番外編:始まりの日……村人カイトと村娘リアナの微笑み
頬に当たる風が温かかった。
鉄と血の匂いは消え、代わりに鼻腔をくすぐるのは、掘り起こされた土の香りと、春の若草の匂いだった。カイトの手には、使い慣れたクワが握られていた。
……なにか夢を見ていたような気がする。
魔王城の、あの救いようのない地獄のようなループ。キャンセルの連打。寝ていた魔王。
すべてが遠い昔のような、あるいはつい数秒前までそこにいたような、奇妙な感覚。
「ふぅ……」
カイトはクワを地面に突き立て、額の汗を拭った。
目の前には、平和そのものの麦畑が広がっている。ここには魔王もいないし、システムウィンドウもない。自分はただの村人カイトで、今日を生きるために土を耕している。これが現実なのだ。あのような悪夢はもう二度と見たくはない。
――これで、よかったんだ。
あの時、デリートを選んだから、俺はここに戻ってこれた。そう確信して、カイトが安堵の息を吐こうとした、その時だった。
「……ねえ、カイト」
その声を聞いた瞬間、カイトの背筋に氷柱を叩き込まれたような戦慄が走った。
ゆっくりと振り返る。
そこには、まだ「大賢者」のローブを纏う前の、村娘の格好をしたリアナが立っていた。
魔王城で見た狂気的な顔ではない。あどけなさが残る、可憐な幼馴染の微笑み。まだカイトが好きだった頃のリアナだった。
「何よ、そんなに固まっちゃって。私の顔に何かついてる?」
「あ……いや……。リアナ、お前……」
「ねえ、カイト。知ってる? 隣の村が魔物に襲われたんですって。王様が、魔王を倒す勇者を探しているらしいわよ」
その言葉を聞いたと同時に、カイトの心臓が早鐘を打つ。
なんなんだ、これは。デジャヴなのか。これは、三年前のあの日と全く同じ光景だ。
「ねえ、カイト。子どもの頃、勇者に憧れていたわよね。将来は勇者になって魔王を退治するために村を出るんだって」
リアナは一歩、また一歩と、逃げ場のないカイトの懐に踏み込んでくる。
「ねえ、行きましょうよ。カイトなら、きっと伝説の勇者になれるわ。私が賢者として、あなたを一生……そう、一生支えてあげるから」
カイトはグイグイと迫ってくるリアナの瞳の奥を見た。
そこには、村娘の純真さなど微塵もなかった。そこにあったのは、一万回のループ、数千年の執念を凝縮したような、底なしの青い闇だった。
「……リアナ。お前、まさか……」
「ふふ。あのアマって呼ばれたのには、ちょっと傷ついたかな」
リアナは、カイトの耳元に唇を寄せ、毒のように甘い声で囁いた。
「デリートなんて無駄よ、カイト。私を誰だと思っているの、大賢者様よ。私の時空魔法をなめないでもらいたいわ。あんたが『はい』って言うまで、私は何度だって……この『旅立ちの日』に戻してあげる」
カイトが持っていたクワが、カランと音を立てて手からこぼれ落ちた。
足元に、見慣れた、しかし最悪のウィンドウが浮かび上がる。
【クエスト:魔王討伐】に出発しますか?
▶[ はい ] [ キャンセル ]
カイトは震える指で、必死に[ キャンセル ]を押そうとした。
しかし、身体が動かなかった。リアナがゆっくりと近づいてきて、そっとカイトを抱きしめる。
そして、耳元で囁いた。
「いいわよ、何万回でもキャンセルしなさい。そのたびに、私はまた、この場所で、この姿で、あんたを誘ってあげる。……私から逃げられると思ってるの?」
――勇者カイトの戦いは、まだ始まってもいなかった。
本当の魔王は、いつも彼のすぐ隣で、天使のような顔をして微笑んでいたのだ。
春の陽光が降り注ぐ中、カイトの絶望した叫びだけが、平和な村に虚しく響き渡った。
(完……? いいえ、リピートよ)
キャンセル勇者とマウント賢者の、時を戻す物語 ~「はい」と言うまで魔王戦から逃がしてくれない~ 大隅 スミヲ @smee
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