第三章 エピソード9
しばらくすると――
花壇で雑草を抜いていたルナリアの耳に、
少し離れた場所から、クスクスと忍び笑いが届いた。
振り返らずとも、誰の声かは分かる。
――令嬢三人組。
いずれも名のある貴族家の令嬢たちで、舞踏会の前までは、ルナリアに対して従順な態度を崩さなかった者たちだ。
けれど今は、それぞれの口元に、侮蔑の笑みが浮かんでいる。
「まあ……“公爵令嬢”も、地に落ちたものですわね」
「“婚約者様”にふさわしい気品を捨ててまで、泥にまみれるなんて」
「一昨日の夜会も欠席なさって――自ら、すすんで泥にまみれていたとか」
「庶民に媚びるのも、大変ですわね。
――やはり、“聖女様”の影響かしら?」
「ユリシア様は、たしか“辺境伯”様のご息女。
セリア様も……同じく、ご息女ですの?」
「いえ、セリア様はご近縁とはいえ――
ただの、“田舎貴族”のご出身だとか」
最後は、三人そろっての見事なユニゾン。
「あらまあ。辺境の田舎貴族のご出身でしたら――
むしろ、よくお似合いですこと」
その言葉がよほど気に入ったのか、一同は楽しげに笑い合った。
セリアが名指しされ、ユリシアがそっと振り向いた。
目元に冷たい光を宿し、三人を一瞥する。
しかし――セリアは静かに首を振り、彼女に微笑みかけた。
ユリシアは頷き、再び作業に戻る。
嘲りの言葉と空気に、周囲の空気が一瞬、ぴんと張りつめた。
そんな中、ルナリアの脳内に、いつもの能天気な声が響く。
『うわ、また出たー! お約束のモブ令嬢三人組!』
『ルナリアさんのターンです! ばっさりと行っちゃってください!』
(わたくしが、何を言われようと構いません)
(けれど――誰かを傷つける“悪意”の言葉だけは、
黙って聞き流すことなど、できませんのよ)
……たとえ、こんなことに意味などないとしても――
それでも、わたくしは、“見過ごせない”のです。
ルナリアは作業の手を止め、ゆっくりと立ち上がる。
奉仕服のスカートについた泥を払い、土で少し汚れた指先を見つめた。
そして、静かに振り返る。
金糸の髪が風に揺れ、彼女の頬をかすめる中――ルナリアは、微笑んだ。
「――そう。“泥にまみれる”ことが、そんなに恥ずかしいかしら?」
その声は穏やかで、けれど芯に鋭い刃を秘めていた。
令嬢たちは一瞬たじろぐが、すぐに意地を張るように返す。
「もちろんですわ。貴族たるもの、常に優雅であるべきですもの」
「泥は、下々の者が触れるもの」
「そうでなければ、品位が疑われますわ」
ルナリアは一歩、彼女たちに近づいた。
その瞳は氷のように澄み、けれど燃えるような意志を宿していた。
その様子に、平民の少女が思わずつぶやく。
「……“氷の百合”……」
ルナリアはさらにもう一歩、前に出た。
「そう……。なら、聞かせてほしいわ。
貴女たちは、その“綺麗な手”で、何を守るの?」
令嬢たちの顔が引きつる。
「あら、まさかとは思いますが……ご存じないのかしら?
あの“辺境伯様”は、民と共に畑を耕し、魔物を討ち払う方。
聖王様が認めた“盟友”が、自ら範を示しておられるのに――」
「それすら知らぬ方々が、貴族を語るとは……片腹痛いですわ」
セリアとユリシアが、ルナリアの方を振り向いた。
その立ち姿に、目を奪われる。
ルナリアはさらに続ける。
「誇り高き貴族であるのなら――
泥に触れることすら恐れて、どうして民を導けるの?」
「わたくしは、ただ飾られるだけの花じゃない――
この手で根を張り、咲かせる花でありたい」
「それこそが、“上に立つ者”の誇りであり、矜持ではなくて?」
沈黙が落ちる。
令嬢たちは言葉を失い、視線を泳がせた。
ルナリアはそっと微笑を深めると、花壇からスコップをひとつ取り上げ――
すっと、令嬢のひとりに差し出した。
(……どうせ誤解されるのなら、わたくしの流儀で応えてみせる)
「さあ、貴女たちも“誇り”があるのなら――その手で証明なさい。
“汚れぬ手”を守るのが貴族の嗜みだというのなら、
今ここで、それがどれほど虚しいことか、理解できるはずよ」
三人は、赤面しながらもスコップを受け取るしかなかった。
悔しさと戸惑いに頬を染めながらも――
その胸の奥には、不思議な熱が灯っていた。
(……これが、ルナリア・アーデルハイト)
彼女たちの心に刻まれたのは、侮蔑ではなく――
圧倒的な、“本物の気高さ”だった。
ルナリアはそれ以上何も言わず、再び花壇へ向き直る。
そして、淡々と、スコップを動かし始めた。
(……はぁ。どうして、いつもこうなるのかしら)
その背中を見つめながら――
令嬢たちは、黙ってスコップを握りしめる。
やがて、恐る恐る雑草に手を伸ばした。
「……意外と、楽しいものですわね」
「そ、そうですわね……」
「しぶとい雑草もあれば……すぐ抜けるのもあって……」
三人は顔を見合わせる。
最初は戸惑いながらも――
気づけば、その手は、思った以上に真剣だった。
(……お願いだから、これ以上、期待しないでちょうだい……)
けれど、その時にはもう、学院の空気は変わり始めていた。
その光景を見ていた周囲の生徒たちは、
静かに、けれど確かに、ルナリアへの眼差しを変えていた。
やがて――
その背を見つめていた生徒たちが、貴族も平民も関係なく、
次々と道具を手に取り、花壇の手入れに加わり始める。
「わたくしも……やります!」
「僕も手伝います!」
「みんなで、花壇、もっと綺麗にしましょう!」
――学院の空気が、確かに変わった。
まるで、貴族も平民もなく、同じ“手”を汚して、同じ花を咲かせるように。
それは、芽吹いていた。
小さくて、儚くて。けれど確かな――
小さき花の革命。
風に揺れる花壇の中。
誰かが植えたばかりの白い花が、そっと開き始めていた。
まるで、その清廉なる意志に、静かに応えるかのように。
『……咲いたね』
まひるの声は、春の息吹のように柔らかくて――
けれど、閉ざされた氷の奥にある、少女の心に、かすかな、でも確かなぬくもりを届けた。
その時――ルナリアの小さな“革命”を、陰から見つめる者がふたり。
それぞれの場所から、それぞれの想いで――
静かに、心が動き始めていた。
悪役令嬢、ちょいちょい社畜、のちヒロイン ~えと、破滅フラグ回避でいま忙しいんで、婚約破棄とか恋愛とか後にしてもらえません?~ 猫屋敷むぎ @nekoyashiki_mugi
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