神功皇后幻想 弐 ー旅立ちー
@pane_melone
第1話 この胸に熾る火よ
海を吹きわたった
ほっそりとした三つ重ねの楼閣を取り巻くように、
もうすぐ
八並は、
「最終的な目的は、伽耶の
八並は、砂溜に描いた絵図のひとところを棒で示した。
「倭は
と云って、また異なる箇所を棒で示して、大きく丸を描く。
「伽耶であれ
その美しさから、誰もが喉から手が出るほど欲しがる玉。彼の地には、その玉が流れをなす
「ふむ……越で必要なものは、なんだろうな」
「玉以外の財ですな」
さらりと云い放ち、次いで、わはは、と八並は笑った。虚空津比売がねめつけると笑いをおさめて、
「まあ、いろいろでございますよ、比売。玉や
「どういうことだ?」
「どちらも少ない元手で多くのものを得たい。だから、はったりなど当たり前。よい落としどころはどこか探るのです。そして、損をさせぬことです。」
「損を、させぬ・・・?」
「足元をみて損な取引をごり押しすれば、怨みを残し、二度とその相手とは取引できませぬ。お互いに損をせぬ気持ちよい取引をすれば、また来い、よいものを準備しておくからと云われる。そのような、関係を築くのです」
「・・・・わかるような、だが、難しいな」
呵々と、八並は笑った。躰つきも大ぶりだが、口も大きい。鰐のように上下にぱっくりと開く。
「その辺は、我らに任せてもらえばいいんですよ」
「・・・そういうことだな」
絵図を見ながら、虚空津比売はまだ見ぬ
虚空津比売はおのれの
ちりちりと、身を焼く
それがまだ確かに胃の腑のあたりで
「虚空津比売様、お客様でございますけど。」
下枝の声が、虚空津比売を現つに引き戻した。戸口に立ち、風除けに
垂らした
「客?」
問い返すと、下枝は虚空津比売に歩み寄り、膝をついて声を低めた。
「はい、忍んでこられたようです。ご案内してもよろしゅうございますか」
「客が誰かわからなければ、諾も否もないだろう」
云うと、下枝は、ちらりと八並を見やる。虚空津比売は、構わぬ、と促す。
「
「
下枝はやかましそうに眉をしかめた。
「八並どの、船の上じゃありませんからそんな大声はやめてください!柱や梁が震えて崩れます!」
八並は意に介さず、またも大口を開けて笑った。
虚空津比売は、歯を剥きそうな下枝をなだめ、
「下枝、武内宿禰どのをお通ししてくれ。八並は、会うのは初めてだろう、挨拶するといい」
と云い、砂溜の絵図を消すよう、手で示した。
八並は竹を束ねた箒でざざと砂を撫で、絵図を崩すと、奥の壁沿いに座を移した。
武内宿禰は近くの棟で待ってていたのだろう。ほどなく下枝の先導を受けて戸口に姿をみせた。冷たい風が男と共に入り込んだ。
「ご無沙汰しております、虚空津比売様。御息災であられましたか」
武内宿禰は、旅装束ではあるものの、髭も
虚空津比売はその姿に苦笑し、胡坐の膝に頬杖をついて、
「久しぶりだ、が、おまえは変わらないな。初めて会ったときを思い出したぞ」
「虚空津比売様はますますお美しくなられました」
それを世辞ととらえたか、虚空津比売は軽く鼻で笑い、下枝に温かい飲み物を持ってくるように命じた。
「この前お訪ねしたのは
「ああ、長い
「八並と申します」
野太い声音が、びん、と柱や壁をふるわせた。
武内宿禰は、躰をそちらにむけて、軽く頭を下げた。
「武内宿禰でございます。では、八並殿は、北つ海の航路を?」
「は、然様、……越や出雲、伽耶あたりを我が庭としております。」
「それは頼もしい。」
武内宿禰は目を細めた。八並が挙げた地は、どこも北つ海の主な交易の
下枝が端女を引きつれて、碗と小皿を運んできた。碗には、醤で煮た昆布が1枚入っており、小皿には
「それで、今日はどうしたのだ。
