リスボンの酒場女

敷知遠江守

船乗りなんて

 船乗りは嘘つきだ。

 みんな同じ。こうやって私の手を擦りながら、アゲルドゥ(=蒸留酒)の入ったグラスを片手に夢を語る。最後には決まってこう言うんだ。


「なあ今度、無事航海から帰って来たらさ、一緒になろうぜ」


 最初にそう言ってくれたのは幼馴染だった。初恋だったあの人は船乗りだった。胡椒を買いに行くんだ、帰ったら大金持ちだと言って船に乗って港を出て行った。でも、それっきり。嵐に遭って船が沈んだって聞いた。


 傷心の私の心を癒してくれたのは、そんな幼馴染の消息を知らせてくれた男。その情報が本当なのかどうか、それはわからない。だって船乗りは嘘つきだから。単に私の気を引くために付いた出鱈目なのかもしれない。でも私にはそんな事はどうでも良かった。その人は、帰らない彼を一人寂しく待つ日々から、私を開放してくれたのだから。

 だけど、その男も港を出て行ったまま。噂では、アラビア海近くでサムバック(=ムスリム船)に乗船が拿捕されてしまったらしい。


 次の男は海の遥か西に黄金の国があるなんて言っていた男。仲間からは『ほら吹き』なんて言われてたけど、私はそんな彼が愛おしくてたまらかった。

 だけど、彼も私に夢とアゲルドゥの香りを残して、突然姿を消してしまった。クィロンの酒場女とよろしくやってたのを見たなんて噂を耳にするけど、きっとそれは嘘。だって西を目指してた彼がインドにいるわけが無いんだもの。


 それから幾人かの男が、私の手をさすり、そして私の前から消えてしまった。まるで、港に入ってくる船のように癒しを求めて私の前に現れて、そして満たされたら出航してしまう。

 そして私の手の甲には、そのごつごつとした感触と温もりの記憶だけが侘しく残る。



 今日もまた、私はあの酒場に向かう。あの愛すべき荒くれ者たちに癒しを与えるために。笑顔で酒を配り、笑顔でお喋りして、お触りされたら笑顔で頬を叩く。そんな私を荒くれ者たちは持て囃してくれる。


 開店からどれだけ経っただろうか。最初はまばらだった席がいつの間には満席になっている。天井に吊るされた蝋燭がゆらゆらと揺れる。それに合わせて荒くれ者たちのジョッキを持つ手が揺れる。


 マスターが私を呼んだ。

 ギターラ(=リュートっぽいポルトガルギター)の弦がポロンポロンと悲しい音を奏でる。荒くれ者たちが「待ってました!」と囃し立てる。


 私はファディスタ(=歌姫)。この店だけのファディスタ。黒いワンピースのスカートの裾を掴んで、二つの燭台に照らされた舞台へと向かう。靴の踵がコツコツと音を立てる。


 調律を終えたギターラが哀愁漂う音色を弾いていく。それに合わせ魂のファド(=ポルトガル民謡)を歌う。何という悲しい歌詞だろう。

 こんな悲しい歌詞に荒くれたちは静かに耳をそばだてている。あれだけ騒がしかった荒くれ者たちが、この時だけは静かになる。涙を滴らせる者もいる。いつ海の藻屑となるかわからない彼ら。きっと、先に天へと航海に出てしまったかつての仲間を、こうして偲んでいるだろう。


 歌い終わると、荒くれ者たちが一斉に拍手を飛ばした。唇に手を当て、彼らに向かってキスを投げる。荒くれ者たちが一斉に盛り上がる。この瞬間が何より生きている喜びを感じられる。今日も彼らは私の歌に癒されてくれた。


「なあ、一緒に飲まないか」


 一人の船乗りが声をかけてきた。それを見て荒くれ者たちが「ずるい」「抜け駆けするな」と騒ぎ出す。

 だが船乗りは、その中の一人、一際大きな男を挑発。大男が拳をポキポキと鳴らしながら船乗りに近づく。勝負は一瞬だった。船乗りの拳が大男を一発でダウンさせた。


 何事も無かったかのように船乗りはアゲルドゥを注文。グラスが二つ用意される。


「私、強い酒はダメなのよ」


「なら何が良いんだ? 好きなのを頼めよ」


「じゃあヴィーニョ・ヴェルデ(=白のスパークリングワイン)を」


 グラスの縁にプツプツと小さな泡がまとわりついている。口に含むとシュワっとした不思議な感覚が、ファドで乾いた喉を癒してくれる。


「あんたの歌、良かったよ。俺の魂に訴えかけるものを感じたよ。もしかして、誰か帰って来ない奴でも待っているのか?」


「そうね。そんな事もあるかもね」


「だろうな。あんたの歌からは、寂しさや悲しさが伝わって来るんだよ。俺も先日、海で同僚を失ってな。きっとそれで共鳴したんだろうな」


 船乗りがアゲルドゥをクイっと喉に流し込む。蒸留酒特有の酒気が鼻を突く。


「良かったらこの後、俺と一緒にその隙間を埋めないか? きっと俺なら、その心の隙間、埋めてやれると思うんだよ」


 船乗りは私の手を擦りながら、アゲルドゥの入ったグラスを揺すった。



 その後、船乗りはこれまでの男たちと同じように、私の横で自分の夢を散々に語った。そしていつもの言葉を繰り出した。


「なあ、無事航海から帰って来たらさ、一緒になろうぜ」


「約束だよ。私、待ってるから」


「ああ、約束する。俺はこう見えて運が良いんだよ」


 船乗りは嘘つきだ。

 きっとこの男も、私の手にごつごつとした感触と温もりの記憶を残すだけ。


 手を振って彼の船を見送る私の頬を、一筋の涙が滑り落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

リスボンの酒場女 敷知遠江守 @Fuchi_Ensyu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画