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 朝。

 シャワーを浴びたあとの彼が帰り支度を終えるのを、僕ははだかでベッドに寝転んだまま待つ。

 シーツに散らばった赤い花びらを集めて退屈を過ごす。ベッドにも僕の肌にも人のにおいがまだ残ってる。

 の通り白い体の、腕から鎖骨、腹へと点々とつながる赤いあと。こっちの花びらはしばらくしたら紫になって、明日には消えてしまうんだ。きれいに咲いて、枯れて死ぬ。摘まれないまま。とってもきゅんとするね。

 からだをなぞったその指で、集めた花びらをひとつつまむ。齧ってみると、すこし苦くて酸っぱいような、みずみずしいようなくさいような、さらっとしてるのに粘っこいような、葉っぱの味がした。あれ、これって。


 身支度を整えた彼がやって来たから、僕は両手でライスシャワー。

 そう、僕は無邪気なウサギ。いつまでもベッドから出たくない、ぴょこぴょこ散らかし放題の、憎らしくて愛らしい子どもなの。

 僕の指を絡めとるおとなの指。自分で触るのはなにも感じないのに、他人の指となるととたんにくすぐったくなるのはなんでかな?

 笑ってしまう僕の茶髪を、彼は満足げに撫でる。柔らかいでしょ? もっと撫でていいよ、そのためにケアしてるんだから。

 毛なみの生えた手首をがっちり守る高そうな腕時計。警察官ドーベルマンはそうでなくっちゃ。


「いつでもかわいいな、ウサギちゃん」


 きもちわるい。

 でも僕は、垂れた濃紺のネクタイをきゅっと握って引き寄せる。彼は自分の背中ですっぽり隠れてしまうくらい細っこい僕の体に抱きついて、僕の肌のにおいを嗅いだ。


「ずっとこうしていたいよ」


 笑いがこみ上げてくる。本気? あなたが嗅いでるのはあなたのにおいでしょう?

 口を開こうとしたら、唇の裏の唾液の音がくちゃりと鳴った。そんなのに触発されてキスしてくるなんて、この人やっぱりおばかさんだ。

 だからあえて、絡めた舌を抜くときににちゃりと音を立てた。至近距離で見つめ合う。堪えきれなくて笑った。いいでしょ、僕はだもんね。


「ずっとこうしててよ」

「今日は大事な仕事があるんだ」

「じゃあ離れなくちゃ」

「じゃあ離してくれよ」


 彼はネクタイを握る僕の手を人差し指で示した。片眉を下げて片眉を上げるだなんて、おとなって器用だな。

 どうしよう、にやにやがとまらない。

 なにをしてるの、僕は?

 僕だっておとなじゃないか。

 僕は笑って、彼も笑った。それがますますおかしい。


 左手の薬指に光る指輪。こんな僕でも意味くらいしってるよ。つけたままで僕のからだを弄ったの、ねえ、どんな気持ち?

 秘密のホテルでと火遊びだなんて、わるいおまわりさんだね。

 僕は背伸びをして彼の額に軽くキスして、手を離した。


「遅れますよ、警視長」

「ここでそう呼ぶなよ」


 苦笑いをされても、彼の名前を覚えていない僕にはそれ以外に呼びようがない。ドーベルマンなんて呼んだらさすがに怒られるもんね、でもこの人なら、もしかしたらノリノリで伏せをしてくれるかも。


 彼はグレーのジャケットをさっと羽織って、テーブルにチップを置いていく。

 ドアノブを回す彼の背中、がっちりとした肩幅、ひかえめなストライプのスーツ、革靴の音。

 今度は制服で来てよ、って言ったら、来てくれるかな? そんないたずらっ子のウサギが僕の胸をときめかせる。

 口を開こうとしたら、振り向いた彼に先を越された。


「きみ、自分のスマホ持ってない?」

「すまほ?」

「いや、なんでもないよ」


 彼はまた片ほうの眉を上げて、もう片方を下げた。僕はつられて笑った。

 

 ねえ、どんな気持ちなの?

 自分の娘と同じ年ごろの僕を抱くなんて。

 ねえ、どんな気持ちなの?

