Il filo d’argento che intrecciamo  Ⅲ (私たちが紡ぐ銀の糸)

八坂卯野 (旧鈴ノ木 鈴ノ子)

本編

 ぎこちないながら、正月飾りを玄関先へと据えた。

 飾り付けたというより、初めての体験ゆえのぎこちなさに、未知はそう感じていた。


「こんな感じでいいのかな?」

「ありがとう、未知ちゃん、そこでいいわよ」


 古い玄関先の、いつ取り付けられたか分からない錆びついたフックへ、しめ縄の立派な飾りが据えられると、二回目の正月を迎えるのだと未知は感慨深い思いがした。

 一度目の正月はよそよそしく感じたものだが、二回目の正月は違うのだ。


 佳彦は村の寄り合いに呼び出されて、しぶしぶといった顔つきで準備を整え、迎えに来た地区の人たちに、見たこともない笑みを称えながら、颯爽と出かけていった。


「あれって……」

「あれがビジネスマンよ、覚えておくといいわ」

「それって……裏表が……」

「人間は誰しも持っているわ、仕事に携わる者たちは、それを正しく使いこなすことができるか、も素質なのよ」

「じゃぁ、玲香さんも……」

「そうよ、こんな感じにね」


 輝かんばかりの美しい笑顔を浮かべた玲香に、一瞬、驚いたりしたものの、未知はクスっと笑い、同じような完璧な笑みを浮かべて見せた。


「私だってできるわ」

「あら……」


 玲香が近寄ってきて、その手が未知の頬を優しく撫でる。

 その違和感を抱かせぬ笑み、その唇の角を親指の腹で触れると、やがて、玲香の輝く笑みが消えて、柔和なものへと変化した。


「でも、この笑みは家族には見せてはいけないの、それだけは覚えておいてほしいわ」

「見せたら、ダメなの?」」

「ええ、だって、何もわからないでしょう」


 玲香に影が宿る、それは、過去を思い返しているようで、少し小皺の寄った唇が噛みしめるように歪んでいる。


「わかった、しないようにする」

「するでは駄目よ、しない、にしてほしいわ」

「うん」


 懇願するような声に、未知は驚き、しっかりと頷く、玲香の目がうっすらと潤んでいる。


「ごめんなさいね、私と佳彦はそれで失敗したの、互いに、互いを、心配させないように取り繕ったがために……、だから、未知ちゃんには、そんな経験はして欲しくないわ、私たちは味方でありたい。もちろん、未知ちゃんの考えを、肯定も否定もしないわ」

「肯定も否定もしないの?」

「ええ、大人として、いえ、社会人として、本当に駄目なものだけは、もちろん怒るし否定もするわ。でも、それ以外のことで、自分で結論を出すというのなら、私たちはそれを待つ義務があるもの。端的に言うなら、自分で説明と後始末ができることなら、私たちは文句を言わないということよ」

「説明と後始末……」

「養ってもらっている身とか、そういうことではないわ。お金を出すことは、私たちの義務であり、当たり前のことだもの、未知ちゃんはきちんと判断できるから、そこは心配していない。だから、自分の未来のこと、自分の信じる何かのために動くというなら、説明と後始末ができるなら好きにしていいのよ」

「うん」


 未知にとって、そういえばそうだと、内心納得することばかりであった。

 この家に越してきてから、佳彦も、玲香も、未知も、なにかしら相談が必要な事柄については、プレゼンのように話をしている。全てではないけれど、話すことで自らが見えないことが沢山あって、それが誰しも為になった。

 もちろん、プレゼンした本人が結論を決めているので、揉め事にもならない、ただ、聞き考えた意見を伝えるだけ、でも、なかなかに有意義ではあった。

 唯一、打ち切られたのは、佳彦の「防音」に関するもので、玲香が烈火の如く、ブチギレして、差し止めたことぐらいだろう。

 未知自身も、よくもそんなことを相談しようとしたと呆れたものだ。


「これだけは守ってね」

「うん」


 握られた両手の温かみに頷き、玲香の安心した微笑みを受け、やがて二人は、正月のための諸々の準備へと取り掛かった。


 お節の準備からお雑煮の下準備までを終えて、三一日の大晦日は、佳彦は町内会の手伝いで、神社の年越しに駆り出され、玲香と未知の二人で午前零時に、その神社へとお参りを済ませると、氏子姿の佳彦から声を掛けられた。


