エピローグ:世界を照らす、一粒の飴

 神様が用意した「戻り道」の踏切が、遠い闇の向こうへ消えてから、数日が経った。

 二三夫は今、商店街の片隅にあるベンチに座り、夕焼けを眺めている。隣には、自分を陥れようとして自爆し、膝に大きな絆創膏を貼った小武が、不貞腐れた顔でサイダーを飲んでいた。


「……本当にお人好しだよな、あんたは」  

小武が、ボトルのビー玉を鳴らしながら呟いた。

「せっかくの『成功した人生』への切符を捨てちまうなんてさ。俺なら、迷わずあっちへ行って、今度こそ大金持ちのエルフにでもなってやるよ」


 二三夫は、自分の泥だらけのてのひらを見つめた。

「小武さん。僕はね、元の世界でずっと、自分を『書き損じの原稿用紙』だと思ってたんです。消しゴムで消して、まっさらな紙に戻りたくて仕方がなかった。でもね、ここで鹿野師匠に怒鳴られ、喜古師匠に飴をもらっているうちに、ふと思ったんですよ」


 二三夫はそこで一度言葉を切り、夕日に目を細めた。

「書き間違いや、インクの染みがあるからこそ、その紙には『僕の匂い』がついてるんだなって。綺麗なだけの白紙に戻るより、この汚れきった紙に、続きを書き殴ってやりたいんです。たとえそれが、また失敗の記録だとしても」


 小武は何も言わなかったが、サイダーを一口飲むと、二三夫の肩を一度だけ、乱暴に叩いた。


「おい、二三夫!  いつまで油を売っている!」  

路地の向こうから、雷鳴のような声が響いた。鹿野師匠だ。その横では、喜古師匠が割烹着の裾を揺らしながら、手招きをしている。


「さあ、夕飯にしましょう。今日は二三夫さんの大好きな、お芋の煮っころがしですよ」


 二三夫は立ち上がった。

 ふと見ると、足元の水溜まりに、自分の顔が映っていた。相変わらず情けない、何をやってもうまくいかない男の顔だ。けれど、その瞳だけは、元の世界にいた頃よりもずっと、生き生きと光っている。


 二三夫は気づいていた。

 この「ニッポンポン」という異世界は、魔法もなければ宝箱もないけれど、たったひとつ、元の世界にはなかった「魔法」が転がっていることを。  

それは、誰かが自分の名前を呼び、誰かが自分の失敗を笑い、そして誰かが、明日もまた「お前の居場所はここにある」と怒ってくれるという、平凡で、何より得難い魔法だった。


 二三夫は師匠たちのもとへ駆け出した。

「今行きます!  師匠、お芋は大きいやつをお願いしますよ!」


 神様は天の上で、分厚い記録簿をパタンと閉じた。

 そこには、文字ではない何かが、色鮮やかに輝いている。

 人生とは、首尾よく運ぶことではない。

 人生とは、どれほど「首尾悪く」転んでも、その泥のついた顔で、隣にいる誰かと笑い合えるかどうかなのである。


 夕闇が街を包み込み、商店街の街灯がひとつ、またひとつと灯り始める。

 二三夫の口の中で、喜古師匠からもらった飴が、ゆっくりと、しかし最後まで温かく溶けていった。


(完)

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僕の師匠は鹿野さん喜古さん 桃馬 穂 @kenkix

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