第3話 米

 どれほど頭を下げてもダメだった。どこももう人はいらねぇってよぉ。わしはどうしたらいいのかのぉ。


 智吉と津吉の顔が浮かぶ。そして、女房のお紗代のことも。あれから三日帰ってねぇ。仕事を見つけるまでは帰らねぇって思ってたからな。


 しかし、なんもねぇ。どうしたらいいのかわからねぇし、わしの空腹加減ももういい加減限界だ。目が霞んできやがった。


 街の食堂からは、いい香りが漂っている。

 わしの腹はもう猛獣のごとき音が響いた。

 どうしようもなく、力も出ない。


 匂いにつられて店の裏へと行く。

 すると、ゴミ箱があった。

 いい香りがしている。


 何か食べ物が捨てられているんじゃねぇか?

 食べられればなんでもいい。

 蓋を開けると、残飯が捨てられていた。


 涎が零れ落ちる。

 なんでもいい。

 食えればなんでも。


 捨てられている物なら窃盗にはならねぇだろう。

 手を伸ばす。

 その手は何者かの手によって阻まれた。


 一体誰だ?

 わしの食事の邪魔をするのは!

 手の主を睨みつけると頬に傷のあるお侍さんだった。


「な、なんだ⁉ ゴミだから、盗人じゃねぇだろう?」


「……」


 無言で上から下まで見られ、何か品定めをされているのかもしれないと感じる。切るか、切らないかを考えているんだろうか。


「か、勘弁してくれよ。わしには、家族がいる……」


 咄嗟にそう命乞いをしていた。

 子供たちが苦しんで命乞いをしていたらどうすんだ。

 三日も帰らねぇで、女房へ二人を任せっきりにしている。


 お侍さんの動向を見る。

 切られそうになったら、後ろに逃げるしかねぇ。ゴミ箱を転がして、進路をふさいで──。


「何日食べてねぇんだ?」


 質問の意図を汲むのに時間がかかった。わしが食べてない期間を聞いているのか?

 なんでだ?

 なんのために?


「……もう三日は食ってねぇ」


「まず、これでも食え。そしたら話を聞いてやる」


 お侍さんから差し出されたのは、二つの握り飯だった。

 涎が口から零れ落ちる。

 米の匂いと、もらっていいんだという誘惑。


 食べてぇ。

 でも、子供たちと女房は食べることができていないかもしれない。

 もし腹を空かせていたら。


 そう考えると、わしは食えねぇ。

 後回しなんだ。わしは。


「お侍さん。これを、持って帰っていいでしょうか?」


「……? まだあるから、お前も食え」


「でしたら、女房に……くだせぇ」


 わしはいいんだ。

 家族を守らなきゃならねぇ。

 米があるなら、あいつらに腹いっぱい食わせないと。


「わかった。じゃあ、家まで一緒に行く。連れていけ」


 お侍さんに言われるがままに、街から少し離れたところにある三日ぶりのわが家へと帰ってきた。中へ入るのもはばかられたが、意を決して戸を開ける。


 開けると泣いている女房と子供二人がいた。

 

「帰ったぞ」


「……あんた……死んだかと思ったわ! どこで! 何してたんだい! 三人置いて! もう食料もなくて! 子供たちはお腹空いたっていうし! あたしもどうしたらいいかわからないときにいないし!」


 女房が立ち上がって駆け寄ると、身体を叩きながら文句を口にする。

 そうだよな。おまえも辛かったんだよな。

 わしはその辛さから逃げていたのかもしれないな。


「すまん。仕事を探してたんだが、見つからなかった」


「それでノコノコ帰ってきたのかい! どうすんだいこれから!」


「すまねぇ」


 初めて女房に頭を下げたかもしれない。でも、もうわしにはどうしようもなかった。どこも人が足りているし、賃金を払えねぇっていうし。


「割って入ってすまねぇ。どうか、旦那を責めねぇでやってくれねぇか。俺は通りがかりのもんだが、これでも食って落ち着いてくれ」


 お侍さんはそういうと握り飯を四つ出した。子供たちが喜んで飛びついた。わしも叱ることができなかった。だってそうだろう? わしのせいで飯にありつけないんだから。


「おまえも食べろ」


「あんたは?」


「わしはいい。先に腹いっぱいに食え」


 女房もお侍さんが差し出した握り飯を食べ始めた。

 子供たちも米を頬張って「おいしいね」と口にしていた。

 よかった。本当に良かった。


 安心したことで緊張の糸が切れたのか、身体の力が抜けて、目の前が真暗になった。


「あんた!」


 女房の声が遠くに聞こえた。

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