「初日の出までには、一度帰るから」

「ええ、あ、月の出にも帰ってくるの忘れないでね」

「ああ、分かってる」


 微笑み合った夫婦が分かれると、未知の不思議そうな顔に、玲香が微笑んだ。


「月の出が気になった?」

「うん、日の出は分かるけど……」

「去年は、未知ちゃんは疲れて寝ていたから、起こさなかったのだけど、今年からは付き合ってもらおうかな」

「何をするの?」

「ただ、お月さまを眺めるだけよ」

「え?」

「お月さまを眺めるだけ、初日の出を拝むように、初月の出を眺めるの、そして、新年の初日が無事に迎え終えたことを、安堵し合うだけ、あとはいつも通りよ」

「月見みたいに?」

「ええ、そんな感じ、風習だとか、宗教だとかは関係ないわ」


 玲香は苦笑いをしながら、冗談めかして手をひらひらと動かし、そして、空に昇る月を眺める。


「私達はお月さまに助けられたの」

「月に?」

「ええ、湖面に映った月を目掛けて飛び込んで、音を聞きつけて佳彦が月明かりに揺れる水面の波紋を見つけて飛び込んで、私達を助けてくれたの、そして、湖面から上がって互いの顔を見つめて……。前に笑みの話をしたことがあるでしょ、その時に初めてそれがすべて失われて、どうしようもない感情が堰を切ったように溢れてきたの。でも、怒鳴り合いはしなかった。天のお月様が、呆れたように私達を照らしてくれていて、そこで取り繕う必要のない事を静かに諭された」

「うん……」

「ごめんなさいね、早々に暗い話みたいになってしまって、でも、夫婦、いや、人間には、日の時と月の時があると思うのよ」

「陰陽みたいに?」

「ええ、でも、そこまで難しいことは言わない、子供みたいに、明るい時、暗い時、でいいのよ。空はそれを教えてくれる」

「空が教えてくれる……」


 未知は空を見上げてみる。

 冷え切った空気が満ち、まんまる手前の月が月光を輝かせていた。力の強い星々が瞬き、宝石のように輝きを見せる。


「自然の中の人間、人間の中の自然、ってことかな」

「言い得て妙ね、でも、そうだと思うわ」


 中二病に近しい言葉かと、言った後でごまかすように未知は笑う、けれど、感心したように玲香は深く頷いた。


「きっと、辛い時はそれを忘れてしまうのよ、広い世界が見えなくて、狭い世界に閉じ込められてしまう、きっと、その世界を開けてくれるのは、何かの不思議なタイミングと、自然と自分自身と向き合ったときなんでしょうね」


 月明かりに照らされて、優しい微笑みを浮かべる玲香に、未知は身震いした。

 己が体験したことがないほどに、玲香の言葉と容姿が輝いて聞こえ見たのだから。


 家に帰り着く頃、突然、空が曇ると吹雪が駆けていった。日の出前には吹雪は止むと、あたり一面の銀世界が、徐々に朝焼けに染まり、やがて遠くの山から日が昇る。

 縁側に未知、佳彦、玲香で腰を下ろして座り、それを無言でただ眺める。いつもは真ん中に座らされることの多い未知は、あえて真ん中を佳彦に譲った。


 夜は一面の銀世界となった。

 満月が月光を煌々とさせては、溶け雪を地上の星のように輝かせ、空にはいくつかの星々が瞬いている。

 日の出と同じように三人で見つめながら、未知は視線を少しだけ二人に向ける。

 互いに指を絡め合った片手を、しっかりと握り合っていた。

 それは愛情よりも、何かの誓いのようにも思えて、未知は少しだけ羨ましく、いや、羨望の念を抱かせるほどだった。


「私、ちょっと友達に電話してくる」

「ああ」

「未知ちゃん、付き合ってくれてありがと」


 二人の声色と表情はとても穏やかで、未知はそれに頷くと部屋へと戻った。

 通学している高校の友人たちと、おしゃべりに興じて、やがて、眠りへとついた。

 夢の中で久しぶりに両親と弟に出会う、とても、幸せな時間となった。


 目を覚ますと、微かなお雑煮の香りが、部屋へと流れ込んできている。朝日が閉めたカーテンの隙間より漏れて、そして、一つの線となり、温かく、柔らかな、金糸のようであった。


 今日も一日が始まる。

 銀の糸を紡ぐ一日が。



 

 

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