第2話 人生やり直しできますか?
***
私は、このお金を持ち逃げすることに決めた。
お金が必要だった。――人生をやり直すためだ。
ジャケットがリバーシブルで良かった。
個室の中で上着を裏返すと、白いキルティング生地のジャケットになった。
バレッタでひとつにまとめていた髪をほどき、肩の下までのロングヘアに戻す。
これで見た目の印象は、少しは変わったはずだ。
一番奥の個室には紙袋を置かず、私はそのままトイレを出た。
*
さきほどの男性が、どこかで私を見張っている可能性は高い。
私はすぐにトイレ横の婦人服店へ入り、陳列された洋服の間を抜けて、そのまま隣の店へと移動した。
店から店へと渡り歩きながらエスカレーターへ向かい、駅へ直結する通路まで一気に駆け抜けた。
心臓が痛いほど脈打っている。
駅の改札を素早く抜け、ほとんど駆け込み乗車のような形で特急電車に飛び乗った。
あの闇バイトの男性をまけたかどうかはわからない。
けれど――多分、大丈夫だと思う。
***
この五百万円は、苦労してきた私への神様からの贈り物のように思えた。
闇バイトの連中だって、警察に届けたりはしないはずだ。
高校を卒業して上京した私は、世間知らずだった。
その無知につけこまれた部分もあったのだろう。
好きになった男性には、ことごとく搾取され続けた。
そして今日も、他に好きな子ができたからと、あっさりフラれた。
*
普段は使わない沿線に乗り換え、できるだけ大きな駅へ向かった。
知らない街に着き、そのまま下車した。
雨はもうやんでいたが、空は灰色で、今にも泣き出しそうだった。
駅前のビジネスホテルに泊まることにした。ネットカフェでも良かったが、お金を盗まれるのが心配だった。
部屋で紙袋を開けて数えると、やはり五百万円あった。
闇バイトの連中に見つかる前に、どこか遠くへ行こう。
人生をやり直すための、最初で最後のチャンスだ。
闇バイトのの連中から取り上げたことさえ、少し痛快だった。
これでしばらくは大丈夫だ。
***
ビジネスホテルに連泊して二日目のことだった。
夕方、近くのコンビニで買い物をしてホテルに戻ってきた時、玄関口の脇にパトカーが停まっていた。
――マズい。バレたのか。
ホテルに入らず、入口の扉越しにうかがうと、フロントの前に制服姿の警察官の後ろ姿が見えた。
警察だ。
完璧に逃げたつもりだった。この街に着いてからはスマホの電源も切っていた。
位置情報では追われないと思っていたのに。
お金は部屋の中だ。持ち歩くのも危険だと思い、鍵付きの金庫に入れたのが失敗だった。
――仕方がない。お金はあきらめよう。
私は部屋にある五百万円をあきらめ、このまま逃走することを決めた。
振り返った瞬間、スーツ姿の男性が二人並んでいた。
「警察のものですが……」
警察手帳を示しながら、刑事は有無を言わせぬ口調で言った。
「遠藤さくらさんですね?」
――ここまでか。思ったよりも捜査が早い。
「少しお話を伺いたいことがありまして――」
周囲には、他にも数人の刑事が現れていた。無理だ。もう逃げ切れない。
「田所雄二さんの殺害の件で、お話を伺いたいので、署まで同行していただけますか」
刑事は続けた。
「凶器となったナイフに付着していた指紋と、あなたの指紋が一致しましたので」
田所雄二――私が殺した彼氏の名前だ。
彼は私を散々利用してきた。風俗で客を取るように指示し、稼いだ金はすべて持っていった。
従わなければ殴られた。しかし、その後は優しく抱きしめて謝ってくる。 その繰り返しだった。
後で知ったが、典型的なDVらしい。
分かっていたが、好きだから離れられなかった。
三日前、一方的に別れを告げられた。
理由は、「お前にはもう飽きた」「新しい子のほうが素直だから」だった。
しかもその直後、私の目の前で新しい彼女に電話をし、「さくらとはもう別れた」と告げていた。
新しい彼女が私より稼ぐのかは分からない。私より扱いやすい相手なのかもしれない。
だけど、許せなかった。
気づいた時には、包丁を握っていた。彼の背中に刃が沈む感触だけは覚えている。
この後の記憶はひどく曖昧だ。
指紋なんて拭き取っていない。私の痕跡なら、彼の部屋にいくらでも残っている。
慌てて部屋から飛び出した私は、特に行くところもなく、駅前のショッピングセンターに入った。
再び、雨が降ってきたからだ。
――雨の日は、いつも最悪だ。
――殺人犯の私には、やはり人生やり直しは難しかった。
了
紙袋の中身はなんですか? 失恋女子が知らないうちに危ないバイトに巻き込まれていた件 山野小雪 @touri2005
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