「それが、残念ながら。この歳の改まりもまた、仲津日子大王は豊浦にて過ごされるゆえ、申し伝えにつかまつりました」
虚空津比売の、笹の様に鋭い射干玉の眸がざわりとゆらめいた。
「今年もか⁉竺紫に向かわれて、もう
「まことに。思うに任せぬところでございますが」
平伏するものの、その落ち着きぶりからは、永らく纏向を空けていることへの焦りは感じられない。
仲津日子大王の虚空津比売への妻問いは、武内宿禰の働きあってのこと。
この事態をこの男がどのように捉えているのか、その
思い返せば、武内宿禰が初めて角鹿を訪れてのち、この男が画策していた仲津日子の日継も、息長との縁組も、順風満帆とはいかなかった。
まず、その年の秋のはじめ、とうとう、
淤斯呂和気大王は息を引き取る前に、老いの床から、日継を名指しした。八坂入比売の生み参らせた
しかし、ここで
さらに、
仲津日子は
だが、その翌年、また熊襲からの
仲津日子が虚空津比売を妻問したのは、日継の年の秋である。
だから、虚空津比売は
虚空津比売は短いため息をついた。
「それで、纏向のほうは、どうだったのだ。ここに来る前に寄ったのだろう?」
「はは、お見通しでございますな。然様、留守居はしっかりつとめるゆえ、ご懸念なきようと仰せでございました。」
「誰がだ?
大中比売は、仲津日子が日継するまえに妻問した
「大中比売はそのようなことは。
ハッ、と虚空津比売はまたも短いため息を吐いた。
虚空津比売は頬杖をついたその指先で、自らの唇をいらいらと叩いた。
――貴女には、ここで私のための交易の拠点を築いてほしいのです。
気弱げな、もの柔らかな声音が耳によみがえる。
仲津日子が笥飯宮での盞結のとき、虚空津比売の手をとりながら、あの
――私は
仲津日子は、ヤマトタケルと称えられた父、
笥飯宮は、仲津日子の望みにかなう
「私も、行こうかな、
「……ひ、比売様っ?」
下枝の声が裏返っている。
下枝は砂溜を回り込んで虚空津比売の膝にとり縋った。
「比売様、なりません。比売様は大王の妃にして、この笥飯宮のあるじでいらっしゃるのですよ!」
幼いころから虚空津比売の側仕えをつとめてきた下枝だ。少々の無茶は聞きなれていた。だが、「云ってみただけ」という言質を取らねば、心安くならないことも身に染みている。
虚空津比売は手元の楚割を下枝の口に押しこんだ。
「妃だから云っているんだ。知っているか、下枝。淤斯呂和気大王が
大中比売の産みまいらせた王はもう七つほどになる。しかも二人だ。さらに七年経てば、御幾つだ?誰もが日継と認めているだろう」
だから、大中比売とその父、彦人大兄は、急ぐ必要はないのである。
下枝は悲しみとも怒りともつかぬ顔で唇を噛んだ。
虚空津比売は、下枝が大事に仕えてきた比売だ。それも、淡海だけでなく、その周りの丹波や多遅摩、そしてこの角鹿も糾合する大息長の
大王に肩を並べるほどの豪族の兄比売が、このように
「ですけれど、御みずからお出ましになるなんて」
それこそ、纏向の大中比売に侮られるのではありませんか。
「かもしれないが、ここでずっと待っていたところで、
纏向で、諸々の豪族の目に触れながらすくすくと健やかに成長する二人の
それが、最も脅威なのだ。
「八並、穴門豊浦宮に船は出せるか。」
八並は、
「あ、は、はいッ。比売様の御座船でございますな……まあ、積み荷や何かのこともありますからただちにとはいきませんが、ひと月ほどもあれば」
失礼、と断って、八並は砂溜に再び絵図をかきこんだ。
「角鹿がこちら、で、穴門はこの、
武内宿禰は、興味深げに砂溜に身を乗り出して、絵図を見ていたが、
「八並殿、北つ海ではなく、内つ海を通ることはできませんか」
と、八並の棒を引き取って、絵図に内つ海を描き足した。内つ海の南には、
