木の下での会話

時刻:初夏の午後二時

場所:心地よい風の吹く、小高い丘の上。一本のオリーブの木が生えている

人物:ふたりの老人。AとB


A「なぜ、人は生まれ、生き、存在するのか。そもそもこの世界はなぜ存在しているのか」

B「なにも答えようのない問いだね。我々には与えられている材料があまりにも少なすぎる。なにひとつ与えられていないとも言える」

A「いや、それは言い過ぎだ。すくなくとも、我々という、このふかしぎな存在が実際に存在しているのはおそらくまちがいはないだろう」

B「そうかな? そうかもな。なぜ、事物が存在しているのか。この悩みさえ解くことができれば、我々という存在はもっと軽やかなものになれるだろうか」

A「いや、わからんよ。真実や事実が、いつも我々をよき方向へ導いてくれたわけではない」

B「……」

A「昔、ある男から聞いたことがある。存在をより高めるのではなく、無に近づくように努力するべきだと」

B「それは私も聞いたことがある。しかし、そんなことが可能なのだろうか」

A「私は、その点では希望をもっている。なぜなら、我々の日常生活においても、有が無になる機会は多い」

B「そうだろうか。私はそうは思わない。形あるものが崩れ、また新しい形あるものになっているようにしか見えない。この世に無などというものはないのではないか。この世は有に満ちている」

A「……」

B「我々は暇だから、この世に無なるものがあるのかないのか考えてもよい。だが、もうすこし有益なことを考えてみたいという誘惑もある」

A「たとえば?」

B「我々は生まれ、生き、存在し、その存在していることに悩む。よほどのばかか天才でないかぎりね。この悩みの本質を打ち砕くことは、どうやら我々にはむりそうだ。しかし、我々には、それが正しかろうが、まちがっていないようが、解釈するという力が与えられている」

A「存在の理由が与えられてないのならば、自分で決めてしまえという、あの乱暴な提案かね」

B「そう、あの乱暴な提案だよ。でも、あの提案にはよいところがいくつかある。まずひとつ目は、実際に生きて行かなければならない我々にとって、それは有益な行為だということだ」

A「たしかにまあ、否定はできないな」

B「それがまちがっていても正しくとも、自分自身で、なぜ、自分が存在しているのかを規定して、それに基づいて生きれば、幸福感、幸福ではなく、幸福感はすくなくとも得られるだろうよ」

A「そして、ある種の満足感に包まれて、あの世があるのならば、あの世へ。なければ無となるのか。しかし、果たして、そこに根源的な意味で、我々が存在したことに対する解になるのだろうか」

B「なるだろうよ。なぜなら、この問題は、出題者の問題作成に原因があるように、存在の真の理由を知らされていない我々からすれば思えるからだ」

A「なるほど。だから、主体性をもって、なぜ、存在するのかという、最も大きな問題に対峙するわけだな」

B「そこで問われるのは結果ではない。過程だ。存在する理由がわからないという重荷を背負って、彼・彼女がなにをしようとしたかが。そこから、すべての善と美が生まれると、私は思うよ」

A「たしかに、それはひとつの、我々が存在する理由が不明であるという大問題に対して、我々が対峙する方法のひとつであることは認めてもいい」

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対話篇もしくはカノン 青切 吉十 @aogiri

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