第四話:故郷(ふるさと)は、遠きにありて……?
異世界「ニッポンポン」の生活にも、二三夫の体はすっかり馴染んでしまった。
相変わらず鹿野師匠には
「なあ、二三夫さん。あんた、本当に元の世界に戻りたいのかい?」
商店街の裏路地。干された洗濯物が旗のようにはためく下で、小武がひどく真面目な顔で聞いてきた。
「そりゃあ、そうですよ。神様と約束したんですから。徳を積んで、立派な人間になって、元の世界で今度こそ『首尾よく』やってやるんです」
「ふん。立派な人間ねぇ。あっちに戻ったところで、あんたを待ってるのは、あの『ぬいぐるみの猫』だけじゃないのか?」
小武の言葉は、鋭い針のように二三夫の胸に刺さった。
確かにそうだ。元の世界での二三夫は、一人ぼっちだった。誰にも期待されず、誰からも叱られず、ただ透明な存在として失敗を繰り返していた。
それに引き換え、この「ニッポンポン」はどうだ。失敗すれば鹿野が怒鳴り込み、喜古が心配してくれる。おまけに、自分を騙そうとして返り討ちにあう小武までいる。
「……小武さん。もしかして、寂しいんですか? 僕が帰っちゃうのが」
「馬鹿を言え! あんたがいなきゃ、俺の騙し甲斐がなくなるだけだよ!」
☆
そんな折、神様が「抜き打ち検査」に現れた。
黄金の光とともに商店街に降臨した神様は、電柱に寄りかかりながら欠伸(あくび)をした。
「二三夫くん。どうやら少しは『徳』が貯まったようだな。今夜、あの踏切を渡れば、元の世界へ戻してやろう。ただし、これが最後のチャンスだ。どうする?」
二三夫の心が揺れた。戻れば「まともな人生」が待っている(かもしれない)。残れば、永遠に「怒られ役」のままだ。
そこへ鹿野がやってきて、二三夫の首根っこをひっ掴んだ。
「何をボケっとしている! 今日は隣町の火事の炊き出しを手伝いに行くぞ。お前は大きな鍋を運ぶ係だ」
「師匠、僕は……」
「返事は『はい』か『イエス』だ! 喜古さんがもう、おにぎりを百個も握って待ってるんだぞ」
☆
炊き出しの会場。二三夫は迷いながらも、必死に大鍋を運んだ。しかし、そこでまた「首尾の悪さ」が顔を出す。
小武が「ショートカットだ!」と教えた道が、実は工事現場のぬかるみだったのだ。
「うわわわっ!」
二三夫は滑った。だが、今回ばかりは大鍋を放さなかった。自分が転ぶことよりも、喜古が握ったおにぎりと、鹿野が仕込んだ汁物を守りたかった。
結果、二三夫は泥だらけの「巨大な人間の団子」のようになり、汁物は一滴もこぼさずに、しかし自分は鼻血を出して倒れ込んだ。
炊き出しは大成功だった。お腹を空かせた人々が、二三夫を笑い、そして「ありがとう」と言って汁を啜る。
☆
夜、神様が待つ踏切の前に、二三夫は立った。
「決めたかね、二三夫くん」
「……はい。神様。僕は、元の世界に戻るのを……延期します」
「ほう。なぜだね?」
「あっちで『首尾よく』やるより、ここで『盛大に失敗』してる方が、なんだかお腹が空くんです。飯が美味いんです。それに……」
二三夫は、物陰でハラハラしながら様子を窺っていた小武、そして腕組みをして待つ鹿野、優しく微笑む喜古を見た。
「あんなに僕を真剣に叱ってくれる人たちを、まだ放っておけません」
神様はくすりと笑い、消えた。
「そう言うと思ったよ。君の人生記録簿、次は『居残り修行』の章から始めるとしよう」
二三夫は、三人のもとへ駆け出した。
「師匠! 小武さん! 明日の稽古は何ですか? どんな失敗を用意して待ってればいいですか!」
「失敗を用意するバカがどこにいる! 叩き直してやる、こっちへ来い!」
月は高く、ニッポンポンの夜は更けていく。
二三夫の背中には、もう雨雲はなかった。代わりに、甘酸っぱいハッカ飴の香りと、師匠たちの温かな罵声が、夜風に乗ってどこまでも追いかけてくるのであった。
(第四話 完)
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