最終話:新世界

 ――そして、一〇〇〇〇回目のループが訪れた。


 カイトの指は、キャンセルの連打ですでに感覚を失っていた。

 リアナも、度重なる時魔法の行使で精神が摩耗し、髪は振り乱れ、もはや賢者の尊厳などどこにもない。  魔王にいたっては、寝すぎて逆に腰を痛めていたらしく、不機嫌そうに起き上がっていた。


「……勇者よ」


 魔王が、静かに口を開いた。


「もう、良いのではないか。余も……この『ループの静寂』すら、妻にバレるのが怖くなってきた。あやつは、余が外で楽しく遊んでいると知れば、次元を越えて追いかけてくるような女だ」

「魔王……」

「カイト、一つ提案がある。……『第三の選択肢』を選べ」


 カイトがふとウィンドウを見ると、そこには異変が起きていた。

 一〇〇〇〇回の拒絶と、時空の歪みに耐えかねたシステムがバグを起こし、文字がバチバチと弾けている。そして、キャンセルのさらに横に、隠された選択肢が出現していた。



▶[ はい ] [ キャンセル ] [ 冒険をデリートする ]



「こ、これは……」

「それを選べば、世界も、魔王も、賢者も、そして勇者という役割もすべて消える。……何もない、真っ白な虚無だ。だがそこには、誰の干渉も、誰への『借り』も存在せぬ」


 リアナが顔色を変えて叫ぶ。

「だ、だめっ! 待って!  そんなの認めないわ!  私が、私の努力で、あんたを支配する……じゃなくて、救う世界じゃなきゃ意味がないのよ!!」


 カイトはリアナを見た。泥だらけの顔で、醜い執念を燃やす彼女。その姿は、まるで鬼女だった。彼女を救いたい気持ちはあった。だが、彼女の「恩着せ」を一生背負う勇気は、やはり持てなかった。


「リアナ、ごめん。……俺、やっぱりスローライフが送りたかったんだ。誰の顔色もうかがわずに、自分で育てた野菜とかを採って、動物たちと一緒に過ごして、みんなで温かい食事を取る。そんな、当たり前の生活がしたかったんだよ」


 カイトは笑った。それは、この旅で一度も見せたことのない、最高に晴れやかな笑顔だった。


「ごめんな。お前の『貸し』は、あの世まで踏み倒させてもらうわ」


 カイトの指が、迷わず『冒険をデリートする』を叩いた。


「あああああぁぁぁぁ!!  私のぉ、私の功績がぁぁ!!」


 リアナの耳をつんざくような絶叫が遠ざかっていく。

 魔王は満足そうに頷き「さらばだ、戦友」と小さく呟いた。


 光がすべてを飲み込み、赤黒い空も、不気味な城も、忌々しいウィンドウも消えていく。


 ――カイトが目を開けた時、そこには、どこまでも続く真っ青な空と、心地よい風に揺れる緑の草原があった。

 ステータス画面はない。賢者もいない。魔王もいない。ただ、手元には使い古された小さなクワが一本置かれていた。


 カイトは大きく伸びをした。


「……さて。今日の晩飯は、何にしようかな」


 誰に感謝することもなく、誰に負い目を感じることもない。

 勇者は、ようやく本当の「自由」を手に入れたのだ。



(おしまい)

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