最終話:何処かの誰かの笛を吹く

 世の中は、やらなかった理由を語るのが上手い人間であふれている。


 そして、彼らは得てして、やれることを残したまま「運がない」「恵まれない」と嘆き続けるのだ。


 しかし、自分が何者にもなれなかった理由を、環境や他人のせいにすることだけは忘れない。ずいぶんと几帳面なことだ。


 もっとも、そういう人間が大勢いてくれるおかげで、私は食うに困らない。

 なぜなら彼らは、自分では何も積み上げていないくせに、善悪を判断したがっていて、正しい側に立ったという実感さえ与えてやれば、いくらでも働いてくれからだ。


 承認への飢え。

 その食欲が自分に向けられると、面倒なことこの上ないが、扱い方さえ間違えなければ、これほど便利なものはない。


 自分より下だと思える誰かを用意してやればいい。


 そこに、わかりやすい「悪」というラベルを貼るだけで、彼らは安心して食事を始めるのだから。


 自分は努力家で、人のためになることをしている。そう信じ込める物語を与えてやるのだ。実際に努力したのか、誰かの役に立つ行いをしたのか、彼らはそうした事実の類に価値を見出さない。重要なのは、そういう気分になれるかどうかだ。


 だから私は、飢えた彼らに、最も安上がりで中毒性の高い餌を投げてやる。


 餌といっても、手間のかかるものはいらない。適当に見繕った肉片を、目の前に転がしてやれば十分だ。準備ができたら「悪者はこちらです」と笛で合図を鳴らすだけ。保護犬活動なんかの慈善事業ではないが、狂ったことに、今の世の中、これが金になる。


 少し指先を動かすだけで、声を荒げる必要もない。ただ一つの投稿をSNSに流すだけで数字が増えていき、彼らの正義感と引き換えに、私の生活は確実に潤っていく。


 犬たちは、自分たちが善いことをしていると信じたまま、勝手に走り続ける。


 そんな彼らと違って、私は法を遵守しているし、ダメだといわれたことに手を出した覚えもない。ただ、悪者だけが裁かれ、正義だけが残る。そういう形になっている以上、私を咎める理由など、どこにも存在しないのだ。


 やりすぎた犬は処分される運命かもしれないが、私は飼い主ではない。


 ――本当に、よくできた仕組みだ。


 笛は、そこら中に落ちている。私はそれを拾って、ただ吹き鳴らすだけ。

 誰でも拾えて、誰でも吹ける。なのに誰も行動を起こさない。だから私だけが結果をつかめる。


 誰が噛みつき、誰が引き裂かれるかには興味がない。


 彼らは、あの安っぽい餌を好むようだが、私自身がそれを食べてみても、美味しいとは思わない。


 理解はできるが、共感はできない。


 私が笛を鳴らすたび、どこかで誰かの人生が壊れるのだろう。だが、それによって増えていく数字の方が、私にとって価値がある。



 

 そんなことより最近は、食べ過ぎで重くなった腹回りのことが悩ましい。

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犬笛 わたねべ @watanebe

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