第2話『死にたがりの猫背は、戦場へと走る』
それは、剥き出しの魂を計量する天秤である。
地位も名誉も、虚飾に満ちた社会的な皮をすべて剥ぎ取り、最後に残った『生への執着』だけを競わせる。
極限状態において、人間は二種類に分かれる。
恐怖に喰われて腐り落ちるか、あるいは恐怖を喰らって新たな芽を出すか。
我ら一族の使命は、その選別。
腐った枝を切り落とし、見込みある枝には試練という名の肥料を与える。
「――ガーデナーさま。今宵の獲物は、少々濡れておりますが」
その呼び名に、俺はゆっくりと頷き、紅茶のカップをソーサーに戻す。
「構わん。雨露に濡れた果実もまた、乙なものだ」
俺は静かにマイクのスイッチを入れる。
剪定鋏を握る職人のように、慈悲深く、かつ残酷に。
さぁ、始めようか。
モニターには、ずぶ濡れの男が椅子に拘束されている姿が映し出されていた。
顔はうつむき、生気を感じさせない。
ふん、狸寝入りか。
往生際の悪いことだ。
「――聞こえるか、罪人よ。我が名はガーデナー」
変声機を通した俺の声が、地獄の底から響くような不協和音となって、独房のスピーカーから吐き出される。
男が、緩慢な動作で顔を上げた。
「これより貴様には、ゲームに参加してもらう。ルールは単純だ。『罪の告白』。貴様が過去に犯した罪を、洗いざらい白状しろ」
俺は手元のフェーダーを上げ、男の頭上にスポットライトを落とす。
「貴様が罪を認めるたびに、その拘束は一つずつ解除される。だが、もし虚偽の発言、あるいは沈黙を選べば……」
コンソールの赤いボタンに指を添える。
「『罰』が下る。貴様が私腹を肥やして築き上げた巨万の富も、この激痛の前には紙屑同然となるだろう」
今度こそ完璧な導入だ。
さあ、怯えろ。
命乞いをしろ。
そして己の汚職の数々をその口で語るがいい。
男は、眩しそうにライトを見つめ、乾いた唇を開いた。
「……罪……そうか、やっぱり、俺は裁かれる運命なんだ……」
「ほう?自覚はあるようだな。ならば語れ。貴様は何をした?」
男は、まるで祈るように目を閉じた。
「……裏切ったんです」
「……ほう、裏切った?」
「彼女を。3年付き合った、あいつを……傷つけて、金で解決しようとした……俺は、最低のクズ野郎なんです………」
「………えーと」
は?
彼女?
金で解決?
汚職の話はどうした?
俺は眉を
ライトの下にいる男。
脂ぎった58歳の悪徳官僚……ではない。
どう見ても20代後半だ。
安物のくたびれたスーツを着た、ただの若者。
「……嘘をつきました……もう好きじゃないって。金の方が大事だって……あいつ、泣いて縋ってきたのに……俺はそれを振りほどいて……」
若者はボロボロと涙を流し始めた。
「……だからバチが当たったんだ……殺してくれ……もう生きてたってしょうがないんだ……!!」
「はい、ちょっと待っててねー」
俺は無表情のまま、コンソールの『音声ミュート』スイッチを叩いた。
そして、革張りの椅子を回転させ、背後に控える部下の方を向く。
「……おい」
「はい」
「これはどういうことだ」
「どうやら、別人のようですね」
「うん、分かってる!それは分かってんだよッ!!」
俺はコンソールを叩いた。
「
「言い訳をさせてください」
「言ってみろ!」
カノンは表情一つ変えず、淡々と言った。
「大雨の中、橋の欄干に立ち、いつ飛び降りるか川面を見つめていたあの背中……。人生の重荷に耐えかねたような、哀愁漂う『猫背』の角度が、資料にある堂島剛蔵のものと完全に一致していました」
「猫背で判断すんなよ!骨格標本でも読んでたのかお前は!もっと目を開けろ!」
俺は頭を抱えた。
だが、俺が頭を抱えている間にも、モニターの向こうの若者は、誰も聞いていないとも知らずに懺悔を続けている。
