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アプローチの仕方

 僕はプロ作家の高野和明さんの『ジェノサイド』という作品を読んだ時、「スゲー」と思うと同時に「自分には一生かかっても書けないタイプの小説だな」とも思いました。それはダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』などを読んでも感じたことです。

 僕は昔から勉強が大嫌いな人間なので、上記のようないかにも「秀才」が書いたような作品は、自分には絶対不可能なことをやっているという点で、とても尊敬します。
 こういう圧倒的な知識量からくる説得力を持った作品に対して、同じようなアプローチの仕方で挑んでも、敵うわけがありません。
 だけど小説は立ち技オンリーのキックボクシングではなく、総合格闘技なのですね。小説は論文ではなく、あくまで小説です。

 僕は小説を読む時はだいたい二種類の動機を持って読みます。
 一つは、洒脱なストーリー展開や文章、堅固に構築された世界観や設定に対する、「尊敬」の念です。
 二つ目は、ストーリーや文章、表現の仕方や登場人物に対する、「好意」です。
「スゲー」と思うから読むか。「好き」だから読むか。この二つのどちらかがないと、たぶん読みません。

 読者に「スゲー」と思わせる作品を書くことは、並大抵の力では不可能です。
 だけど読者に「好き」と思わせる作品なら、もしかするとできるかもしれない。

 僕はSFが好きでわりと好んで読むし、SFっぽい作品も書いたりしますが、それはコアなSFファンからすれば「なめてんのか!?」と怒鳴られてもおかしくないような内容です。
 ただ僕は自分には初めから知識のちの字もないことを理解しているので、そういうところで勝負をしようとは思っていません。あくまでSFのエッセンスをお借りしているだけです。

 わざわざ強い人が鎮座しているリングに上がる必要はない。小説は様々な要素が合わさって成り立っています。そのどれか一つ、ストーリーでも、文章でも、設定でも、キャラクターでも、どれか一つでも「好き」と思ってくれたら、その読者さんは自分の作品を読んでくれるかもしれません。だから自分なりの手法と趣向で攻めればいいと思うのです。

「好き」って、なんだか説明のしにくい言葉ですよね。こうこうこういう理由があるから好きというより、なんとなく感覚的に「好き」なんです。
 そういう誰かが「好き」と思ってくれる作品が書けたらなあ、と思ったりします。

 あ、やばい。柄にもなく真面目に語ってしまった。次なんか書く時は、もっとラフに書きます。

 それではみなさまごきげんよう。

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