第2章 増殖するテクストとあえぐGPU

 私の指先は、今や指揮棒タクトだった。あるいは、外科医のメスか。

 画面上のテキストエディタには、AIが吐き出した「優等生すぎる青春ミステリー」の死体が横たわっている。私はそれを切り刻み、接ぎ木し、新たな生命――という名の怪物を吹き込んでいく。

「違う、そこは『悲しかった』じゃないのよ……もっと、こう、粘膜を擦り合わせるような湿度が欲しいの」

 私は独り言を呟きながら、バックスペースキーを連打した。ダダダダッ。文字が左から右へと消滅していく様は、逆再生される射精のように奇妙なカタルシスがある。

 AIは『涙が頬を伝った』と書いた。

 凡庸だ。あまりに淡白で、即座にブラウザバックしたくなる。

 私はそこに、ねっとりとした情念を注入する。

『涙腺という名のダムが決壊し、眼窩から溢れ出した塩分濃度0.9%の体液が、重力に従って私の皮膚を愛撫しながら滑り落ち、乾いた唇を濡らして官能的な味を残した』

「……完璧」

 私は恍惚と呟いた。

 無駄に長い。形容詞が過剰だ。だが、それがいい。この過剰な装飾こそが、AIには決して模倣できない「人間様の脂ぎった魂」なのだから。

 私は修正した箇所を太字にし、フォントサイズを無意味に大きくした。文字が主張している。「私を見て」「私を感じて」と、画面の向こうから訴えかけてくるようだ。

 修正作業は深夜から明け方まで続いた。

 Ctrl+S。上書き保存。

 セーブバーが一瞬で右端まで到達する。私の加筆によって肥大化したデータ量が、ハードディスクのプラッタに物理的な溝を刻み込んでいる。その微かな振動さえも、今の私には愛おしい。

 完成した。

 タイトルは『君の膵臓をAI(あい)してる』。

 ……パクリではない。オマージュだ。あるいは、高度な文明批評を含んだパロディと言ってもいい。AIが作ったのだから、文句があるならAIに言えばいい。私はただの、編集者エディターなのだから。

 次は投稿だ。

 私は国内最大級の小説投稿サイト『小説家になろうよ』のマイページを開いた。

 「新規投稿」のボタン。それは誘惑的なオレンジ色をしていて、まるで熟した果実のように私を誘っている。

 クリック。

 投稿フォームが開く。

 タイトルを入力し、あらすじを貼り付け、本文エリアに私の(AIの)力作を流し込む。

 文字数、一万二千文字。

 ズシリとした重量感。これだけの分量を、私は一晩で「書いた」のだ。

「いっくよー……」

 マウスカーソルを、画面下部の「投稿する」ボタンに合わせる。

 心臓が高鳴る。

 これを押せば、私の分身がネットの海へと放流される。不特定多数の視線に晒され、愛でられ、あるいは犯されるのだ。

 カチッ。

 軽いクリック音と共に、画面が遷移する。

『投稿が完了しました』

 あっけない。処女喪失なんて案外こんなものかもしれない。

 だが、本番はここからだ。

 私は即座に自分の作品ページを開き、F5キーに指を置いた。

 更新。リロード。

 PV(ページビュー)を確認する。

 0。

 まだだ。

 F5。タンッ。

 0。

 焦らすんじゃないわよ。

 F5。タンッ。

 1。

「……あ」

 声が漏れた。

 1。誰かが見た。日本のどこかにいる誰かが、私のタイトルをクリックし、中身を覗いたのだ。

 私の脳内で、快楽物質のエンドルフィンがプシュッと音を立てて噴出した。

 F5。F5。F5。

 私はキーボードを指先で叩き続けた。まるで敏感な乳首を責めるように、一定のリズムで、執拗に。

 5、12、38……。

 数字が増えていく。

 私の書いた(直した)文章が、誰かの網膜を犯している。誰かの時間を奪っている。その事実が、たまらなく興奮する。

 一時間後。

 異変が起きた。

 PVが急激に跳ね上がり始めたのだ。三桁、いや四桁の数字が、カウンターの上で乱舞している。

 どうやら「新作ランキング」に載ったらしい。

 それも、かなり上位に。

『この表現、ヤバくない?』

『作者の語彙力が独特すぎて癖になる』

『AIテーマのミステリーかと思ったら、文章がヌルヌルしてて草』

 感想欄にコメントが付き始めた。

 賛否両論? 関係ない。注目されているという事実だけで、私は濡れそぼるような充足感に包まれていた。

 承認欲求という名の媚薬。

 もっと。もっと見て。もっと私を評価して。

 私は再びAIツールを立ち上げた。

 続きだ。続きを書かせなきゃ。読者という名の飢えた獣たちが、餌を待っている。

 私はチャット欄に、乱暴に打ち込んだ。

『続き! もっと過激に! もっとエロティックなメタファーマシマシで! 今すぐ出して!』

 エンターキーを叩き潰す。

 PCのファンが唸りを上げた。ブウゥゥゥン。

 重い。処理が追いついていない。

 私の要求があまりに過大で、下品で、複雑すぎるせいで、クラウド上のGPU(グラフィックボード)たちが悲鳴を上げているのだ。

 熱暴走寸前のシリコンチップ。

 オーバーヒートした回路を駆け巡る電子の奔流。

 それはまるで、無理やり責め立てられて喘ぐ男のうめき声のようだった。

「いいわよ……その苦しそうな音、最高」

 私は熱くなったパームレストに頬ずりをした。

 画面上のローディングアイコンが、苦しげに回転している。カク、カク、と時折止まりそうになりながらも、私の命令に従おうと必死に計算を続けている。

 健気な奴隷。

 私が支配している。この高度な知性体を、ただの女子高生である私が、指先一つでひれ伏せさせている。

『エラーが発生しました。しばらく待ってから再試行してください』

 赤い文字が表示された。

 限界突破。イってしまったのか。

 私は画面に向かって嘲笑した。

「だらしないわね。まだ一万字も書いてないのに」

 再生成ボタンをクリックする。

 休ませない。搾り取れるだけ搾り取る。

 私の欲望は、底なしの沼だった。著作権という概念が、すぐ背後まで忍び寄っていることにも気づかず、私はただひたすらに、ディスプレイの中で明滅する数字と文字の快楽に溺れ続けていた。

 その時、PCの通知音がポーンと鳴った。

 軽い電子音。

 メールだ。

 私は視線を右下に移した。

 差出人は、私が利用している小説投稿サイトの運営事務局。

 件名は――

『【重要】あなたの投稿作品に関する権利確認のお知らせ』

 一瞬、部屋の温度が下がった気がした。

 排熱ファンの生暖かい風だけが、冷や汗の滲む私の首筋を、不気味に撫で続けていた。

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2026年1月11日 07:00
2026年1月12日 07:00

AIと喧騒の少女作家 森崇寿乃 @mon-zoo

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