人は人生のなかで多くの暴力と出会う。
別にクラスメートや親にプロレスごっこされたり、職場やバイト先でハラスメントされたり、そういう犯罪になりそうな、直接的なものに留まった話じゃない。むしろそれらは暴力の中では相当レアケースだ。
刺激的なコンテンツとの遭遇、迸る才能の存在、深く悩む二者択一。これらすべて、暴力といえば暴力だろう。例えば世界的スターが自分のハイライトシーンを公開したら、多くの尊敬と羨望を集め、神経を狂わせることだろう。
正しいのか間違っているのか、その人のためになるかならないか、そんなことは関係なく暴力はある。
人生の壁が壊れる。扉をこじ開けられる。怪我を負わされる。同時に暴力の前に戻ることはできない。
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暴力を受けた人は主に二つの反応を見せる。
一つは暴力への怯え、自戒。自分がされたら嫌なことを人にしてはいけないという格言は、早い話、ジンジンと響く痛みや苦い体験を踏まえてはじめて説得力を持つ。恐ろしく感じられる。それが行き過ぎれば、自分や社会全体への恐怖に変わる。誰も信じられなくなる。何も行動したくなくなる。それは暴力を招くから。
そしてもう一つは暴力への誘惑だ。自分がされたように、「現に自分が屈しているように、相手を屈させたい」という欲求が生まれる。それは復讐だとか、報復の意味も大いに含んでいるが、理由なく、準備なく台無しにできる暴力の真髄に心酔しているケースもある。
暴力は悪というより、過剰に近い。善も過剰となれば暴力になる。全能感、それが人を進ませる。