初詣

志乃亜サク

希望の船


 2026年元日。

 早朝の境内は、ゆうべ降り積もった雪に今年最初となる朝日が差し込んで黄金色に輝いていた。


 「わあ……!」


 裏山の石段を上った先にある境内には、ぼくらの他にはまだ誰もいない。

 久美が感嘆の声をあげて走り出し、未踏の積雪へ足跡を刻んでいく。


 「悠ちゃん、早く!」


 あっという間に賽銭箱の前にたどり着いた久美が振り返ってぼくの名を呼ぶ。

 ぼくはそれを追って久美のつけた足跡を飛び石代わりに辿っていく。


 幼馴染のぼくらの関係は、ずっとこんな感じだった。

 活発で成績優秀、運動神経も抜群でおまけに美人の久美が先を走り、振り返ってぼくを呼ぶ。一方、すべてが平凡なぼくは久美に置いて行かれないよう、その後を必死で追いかける。

 それはそれで心地よい関係ではあったのだけど。ずっとこのままじゃいけないと思ったんだ。

 だからぼくは、あえて久美が推薦入学する地元の大学ではなく、都会の大学を進学先に選んだ。


 ぼくが久美とは違う大学を目指していると知った時、久美はとても悲しそうな顔をした。それはそうだ。家が隣同士で幼稚園から高校までずっと一緒。同い年だけど姉と弟のような関係。これからも一緒だと互いに思っていた。


 だけど、それじゃだめなんだ。

 ぼくは、久美を守れる男になりたい。

 久美の隣に立って、胸を張って歩ける自分になりたいんだ。

 

