今の子どもたちのように、一人ひとりにタブレットが配られている。
わたしの小さい頃は、そんな時代ではなくて。
小学生のころは、学校でのテレビ視聴は、何やら特別な時間だったのを覚えています。
授業中に見るテレビなので、教材番組なのですが。
よく視聴した記憶があるのは、道徳や音楽の時間でした。
その中でも、社会の時間に見た教育番組がとても印象に残っていて。
多分、ローカルの番組だったんだと思います。
住んでいた地域の花である「百合」が、地域の木である「銀杏」になって、最後は地域の鳥である「かもめ」になって飛んでいく。
その番組のオープニングはそんな映像でした。
地元愛や地域愛が格別に深かったわけではない小学生でしたが、
「百合」「銀杏」「かもめ」は、大人になって、生まれ育った地域を遠く離れた今でも、その三点セットは、わたしの中に深く根ざしているように感じています。
だからなのか。
今頃の季節、秋が深まるこの季節になると
いろいろな通りに街路樹として植えられている銀杏の美しい黄色に出逢うと、
居ても立っても居られなくなります。
この時期に出逢う“美人さん”に、わたしの写真のフォルダは埋め尽くされてしまいます。
そんな感じで、今日も出会った美人さんを撮影してきました。
抜けるような青空に、凛として立っている姿がとても美しかったです。
葉っぱを落とさない針葉樹もあるけれど、
来るべき寒く長い冬へ向けて葉を落とし準備を始めている落葉樹たち。
その、準備の姿さえもこんなに美しくて、毎年楽しませてもらっていて。
だから、せめて「きれいだね」「美人さんだね」と声をかけたり
心で思ったり、目で“愛(め)で光線”を送ったりしています。
やがて、全ての葉が落ちて。
まるで枯れ木のような状態になる。
寒い冬を、吹雪の日も、自分の場所から動かずにじっと耐える。
その姿だけを見れば、とてもその中に生命の芽があるようには見えない。
まさに『うずくまる、とき』
それでも。
やがて長い冬が過ぎて、暖かくなってきて、枯れ木のようだった木から芽が吹き出す。
そしてまた、春がやってくるのですよね。
きちんと四つ巡ってくる季節がある。
四季のある日本に生まれて、暮らしていることに、とても幸せを感じます。
うずくまるから、また新しい生命が芽吹く。
今年の銀杏を見上げて、わたしにそんなことを囁いてくれているように、感じました。