どうやら、身分違いの恋に悩み、相手の親から手切れ金を渡され、彼女のために身を引いた……ということらしい。
「ちなみにガーデナーさま。やつの懐から、1000万円の小切手が出てきましたが私のポケットマネーに納めてもよろしいでしょうか?」
「いいわけあるか!人のもの盗ったらダメだろうが!返してやれ!」
シュン、となるカノンを横目に俺はモニターを見直す。
まったく、いや、しかし。
なるほどな。
こりゃ典型的な、負け犬物語だ。
俺はモニターを見つめ、腕を組んだ。
くだらない。
実にくだらない三文芝居だ。
だが――あの目。
絶望に塗りつぶされてはいるが、その奥底にはまだ、消えきらない
「……カノン」
「はい」
「この男、どう思う」
「見るに堪えません」
「同感だ」
「…………では、
「……………………」
俺は大きく息を吐き、乱れたネクタイを締め直した。
ここで解放して、見殺しにするのは容易い。
だが、この腐りかけた根性を叩き直さずに返すのは、庭師の美学に反する。
「……マイクを入れるぞ」
俺はヘッドセットの位置を直し、再び、冷徹なGMの仮面を被った。
コンソールのフェーダーを上げ、男の泣き言を切り裂くように、重低音の声を響かせる。
「――情けない
「……え?」
感情の一切ない、機械的な声に男の言葉が詰まる。
ここからはデスゲーム
慈悲などない。
あるのは計算し尽くされた劇薬のみ。
「投資の世界でよくある話だ。将来性のない
「な……俺は金のためにやったんじゃない!あいつの未来を守るために……!」
「結果は同じだ。貴様は『彼女と共に生きる』という高難易度クエストの攻略を放棄し、『金を受け取って降りる』という安易な敗北ルートを選んだ。なぜか?」
俺は冷酷に断言する。
「貴様が彼女への愛よりも、自分の平穏に重いベットをしたからだ」
「違う!!俺は、俺自身のことなんてどうでもいい!あいつが……あいつが苦労するのが目に見えてるから!」
「それが、平穏への逃げだと言っている。貴様は天秤にかけたんだ。『彼女の心を一生支え続ける重圧』と、『1000万を持って一人で生きる気楽さ』をな。そして貴様は、楽な方へ傾いた。……これが『魂の秤』の測定結果だ」
「……ぐ、うぅ……!」
男の呼吸が荒くなる。
図星を突かれた動揺と、認めたくない怒りが混ざり合っているようだ。
「……計算、なんかで……人の気持ちが分かってたまるかよ……!俺はただ、あいつに笑っていて欲しかっただけなんだ!あいつはずっと後ろ指を指されるんだ!それが耐えられないんだよ!」
男の叫びは、悲痛な魂の叫びだった。
論理を超えた、感情の爆発とも言えるだろう。
いいぞ。
エラー数値が出るほどの感情エネルギー。
これこそがデスゲームの動力源だ。
「……なるほど。彼女の笑顔が、勝利条件ということだな?」
「そうだ!そのためなら、俺は一生嫌われたっていい!」
俺は紅茶を一口啜り、ふと思い出したように独り言を漏らす。
もちろん、マイクのスイッチは入れたままだ。
「――そういえば、つい昨日だったか。この目で見た『ある女性』の話なんだが」
俺は声を潜め、重々しい口調で語り始める。
「最愛の男に捨てられ、絶望の底に落ちた女の話だ。彼女は部屋に鍵をかけ、カーテンを閉め切り、光を遮断した闇の中でうずくまっていたよ」
「……え?」
「食事?喉を通るわけがない。水さえ数日口にしていないようだった。頬はこけ、目は落ち窪み、美しい髪はボサボサで……まるで、魂が抜けた人形のようだったな」
男の目が極限まで見開かれる。
俺はさらに、残酷なディテールを積み重ねる。
「彼女はただ、スマートフォンを握りしめていた。着信など来るはずもない画面を、瞬きもせずに見つめ続けて……。その口から漏れるのは、男の名前と『ごめんなさい』という謝罪の言葉だけ」