 あなたが奥さんとしたのとおなじ営みを、男の僕としてるなんて。

 ねえ、気づいてる?

 僕とあなたの営みで生まれているのは、赤い花だよ。

 ねえ、気づかないでしょう?

 僕は娘さんと同じ年ごろじゃないんだよ。

 ねえ、気づかなくていいよ。

 あなたが呼ぶその名は、僕のほんとうの名まえじゃない。


 あなたはなにも知らない。

 僕のことを、なんにも。


「ねえ」


 振り向いたその首筋にきゅっと吸い付いた。

 滲んだキスマークは、もう一時間もしたらはっきりと熱を持つ。会議の議題に上がったらおもしろそうだね。


「またウサギと遊んでくれる?」


 うわべだけの言葉だと知っているはずなのに。

 僕の上目遣いに、彼は喜んで頷いた。



 ――ひとりの部屋。高い天井からぶら下がった間接照明。ダイニングと寝室がひとつづきの部屋。

 東側の壁は一面窓ガラスで、夜景や朝陽が楽しめるんだけど、閉め切ったカーテンは開けられないようにしている。ダイニングの液晶テレビも、電源はオフ。ここは外の世界とは切り離された空間。


 散らばった赤い花びらを見つめる。

 部屋に飾られているのはいつも白いユリだし、僕もさっきの彼もお花なんか持ってこなかった。

 いつもそうなんだ、気が遠くなるころに、いつの間にかそこにある、品種もわからない花びら。

 お客には演出ってことにしていて、幸い今まで疑問にもたれたことはない。

 でもこの不思議な花びらは、チップよりも大事な僕の収入。

 花びらを両手でかき集める。テーブルに置いてある透明の小瓶ボトルに詰め、付属の金のリボンをかけて、チップといっしょにダイニングテーブルに置いておく。ちょっと高級なフレグランスみたい。蝶々結び、毎日やってるからきれいにできるようになったんだ。

 これで僕の仕事はおわり。


 バスルームに行く。何度も体をふく。備え付けとはちがう香りの高い石鹸シャボンをまとわせる。汚れたからだを全て全て洗い流す。

 クローゼットを開けて、来たときと違う服を着て、来たときの服はゴミ箱へ。化粧水とボディミルクで肌を整えて、乾かした髪にクシを通したら“僕”のできあがり。


 ベッドサイドのロッキングチェアに座ってゆらゆらしながら、お迎えがくるのを待つ。

 広いダイニングで食事や談笑をすることもあるけれど、カウチソファで寛いだことなんてほとんどない。沈み心地のいいソファだから僕は好きだけど、ベッドと違って汚れたら張り替えができないからあまり使うなと兄さんに言われた。そんなこと言ったって、お客さんに押し倒されたら僕は抵抗できない、そう返したらでこぴんされたんだ。


 兄さん。お腹の奥がきゅんとする。


 明日の相手は男の人だっけ、女の人だっけ。

 痛いのはいやだな。

 ゆっくりと息をはいた。

 怖い? ううん、へいきだよ。誰であろうとなにも感じない。

 ただこの身を任せるだけ、僕は道具。

 お望みならいくらでもどうぞ。僕はウサギ、かわいいあなたのおもちゃなんだから。

 僕がこうして働けば、僕の愛しいひとがしあわせになるんだよ。

 僕は他になにもできないから、僕ができることをするんだ。兄さんが言ってた、これは、『ウサギ』は、僕にしかできない仕事なんだって。

 仕事終わりなのにもう夜が待ち遠しい。まだ出会っていない今夜のお客にもうお尻を振っている僕は、すっかり飼いならされてるね。

 

 定時に“運転手さん”が部屋のベルを鳴らしたので、僕はクローゼットから出したアイマスクをつける。送迎の時は絶対に外すなと、兄さんから言いつけられたルールだ。

 この暗闇が僕の朝陽。だからぼくは“運転手さん”の顔を知らない。


「ウサギさま、お迎えでございます」


 かしこまったモーニングコールとドアの開く音が、僕に仕事の終わりを告げる。

 


 

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