 それは、ぼくから久美への初めての告白といえるものだった。

 そして久美は一瞬驚いた顔をしたあと、にっこりと笑ってこう言ったのだった。


「まずは入試をがんばらないとね!」


 そして試験を間近に控えたこの元日早朝、ぼくらはこの地元の小さな神社へ合格祈願をしにやってきた。


 500円玉を賽銭箱に投げ込み、並んで二礼二拍手。手を合わせて目を閉じ、願いを込める。ぼくが目を開けると、まだ隣の久美は合掌を続けていた。

 すでに推薦合格を決めている久美には不要のはずだけど……いや、わかってる。いつだって久美は、ぼくのために祈ってくれているんだ。

 その想いに応えなければならない。ぼくはそう決意を新たにしたのだった。


 参拝を終え、境内の出口へと向かうぼくたち。おみくじでもあれば良いのだけど、あいにくそんなものはない小さな神社だし、宮司さんも見たことがない。

 来た時の足跡を逆に踏みながらぼくが先行していると、背中に何かぶつかったような感触があった。

 振り返ると、久美が悪戯っぽい笑みを浮かべながら手にした雪玉をぼくに投げつけてきた。


「うわ!? やめろ、このっ」


 ぼくもそこいらの雪をかき集めて久美に投げる。明け方まで降っていた雪なのだろう。粉のように軽い雪はうまく玉にならない。それでも構わず投げる。

 気付けば、ふたりは夢中になって雪合戦をしていた。

 ああ、懐かしいな。子供の頃、雪が降った朝はこうして家の前の路地で時間を忘れて久美と雪をぶつけあったっけ。

 いつまでもこの時間が続けばいいのに。そう思った。だけどぼくたちは、前に進まないと。進んだ先でまた交わるために。


 ふと、雪を掘る久美の動きが止まった。


「久美?」


 すると久美は雪の中から手のひら大の金属器を掘り出した。

 雪を払うと、それは朝日を反射して銀色に輝く魔法のランプのようにも見えた。

 いやいや、そんなわけないだろう。


「水差し?」


「いや、これは……あれじゃない? ちょっとお高い店でカレー注文するとこういうのにルウが入って出てくるやつ。名前わからないけど『ルウ入れ』」


「ああー、たしかにこういうのに入れて出すお店あるね。で、なんでここにルウ入れが埋まってたの?」


「いや……それは分からないけど。とりあえずこすってみる?」


「なんで」


「ホラ、万が一それが魔法のランプだったら、悠ちゃんの入試合格の願いも叶うかな? と思って」


 その願いは少し違う。欲しいのは合格じゃなくて、久美との未来なんだ。

 そうでなければ、なにも地元に久美を残してまで都会へ行きたいとは思わないよ。 

 しかしそれを言葉に出す前に久美はルウ入れ? をこすり始めた。


 ……。


 …………。


 まあ、何も起こらない。当然と言えば当然だ。

 ここから雪合戦再開……とはならず、ぼくらは帰ることにしたのだけど。

 その時、ぼくらに”声”が聴こえたんだ。

 

「呼んだ?」



 ◇



 振り返ると、頭にターバンを巻いた、褐色肌にチョビ髭の怪しいおっさんが立っていた。

 一体いつから?

 さっきまでそこには誰もいなかったはずなのに。


「呼んだ?」


 もう一度おっさんが言った。

 どうやら日本語は通じそうだ。


「ランプの精……?」


「ちゃうちゃう。けどまあ、似たようなもんか。そやな……ワシのことは『ムトゥ』とでも呼んでもらおか」


「ムトゥ……さん」


 見た目は怪しいインド人だが、どうやら精霊的なものではあるらしい。

 うっすら黄色く光っているので、それはなんとなくわかった。


「それこすったやろ? その銀色の」


 ムトゥが指差すのは先ほどのルウ入れ。


「そいつの名はグレービーボート。世界にカレーを届ける希望の船や」


「はあ」


「なんや反応悪いな。ワシ、帰ってもええんやで?」


「それならぼくらも帰っていいですか?」


「待て待て待て。帰ってどうすんねん。キミら最高のカレー食べたいやろ?」


「あの……私たち、これからおうちでお雑煮食べるんですけど」


「お雑煮て。正月か。正月気分か」


「正月ですよ」


「え? いつって?」


「1月1日。元日です」


「……ガンジス?」


 あ、ぼくこの人嫌いだわ。


「帰ろう、久美」


「待って待って。インドジョークや。話だけでも聞いて!」


 久美の手を引いて帰ろうとするぼくの前に立って押し留めるムトゥ。

 なんだなんだ。何なんだ一体。


「結局ムトゥさんは何ができるんですか? 願いを叶えてくれるとか?」


 久美が尋ねる。こういうとき、久美のコミュ力は心強い。


「ほんとはワシが究極のカレーを振る舞いたいんやけどな。インドは正月もカレーやで?」


 嘘つけ……と言いたいところだけど、あながち嘘とも言い切れない。

 それにインド人は嘘つかないはずだ。


「しゃあないから代わりに奇跡のカレーの作り方教えたるわ」


「奇跡のカレー?」


 目を輝かせる久美。


「おおよ。そこのショボくれた彼氏にも作ったり!」


「だって。どうする?」


 そう言いながら大きな目でぼくを見る久美。

 そりゃまあ……久美が作ってくれたら嬉しいけども。


「キミ、久美ちゃんゆうたね。なかなか見所あるからこれサービスしたるわ。ちょっと彼氏、手ぇ出し」


「?」


 差し出したぼくの手のひらにサラサラサラと種のようなものを盛るムトゥ。


「クミンや」


「久美だけに?」


 なんだそのドヤ顔、腹立つな。


「そういえば、ここってどこなん?」


 あたりを見回すムトゥ。

 そうか、日本のことはあまり詳しくないのかもしれない。


「神社の境内ですよ」


「神社?」


 するとムトゥ、ジェスチャーでまたぼくに手を差し出すように求める。さっきのクミンを直で持ったままなのだけど。その上から何か粉末状ものを振りかけるムトゥ。

 この匂い、まさか。いや、言いたくない。


「ジンジャーや」


 そしてドヤ顔。

 え、これ続くの?


