エピローグ ビデオログ ― Video Log: The Plan We Never Reached ―

 ロウの手は、まだ温度を覚えている。


 棘の壁に触れたときの灼ける痛み。

 旗布が指に食い込む鈍い痛み。

 そして――手の中から、ひとつ減った熱の空白。


 戦線へ戻ったあとも、その空白だけは埋まらなかった。


 装備の点検を終えて、ロウは自分と彼女の荷を解く。

 旗の縫い目を数える癖が戻ってきて、指が勝手に布をなぞる。


 そのとき、底の方で硬いものが指に当たった。


 小さな端末。

 割れていない。

 濡れてもいない。

 ――不自然なほど綺麗な光を放っていた。


 ロウは喉の奥で息を噛んだ。


 RING-CAM(リング・カム)。

 心拍に連動して、持ち主の想いを受け止める。

 受け止めたものを、映像にする端末。

 そして――色にする。


 想いの色は、嘘をつかない。

 憎しみが混ざれば、濁る。

 偽塔の残響因子に反響した記録なら、なおさらだ。

 “終わり損ねた続き”に触れた拍は、だいたいそうなる。


 ――だから、ロウは息を呑んだ。


 荷の底から出てきたそれは、淡いのに、芯がある。

 雪に射す朝の光みたいに、冷たくて、きれいだ。

 触れた指先が、ほんの少しだけ温度を思い出す。


 (……トワ?)


 ロウは、端末の縁をなぞる。

 リング状の発光が、拍に合わせて、ひとつ、ふたつ、と瞬く。

 まるで「まだ残ってる」と言うみたいに。


 ――ルメルナ。


 あの街の、灰を含んだ雪。

 市場の匂い。

 袖を二回掴む合図。

 当たり前がまだ当たり前だった頃の呼吸。


 (トワが……撮ってたのか)


 答えは出ない。

 でも色が、否定しない。

 否定しないまま、リングが静かに輝く。


 ロウは喉の奥で、何度も飲み込んだ言葉を押し込める。

 代わりに、手で起動した。


 ――再生。


 RING-CAMは、拍を拾って、

 想いの重さを受け止めたまま、

 光を、映像に変えはじめる。


     ◇


 ねえロウ。

 これ、変なことしてるって分かってる。

 でもさ、私、怖いときほど“予定”がほしい。


 だから未来の話、撮っておく。


 まず、同じ皿で食べたい。

 別々でもいいけど、最初の一口だけは同じのがいい。

 「しょっぱ」って言って笑って、ロウが水を取りに行くやつ。


 次。

 同じ屋根で寝たい。

 布団はひとつじゃなくていい。

 でも夜、同じ音を聞きたい。

 外の風とか、湯が冷める音とか。


 それから、朝。

 先に起きた方が湯を沸かして、雪庇茶(せっぴちゃ)を入れる。

 私が先の日は、ちょっと薄い。

 ロウが先の日は、濃すぎる。

 喧嘩して、結局ちょうどよくなる。


 あと、旗。

 縫い直すんでしょ。

 そのとき隣に座らせて。

 何もしないで見てるだけでもいいから。

 縫い目が増えるの、見たい。

 ロウが“戻ってきた”って分かるから。


 最後。

 戦争が終わったら、言う。

 言うって決める。


 ……好き。


 はい終わり。

 これ、見つかったら最悪だから消す。

 消せなかったら、未来で笑って消す。

 ロウと一緒に。


     ◇


 映像がぷつりと途切れる。


 ロウは端末を握ったまま動けない。

 握る力だけが強くなる。

 拳にしない。

 拳にしたら、壊れる。


 画面は黒い。

 でも、ロウの中ではまだ風が鳴っている。


「……トワ」


 名前が、遅れて口から落ちた。


 “予定”が、胸の中で音を立てて崩れる。

 崩れた音は痛い。

 痛いのに、その痛みがロウを立たせる。


 ロウは端末を胸に押し当てた。


 手の中の熱が、戻らないことを知りながら。

 それでも。


 ――二人の分で、生きる。


 そう決めたのは、トワじゃない。

 今この瞬間、ロウの手だった。

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