「…………」
「そして彼女は、ふらりと立ち上がり、部屋にあった果物ナイフを手に取って……いや、これ以上は語るまい」
そこで言葉を切り、深く溜息をついた。
男の顔から、急速に血の気が引いていく。
ガタガタと震えだし、鉄格子にすがりついた。
「ま、まさか……その女性って…………」
「さあな?だが、信頼していた人間に裏切られた人間の末路など、どれも似たようなものだろう。今ごろは、生死の境を
俺は肯定も否定もせず、ただ冷ややかに彼を見下ろした。
実際、マジで関係のない話だ。
今の話、カノンにすすめられた『韓流ドラマ』の話だし。
いやまさか同じ展開がリアルにあるとは少々、胸熱。
予習しといてよかった。
まぁ、この流れでそういう想像はしてしまうかもしれないが、真実なんてどうでもいい。
今の彼にとって、この想像こそが最も効く『劇薬』なのだから。
「あいつが……死ぬ……?俺のせいで……?」
男がガクリと膝をついた。
もう、反論の余地はない。
論理的に論破され、勝手な勘違いによって感情的に粉砕された。
「……俺は……馬鹿だ……笑顔を守るどころか、俺が……あいつを殺そうとしてる……ッ!」
獣のように慟哭した。
全ての
これで不純物は取り除かれた。
「後悔しているようだな」
「……死んで詫びたい……。今すぐ死んで、あいつに……」
「死んでリセット?ハッ、笑わせるな!死ぬだけでやり直せるデスゲームなんぞどこにある?あるのはただの
男が絶望に顔を歪める。
そう、デスゲームだからといって、死に逃げることは許されない。
だからこそ。
生きて抗う価値がある。
「まだアイテムは残っている」
「……アイテム?」
「貴様の手元には、対価として受け取った小切手がある。取引に使った現物が手元にあるのなら、ゲームバランスをひっくり返す攻略法あると思わんか?」
「……でも、この手切れ金は……俺が諦めることを条件に……」
「何を言っている、これはデスゲーム。敵の資産を奪い、それを己の力に変えて反撃する。これぞ戦場の鉄則だろうが!貴様にとってそれは何だ?ただの紙切れか?それとも、状況を打破するジョーカーか?」
俺は男を試すように、さらに挑発的に言い放つ。
「さぁ、その1000万というリソースをどう運用する?そのまま懐に入れて敗北を受け入れるか?それとも全額ベットして、勝率0.1%の『大逆転』を狙うか?」
男の目に、微かな光が宿る。
弱々しい未練ではない。
一発逆転を狙う、ギャンブラーの狂気にも似た光。
「そうだ、その目だ。失った信用、傷つけられた尊厳、それら全てを買い戻すには、並大抵の対価では足りない……だが、その紙切れ一枚分の質量があれば、あるいは――」
「このまま負けっぱなしで終われない」
男は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、カメラを見上げた。
「……会いたい……謝りたい……許されなくても……もう一度会って、伝えたい……俺は金なんかより、あいつが大事なんだって……やり直したい……ッ!」
心の底から絞り出された、本音。
もう死相はない。
あるのは、失ったものを取り戻そうとする、貪欲なまでの生への渇望。
「ほう?ようやく、マシな顔になったな」
ニヤリと笑い、コンソールのレバーに手をかけながら叫ぶ。
「おいカノン!その懐にしまおうとした小切手をさっさと返してこい!第三者の貴様が持っていたところで、銀行で換金なんかできるわけないだろ!」
「はっ!」
俺の呼び声と主にガコン、と音を立てて拘束具が外れた。
「身体が自由に…………いいのか?」