「なんや彼氏のほうはノリ悪いな」


「放っといてください」


「そんなんじゃ受験もアカンかもな」


「ちょっと! 本番控えた受験生に向かって何てこというの!」


 久美が珍しく怒りを露わにする。そうなんだ。久美が怒るのは、いつだってぼくのためなんだ。


「アカンアカン。きっと落ちるわ」


「受かるもん! 悠ちゃんは、絶対に受かるんだもん」


「受かるんだもん?」


 するとムトゥがまたぼくの手に種のようなものをサラサラ載せる。


「カルダモンや。冷え性に効くで」


 その横でグッと親指を立てる久美。……久美?


「ごめん、なんかクシャミが出そう」


 久美が自分の鼻のあたりを押さえる。

 ああ、寒いところにずっといるからな。


「ハ、ハ、ハ、……パクチー!!」


 そうはならんだろ。

 ぼくの手にまた丸い種子が追加される。


「パクチー、またの名をコリアンダー」


 うるせえ。



 その後久美まで悪ノリに加わり、気付けば椀状に組んだぼくの両手にはスパイスがダイレクトにてんこ盛りとなっていた。

 そして気付いたことがもうひとつ。

 種類も量も適当にスパイスを混ぜただけなのに、ちゃんとカレーの香りがする。

 すげえ。すげえぞインド。

 元日なのに、カレー食べたくなってきた。


「もうスパイスは十分でしょう。そろそろその……奇跡のカレーってやつの作り方を教えてもらえませんか?」


「うん? そうか、もう少しスパイス足したいとこやけどしゃあないな。そんなら教えたるで。ワシの究極のカレーを……んごっ!?」


 急にのけぞるムトゥ。なんだか苦しそうだ。どうした?


「アカン……時間切れや……もう……帰らな」


 時間切れ? 嘘だろ? ここまで引っ張っておいて。


「ザックリでいいから教えてくれよ! ムトゥのおっちゃん!」


「まずは……なんでもいい……市販のカレールウを買ってくるんや……ハウスでも……S&Bでも……」


「それで? それをアレンジするのね?」


「そしたら……箱の裏に書いてある通りに作るんや……それが……至高のカレー……」


「そんなバカな。あるだろう? 隠し味的なものが……!」


「そんなものはない……大企業が試行錯誤の末に開発して……何度も試食を繰り返し……消費者の意見も取り入れつつ日々改良を重ねている市販のルウに……死角なんてないんや……」


「そんな……!」


 気付けば、ムトゥの姿が透けている。存在が消えかかっているんだ。


「待ってくれ! 今ぼくの手にあるこの山盛りスパイスはいつ使うんだ!?」


「知らん……庭に撒いたらそこはもうインドや……」


「そんな……!」


「ほなまたな。楽しかったで……ナマステー」


 そういってムトゥのおっちゃんは消えた。ぼくの手に大量のスパイスを残して。





「……帰ろっか」


 久美が静かにそう言った。


「……うん」


 気付けば、あのグレービーボートもどこかへ消え失せていた。

 鳥居に向かって歩き出す久美とぼく。ぼくたちのほかに、誰もいない境内。

 

 おっちゃん……久しぶりに外に出れて楽しかったんだろうな。 

 それであんなにはしゃいで……。

 もう少しちゃんと話聞いてあげれば良かったかな。


 そう思った瞬間だった。


「うわっ!?」


「きゃっ!」


 帰ろうとした矢先、ぼくは雪に足を滑らせて思いきりこけた。

 久美もまたバランスを崩したぼくを支えようとして、一緒にこけた。

 手に持っていたスパイスは宙にばら撒かれ……境内はインドになった。


 ううう……。これから受験本番なのに縁起でもない……。


 するとその時、ぼくらの心の中におっちゃんの声が響いたんだ。



「ムンバイ」



『ドンマイ』みたいな言い方すな!

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初詣 志乃亜サク @gophe

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