第4話 名無し坊主

 何やら冷たいものが額に乗っている気がする。なんだろうか。


 重い瞼を少し上げると、女房とお侍さんが話をしていて、女房が涙を流している。お侍さんから何か言われたのだろうか。


 そう思ったら、身体に力が漲ってきた。

 わしの家族に何を言ったのか。

 体を起こし、腹に力を入れた。


「な……にを……言ったぁ」


 出る言葉に力は無く、なんとも情けない声が出て来た。家の囲炉裏の前でお侍さんと女房がこちらを見てポカンとしている。


 こっちが驚いたんだが?

 女房を泣かせるとは、お侍さん。酷いじゃないか。


「おぉ。起きる力はあったか。よかった。そこの飯をまず食え。そして水を飲め」


「おまえは?」


 女房に聞くと、頷いた。


「あたしは食べたよ。智吉も、津吉も食べたよ」


「そうか」


 握り飯を一口頬張ると、今までにないくらい米の味を、甘みを感じた。こんなに米ってうまかったんだなと実感した。


 二口三口と頬張ると、喉に詰まらせて水を流し込む。


「ぐふっ! ごほっ! ごほっ!」


「太吉さん。慌てんな。まだ飯はある。好きなだけ食え」


 なんでこんなに俺によくしてくれるんだ。まだ俺より若いだろうに。ただ、その顔はどこかで見たような感覚に陥る。


「お紗代は、なんで泣いてたんだ?」


 そう問いかけると、恥ずかしそうに顔を赤くしながら答えた。


「そ、そりゃあ、あんたが三日も飯も食わずに仕事を探してたって聞いたからさ」


 目を泳がせているお紗代。

 こういう照れ隠しがわかりやすいところが可愛いんだよな。

 まぁ、全部可愛いんだけどな。


「ばれちゃしょうがねぇな。情けねぇ話さ。それだけ探しても仕事が見つけられねぇんだからな。どうしたらいいのやら」


 また漠然と不安が胸を覆う。お侍さんに手ほどきを受けたからって今日は生き残れたが、明日は? 明後日は? これからどうしたらいいのか。


「落ち着いたら話そうと思っていたんだ。幕府が浅草雷門前にお救い小屋を作ってんだ。そこへ行くといい」


「なんですかい? そりゃあ?」


「昔の太吉さんみたいに、幕府が食うのに困っている人を助けてくれているんですよ」


 お侍さんはそういうと立ち上がった。

 ニコリと笑うと、戸を開け放ち外へ出た。


「じゃあ、お達者で」


「あっ! ちょっ!」


 お侍さんはそういうと去って行った。

 ちゃんとお礼も言えてないのに。

 昔の俺みたいに?

 どういうことだ?


 聞いた通りに浅草雷門前へ家族で訪れると、お役人が受付をしていた。そこで農家をしていて年貢も収められず、食べる物もないと説明するとここにくれば食事をくれるという。


 仕事も斡旋してくれるんだとか。その金は出ていくときにもらえるんだとか。


 こんなお救い小屋があるとは知らなかった。教えてくれたお侍さんに本当に感謝したいのだが、名前さえ聞いていなかったことに気が付いた。


 いつか、どこかで会えればいいのだが。


「あんた、昔あのお侍さんに会っていたんじゃないのかい?」


「……んー? どうだったかなぁ」


 遠い記憶の先で、頬に傷のある少年が道でうずくまって泣いている情景が頭に流れた。そこへわしは近づくと、握り飯を握って持って行ったのだ。


『わしは米農家だから、遠慮せず食え!』


『えっ? いいの?』


『いいんだ! 困っている人には優しくしろって父ちゃんが言ってた!』


 その顔は、お侍さんの名残があるかもしれない。

 頭の霧がパッと開けた。

 あの時の坊主か!


「はははっ。思い出した……」


「やっぱり知っていたのかい?」


「ガキの時に、気まぐれで飯を上げた坊主だ。まさか、お侍さんになっているなんてな……」


 恩を返してくれたのか?


 目頭に込み上げてきたそれを堪えることができなかった。

 女房と二人で静かに地面を濡らした。

 ありがとうよ。名無し坊主。

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名もなき救いの手 ゆる弥 @yuruya

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