本編に入れるスペースがなかった、水蘭と昊明のその後。
##はじまりの恋
(承前)
水蘭が「逃げない」と決めた日からしばらく後。
昊明のマンションに、初めて水蘭が上がった。
「ここ、綺麗にしてるね」
水蘭が靴を脱ぎながら言う。
昊明は「まあ、今日は特別だから」と笑って誤魔化す。
でも手が少し震えてるのを自分でも気づいている。
リビングのソファに並んで座る。
ワインを注いで、乾杯。
会話はいつも通り、軽い昔話から始まる。
でも今日は、空気が違う。
昊明がグラスを置いた瞬間、水蘭が先に動いた。
そっと昊明の頰に手を置いて、キスをする。
軽く、触れるだけの。昊明の息が、止まる。
(……やばい)
頭の中で警報が鳴っている。
今まで何度も想像した場面が、現実になった瞬間。
水蘭の唇が柔らかくて、感覚が予想以上にリアルで。
水蘭が少し離れて、昊明の顔を見る。
「どうしたの?」
昊明は笑おうとするけど、声が上ずる。
「……いや、ちょっと」
「ちょっと?」
水蘭がくすっと笑う。
「昊明、顔赤いよ」
昊明は慌てて視線を逸らす。
「嘘だろ。俺、そんなんじゃないって」
でも耳まで熱い。
心臓がうるさすぎて、水蘭に聞こえてるんじゃないかと本気で思う。
水蘭がまた近づく。
今度は首筋に唇を寄せて、囁く。
「この間はあんなに強気だったのに」
昊明の体がビクッと反応する。
「水蘭……待って」
声が掠れる。水蘭は少し驚いた顔で離れる。
「嫌だった?」
「違う」
昊明は慌てて首を振る。
「嫌じゃない。……めちゃくちゃ、いい」
でも目が泳いでる。
「ただ、俺……今、頭真っ白で」
水蘭が目を細める。
「昊明が、そんな顔するなんて珍しい」
昊明は観念したように息を吐いて、額を水蘭の肩に預ける。
「……水蘭のせいだから」
小さな声で。
「十五の頃から、ずっとこうなりたいって思ってたのに」
「いざとなったら、俺の方がドキドキしすぎて……情けねえ」
水蘭は一瞬固まって、それから優しく昊明の背中を抱く。
「バカ」
笑い混じりの声。
「私だって、ずっとドキドキしてたよ」
昊明が顔を上げる。
水蘭の頰も、薄く赤い。
目が合う。
今度は二人とも、息を潜めてる。
昊明が、ゆっくり水蘭の唇に触れる。
さっきより深く。
でもまだ、どこか遠慮がちで。
水蘭が昊明の首に腕を回して引き寄せると、昊明の理性の糸がようやく切れた。
「水蘭……もう、逃げないって言ったよな」
声が低くて、震えてる。
水蘭は小さく頷く。
「うん」
昊明の手が、水蘭の背中に回る。
ぎゅっと抱きしめて、耳元で囁く。
「……俺、今めちゃくちゃ緊張してる」
「水蘭のことしか考えられなくて……
怖いくらい好きで」
正直すぎる告白。
それから、二人はもう言葉を交わさずに、ただ互いの熱を感じ合う。
昊明の指先はまだ少し震えてるけど、水蘭の手がそれを包むたび、少しずつ落ち着いていく。
結局、昊明の方が先に「待って……ちょっと待って」と息を切らして離れた。
水蘭がからかうように笑う。
「昊明、意外と可愛いね」
昊明は顔を覆って、ソファに倒れ込む。
「……殺す気か」
でも口元は、緩んでる。
水蘭がくすくす笑って、耳元でささやく。
「まだ始まったばかりだよ」
