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信仰の話

ある作家さんが「ファンタジーの世界観をつくるときはまず信仰から考える」という話をされていて、なるほどと感動したことをふと思い出しました。

信仰とか宗教とかいうと、言葉が強いのでどうしても嫌厭しがちですが、なにを信じているかというのは確かに人間の根幹で価値観のもととなるものですよね。
前の近況ノートで触れた“うわべだけの方言”の話にも通じますが、キャラクター造形の肝になる部分をしっかり考察することで、より物語全体に奥行きが生まれるのだと思います。

で、私自身の信仰はというと、仏教です。
私が流行りの転生ものをなかなか受け入れられないのは、この仏教的価値観からきているのかも、と思いました。

転生ものの小説ではみんないとも簡単に人間に生まれかわって、前世の記憶をもとに人生やり直していますが、仏教ではもう一度人間に生まれるのって実際は無理ゲーらしくて、とりあえずみんな地獄に落ちるそうです。
寿命の人も早死にの人でも、どれだけ徳を積んだ人でも、基本的にみんな地獄です。

で、地獄から流転輪廻を繰り返します。地獄と輪廻転生の期間が長すぎて、人生やり直したいと思ってたこととかもすべて忘れます。
輪廻転生ガチャでスーパーレアを引いたやつだけがまた人間に生まれることができますが、また人間に生まれたということはまた地獄に落ちるということなので、実質詰んでます。

だからなに?リア充だし我が人生に悔いなし!って人も、こんな人生イヤ!別の自分に生まれ変わりたい!って人も、善人も、悪人も、みんな仲良く地獄に落ちる。理不尽ですよね、でも俗世のことはあの世に行ったらなんにも関係ありません。地位も名誉も財産も幸せも持っていけない。むしろすごく公平。

地獄に行かなくて済む方法はひとつだけ、極楽に行くことです。極楽は輪廻転生すっ飛ばして行けます。
じゃあそれをどうやってすっ飛ばすか、そこの部分は宗派によって違うのだと思いますが、目的はみんな同じです。どんな功徳を積むのか、なにと縁を結ぶか、だいじなことに気づけるか、です。

かなり勝手解釈をしているので間違っている部分もあるかもしれませんが、仏教信仰の考え方はだいたいこんなかんじ。


それでね。
自殺者は、極楽には行けない決まりだそうです。
仏教の考え方では、なので、実際どうかはわからないですが。
かつて、偉いお坊さんが私の目を見てそう言いました。どれだけ供養しても行かれないから、自殺はあかんで、と。

私が自分で死なない理由はそれです。

今は病気もあって、ちょっとしたことで落ち込むし、手の震えも止まらないし、頑張ってみてもぜんぜんダメで、誰からも必要とされなくて、すごくつらくて、消えてしまいたいと思うこともあります。
でも自分で命を絶つことは絶対にしません。
親兄弟を悲しませるから、負けた気になるから、死ぬのは意外と面倒くさいから、それらもありますけど、いちばんの理由。

私はなにがなんでも極楽に行きたいのです。
いや、こんな地獄よりも地獄みたいな人間の世界になんて、もう二度と生まれたくないから。
もう一回人間やり直すなんてまっぴらごめんです。


それでね。まだ続くんかい。

仏教で大切にしている心に「おかげさま」の精神があります。
自分の命は他の命をいただいて生かされている。周りの人に助けられて生かしてもらっている。私のようなものが、ありがたい。そんな感謝の心です。

おとなになると忘れがちだけど、これってきっと誰もが、小学生に上がる前に教わったこと。
そんな思いが新作『やきにく食堂にて』のラストにはこもっていたりします。
https://kakuyomu.jp/works/822139843157383477

SFホラー短編なので、教訓なんか気にせず読んだまま楽しんでもらえればそれでじゅうぶんです。
拙い作品ではありますが、多くの人に読んでもらえて嬉しく、ありがたいです。そして、みなさんとすてきなご縁でつないでくれる作品にも感謝しています。

結局自作の宣伝みたいになってしまいましたが。
おかげさまで、私はカクヨム楽しんでるよ!
一期一会のかたも、コメントで交流してくださるかたも、みなさんいつもありがとうございます(⁠ ⁠◜⁠⁠◝⁠ ⁠)⁠♡


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