「いやあ……俺は北つ海なら、北は渤海でも越の先でもご案内しますが、内つ海は勝手が違いまさぁね」
「どういうことだ?」
「さきほどもお話しした通り、我ら
「……、なるほどな。……ということだが、なぜ内つ海を通らせたいんだ?」
虚空津比売は、武内宿禰に水を向けた。続いて、砂に線を引く棒を武内宿禰から取りあげて、一つ所を示す。
「河内の津を出て、
播磨、吉備は、大息長と並ぶ大豪族だ。そのかみの
仲津日子は、吉備の勢力に取り巻かれている。息長のほうが、
「故にこそですよ」
穏やかに、しかし力強く、武内宿禰は頷いた。
「虚空津比売には仲津日子大王の妃として、この内つ海のくにびとと
夜也久。それはかつて虚空津比売に明かした、武内宿禰のまことの名だ。
虚空津比売は男の双眸に、久方ぶりに瓊珠の揺らめきを見た。
「なる……ほど、な」
砂絵図を睨みつけるように目を細める。播磨を、吉備を避けているようでは、それこそ物笑いの種というものだろう。
「比売様、ですけれど……肝心の船はどうなさるのです?八並どのが内つ海でお手上げなのでしたら、角鹿で
いつのまにか砂溜を覗きこんでいた下枝が、虚空津比売の傍らで疑問を呈した。
「あー……、」
失念していたとばかりに、湧きあがっていた熱い決意が急にしぼむ。ちらりと武内宿禰をみやり、尋ねる
「
「申し訳ございませんが、大王の妃の御座船とできるような船は、すべて穴門に出払っております」
「……そうか」
虚空津比売は胡坐の膝に頬杖をついて唸った。しかし、どれほど砂絵図を睨んだところで妙案が浮かぶわけもない。
奥では、楚割のお代わりを端女に要求した八並が、飽かず楚割を噛んでいる。
「…や」
「八並どの!海の事なら任せろと日頃大見得を切っておられるではないですか!なにか良い考えはありませんか?」
機先を制されて、虚空津比売は驚いて下枝を見やった。穴門に赴くなどとんでもないと反対していたが、虚空津比売が困っていれば親身になってしまう、そういう姉のような存在なのだ。
「…はあ、そうですなあ。」
八並は楚割を噛み千切って飲み込み、ついで器に残っていた冷めた湯も飲み干した。そして、ちょいと拝借しますよ、と云って、武内宿禰から砂掻きの棒を取り戻した。
「ま、我ら角鹿の衆は北つ海専門ですがね。比売様のお父上や、ましてや
八並が印をつけたのは、河内だった。
「父様と母様か……、」
虚空津比売は気が抜けたように、大きく息を吐いた。八並の云う通り、笥飯宮だけでどうこうすべきことではない。そもそも、そのような動きをするなら、まずは息長の
「まずは、父様に会わねばならないな」
「それは、よいお考えです。宿禰王様なら、よいご判断をいただけるでしょう」
下枝はうきうきと声を弾ませた。虚空津比売が首をかしげると、
「だって宿禰王さまなら、わざわざ穴門まで出向かずに済む何か良いお考えをお持ちかもしれないでしょう」
と笑んだ。
「夜也久、これからおまえはどうするのだ?
「いえ、私は新嘗や歳改の祭をこちらで過ごしてから穴門に戻るように仰せつかっております」
「どういうことだ?」
「仲津日子様の形代をお預かりしているのです。正式な宮処はいまだ定まっていませんが、纏向は
「おまえが、
それもまた、おさまりが悪い気がした。彦人大兄や、三輪の
「もちろん私ではありません。そのために、
中臣厳津は、大王の神祀りをうけもつ
「なら、
ええ?まだお出ましになるおつもりなんですか、と下枝が不満を口にした。新嘗の祭にそなえた
神功皇后幻想 弐 ー旅立ちー @pane_melone
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