「いいか!敵が一番恐れているのは、貴様が『大金で動じない男』であることだ!手切れ金を突き返すのは二流!その金をお前なりの愛に変換して叩きつけることこそが、敵の想定を最も超えるクリティカルヒットになる!一度捨てた命だ。使い潰してみせろ!」
「……使い、潰す……」
男は一呼吸置いた。
その表情は急速に、戦士のそれへと変わっていく。
「……やってやんよ」
「そうだ。プライドも、常識も、全て捨てろ!ただ『勝利』のみを渇望しろ!それが、人生というデスゲームを生き残る唯一の道だ!」
「ああ、行ってやる!見てろよ、クソ親父!……ありがとう、変なマスクの人!」
「いやそこはガーデナーと呼べ!」
男はカノンから小切手をひったくるように掴み、地下室を飛び出していった。
その後ろ姿は、嵐の中へと向かう勇者のようだった。
あ、ノリで行かせちゃったけど、眠らせるの忘れてた。
「……カノン」
「はい」
「追いかけて最寄りの駅まで送ってやれ。ちゃんと気絶させてからな?あと、俺の予備の超高級ネクタイを貸してやれ。あのヨレヨレのじゃ締まらん」
「かしこまりました。……しかし、よろしかったのですか?」
「何がだ」
「勢いにまかせて無策なまま突っ込んでいきそうなタイプですが」
「……フン。生存率が限りなくゼロに近くても、座して死を待つよりはマシだ」
カノンが静かに退室すると、俺は一人残された部屋で、冷めた紅茶を一口飲んだ。
「ふぅ」
正直、警察沙汰になって終わりかなと思ってる。
が、確信はある。
窮鼠猫を噛むというが、今のあれは虎をも噛み砕く狂犬だ。
相手の父親が腰を抜かす顔が目に浮かぶ。
それはどうにも滑稽で、果てしなく愉快だろうな。
「ま、いいだろ」
それに万が一玉砕したとしても、それはそれだ。
戦わずに腐り落ちるより、派手に散る方が潔い。
全力でぶつかって砕け散ったのなら、あの男の鬱屈とした未練も、さぞや晴れ渡ることだろうよ。
♢
――数日後。
「……マジかアイツ、マジでやりやがった」
俺は朝のニュース番組を見て、持っていたトーストを落としそうになった。
『――次のニュースです。昨日未明、都内の会社社長宅に、男が「指輪を受け取れ!」と叫びながら侵入する騒ぎがありました。男は駆けつけた警察官に取り押さえられましたが、その際、所持していた時価1000万円相当の巨大なダイヤの指輪を、社長令嬢に手渡すことに成功……』
モニターのニュース映像を見ながら、自然と口角が吊り上がっていく。
『その後、社長は被害届の提出を取り下げ、「まさか指輪でくるとは。あの若造、とんでもない馬鹿だが、見所はあるかもしれん」とコメント。二人の交際を条件付きで認める方向で……』
「……ぶっ、ははははは!傑作だ!」
腹を抱えて笑った。
そう来たか。
全額指輪に変えたのか!
金で解決しようとした親父への、これ以上ない強烈な皮肉。
そして彼女への、質量を持った愛の証明。
人間の執念という変数は、いつだって計算を超えてくる。
俺の想像すらも超えて、あいつは最高解を叩き出したのだ。
だから、デスゲームはやめられない。
「……カノン」
「はい」
「祝電を打っておけ。『次はもっとマシなスーツで
「かしこまりました」
俺はリモコンでテレビを消し、鋭い視線を部下に向けた。
「さて、次こそは……」
「分かっております」
「次こそは、本物の堂島剛蔵だ。いいか、猫背で探すなよ?絶対にだぞ?」
「はい。肝に銘じます」
カノンは涼しい顔で頷いた。
その表情からは、反省の色など微塵も感じられない。
ああ、これ、次回も違うヤツ連れてくるだろうなぁ。
深いため息をついた。
やれやれ、俺の庭仕事は、まだまだ終わりそうにない。
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