ軋む階段をゆっくり確認しながら上っていく。
そして二階の外廊下に出た。
手すりはあちこち塗装がはがれかけていて、内側はボロボロに錆びている
体重を絞っている花香でも、体を預けるのは危険に思えた。
「ここか」
204号室。
ここに数々の除霊師を返り討ちにした悪霊がいる。
悪霊というよりも、神に近い存在らしい。
そんな恐ろしげな部屋の玄関の扉に手をかける花香。
そして無造作に引いて開けた。
「邪魔するよ」
挨拶は大事だ。
この世ならざる者であればなおさらだ。
「土足ですまないね」
靴を履いたまま玄関から入っていく。
素足で歩けるような状況ではないのだ。
引っ掻いたような壁の傷。
なぎ倒された家具。
割れるものはすべて割れて床に散らかっている。
『デデケ……』
靴を履いていても危険な惨状であった。
狭い1Kだ。
廊下を進めば、もう最後の部屋だ。
『クルナ……』
さらに奥に進むとベランダに続く窓。
開けるまでもない擦り切れたカーテンをよけてベランダに出る。
そこに長い髪を振り乱した女が立っていた。
花香は一瞬顔をしかめ。
そして、殴った。
『グギャアアア!』
渾身のショベルフックである。
女が、二階のベランダから吹っ飛んでいく。
花香は拳を戻すと、ばっと振り返る。
『オノレ……』
部屋の中央に巨大な女の顔があった。
2メートルくらいの顔が、床からせりあがってきていた。
その顔が邪悪に微笑む。
『ネジリ……コロス!』
その頭から黒髪が伸びてヘビのようにのたうち回る。
それが一斉に花香に襲い掛かった。
大量の黒髪に巻き付かれ締め付けられる花香。
だが……。
『ナゼダ……?』
花香は涼しい顔で立ち尽くしていた。
まるで何もなかったかのように。
否、何もなかったのだ。
「こんなにムカつくからには、なかなかのやつか?」
花香には霊が見えない。
感じることもできない。
霊感がないのだ。
ただし、花香には極めて特殊な感覚があった。
霊障が物質世界に及ぼしたわずかな変化を、ムカつくという感覚で感知できるのだ。
「わかりやすくて助かる!」
花香は巨大な顔の真ん中に、ハンマーパンチを振り下ろす。
『グメキョ!?』
そして、周囲から襲いかかってくるムカつく感じをひたすら殴る。
暗がりに淀む邪な守護霊を守ろうとすべての悪霊が押し寄せた。
だが、花香はふと感じた怒りに向けてストレートを放つ。
『ギャオオオ!』
反転しながらのフック。
『ギニャアア!』
からの、トルネードアッパー。
『ギョエエエエ!』
花香は殴った。
殴って、殴って、殴った。
その数だけ、悪霊が消滅していく。
そして、花香が一息ついた時、部屋は爽やかになっていた。
◇◆◇
「終わったか?」
「たぶんな。あたしには見えないけど」
男は部屋のあちこちを確認してから、緊張をとく。
「除霊完了だ。お疲れ」
「……てか、本当に悪霊なんかいるの?」
正直、花香にとって霊の存在は胡散臭い。
「でなきゃ、こんな金は出せんて」
男は分厚い封筒を差し出す。
「金さえもらえりゃ何でもいいけどな。またよろしく♪」
「こちらこそ」
二人はお互いの名前すら知らない。
コンタクトはSNSのDMのみ。
依頼者と協力者でしかなかった。
◇◆◇
『S案件の地鎮が完了しただと?』
「はい、先ほど」
『あれ神霊級b9だったろ! いったいどんな霊能者が?』
「それは、秘密って約束なんすよ」
『いや、そんな実力者ならランカーを洗えばわかるだろう』
「弱りましたね。ま、そんなわけで後処理をお願いします」
通話を切った男は薄笑いを浮かべている。
わかるはずがないのだ。
花香は霊能者ではないのだから。
「b9が余裕とは恐れいるね。ひょっとするとb5、いやb1もいける?」
まあ、そんなことはないだろう。
それはもう歴史上の陰陽師並みだ。
でも、仮に?
……。
「ハハ! おじさん、ときめいちゃうじゃない」
未知の可能性。
まるで子供のような表情でくすんだ夜空を見上げた。
◇◆◇
男と別れた花香はジムでサンドバックを叩いていた。
やはり手ごたえがあるのはいい。
見えもしない何かに向かってシャドウしているだけだったからだ。
「花香! こっち来てスパーの相手してやってくれ!」
「オッケー、おやっさん!」
バンテージをまいて、グローブをはめる。
リングに上がると、不敵な笑みをひとつ。
キックボクサー花香の真の戦いはこれからだ!
