第4話 孤独な鍛錬と氷の彫像

 翌朝。アークライト公爵邸の朝食の席は、いつもとは違う緊張感に包まれていた。

 俺、ヴィンセント・フォン・アークライトは、ナイフとフォークを置き、父グレゴリーと母ベアトリスに向かって深く頭を下げた。


「お父様、お母様。お願いがあります。私に剣術の指南役と、魔力制御の家庭教師をつけてください」


 その言葉に、食卓の時間が止まった。

 父と母は顔を見合わせ、まるでエイリアンでも見るような怪訝な目で俺を見た。

 無理もない。これまでのヴィンセントといえば、勉強嫌いの運動音痴。家庭教師が来れば癇癪を起こして追い返し、剣の稽古からは仮病を使って逃げ回るのが常だったからだ。

 そんな俺が、自ら進んで「修行したい」などと言い出したのだ。熱がぶり返したのかと疑われても仕方がない。


「ヴィンセント……昨夜の今日で、急にどうしたのだ? 婚約の件で気が動転しているのではないか?」


 父の鋭い眼光が俺を射抜く。

 ここで「将来、主人公に殺されるのが怖いので強くなりたいです」などと正直に言えば、精神科医を呼ばれて終わりだ。

 俺は昨夜の脳内サミットで決定した「建前」を、全力で振りかざすことにした。


「リリアーナ殿下をお守りするためです」


 俺は真っ直ぐに父を見つめ、少し震える声で力説した。


「殿下は、我が国の至宝であり、将来の国母となるお方。その婚約者となる私が、ただ家柄が良いだけの無力な子供では、あまりに不釣り合いです。将来、殿下に降りかかるあらゆる災厄を払い、その隣に立つのに相応しい男になりたいのです!」


「ヴィンセント……!」


 母が感極まって口元を覆う。父の表情も、厳しさから驚き、そして感動へと変わっていく。

 チョロい。いや、それだけ今までの俺が酷すぎた反動だろう。

 この「リリアーナへの愛」という錦の御旗さえ掲げれば、大抵の無理は通る。俺は心の中でガッツポーズをした。


「……良いだろう。その心意気、天晴れだ」


 父は重々しく頷いた。


「アークライト家の跡取りとして、そして王女殿下の婚約者として、恥じぬよう精進せよ。すぐに最高の手配をしよう」


 こうして、俺の「生存のための特訓」は、公爵家の全面バックアップのもとスタートすることになった。


 しかし、現実はそう甘くはなかった。


 まず、剣術の先生はすぐに見つかった。

 王宮騎士団を引退した初老の騎士、ガレイン卿だ。

 彼は厳格な人物で、初日から容赦のない基礎訓練を課してきた。

 素振り千回、走り込み、体幹トレーニング。

 8歳の貧弱な体は悲鳴を上げ、初日の夜には筋肉痛でベッドから起き上がることすら困難になった。

 だが、これは想定内だ。肉体の苦痛は、死の恐怖に比べれば耐えられる。


 問題は、魔法の方だった。


「申し訳ございません、旦那様。氷属性の適任者が、どうしても見つからず……」


 数日後、執事のセバスチャンが悲痛な面持ちで報告に来た。

 この世界において、魔力を持つ者は貴族に限られる上、その属性は家系に依存する傾向が強い。

「氷」属性は水属性の変異種であり、非常に希少なのだ。

 宮廷魔導師団に何人かいるらしいが、多忙を極めており、一介の貴族の家庭教師として長期間拘束するのは難しいとのことだった。


「……仕方ありません。見つかるまでは、独学でやります」


 俺はそう言って、屋敷の図書室に籠もることにした。

 先生がいないなら、教科書を読めばいい。前世の受験勉強だってそうやって乗り切った。


 図書室の棚から『魔力制御の基礎』『属性別・魔導の深淵』といった分厚い本を片っ端から借り、自室で読み漁る。

 難解な古語に苦戦しながらも読み進めると、どの本にも共通して書かれている「極意」があった。


『魔法とは、イメージの具現化である』

『己の魔力を信じ、明確な形を脳裏に描くことこそが、強力な術を行使する鍵となる』


「イメージ……か」


 俺は本を閉じ、溜息をついた。

 言うは易く行うは難しだ。

 試しに、窓の外に向かって手をかざし、ゲームの中でヴィンセントが使っていた初級魔法『アイス・バレット』を念じてみる。


「出ろ……! 鋭利で強固な、氷の弾丸!」


 掌に魔力が集まる感覚がある。熱いような、冷たいような不思議な感覚。

 そして、ポンッという間の抜けた音と共に現れたのは――


「……なんだこれ」


 俺の手の中に落ちてきたのは、製氷皿で作ったような、一辺2センチほどの可愛らしい氷のキューブだった。

 しかも、形が歪で気泡だらけだ。


「しょぼっ……!!」


 俺は愕然とした。

 こんなもので何と戦えと言うんだ。

 ゴブリン一匹倒せない。いや、夏場にそうめんを冷やすのには役立つかもしれないが、俺が求めているのは殺傷能力だ。

 やはり、独学には限界があるのか。

 それとも、俺には才能がないのか。


「いや、諦めるな。魔力量だけは莫大なはずなんだ」


 ゲームの設定では、ヴィンセントは中ボスになるほど魔力量が多かった。

 問題は「出力」と「形成」のプロセスにあるはずだ。

 漠然と「氷よ出ろ」と念じるだけでは、魔力が霧散してしまう。

 もっと具体的で、緻密なイメージが必要なのだ。


「緻密なイメージ……立体的な造形……」


 その時、俺の脳裏に電撃が走った。

 前世の記憶。

 オタクとしての俺が、情熱を注いでいた趣味の一つ。


「……フィギュアだ」


 そうだ。俺は前世で、ガレージキットの塗装や造形に手を出していた時期があった。

 二次元のキャラクターを三次元に落とし込む際の、あの狂気じみたこだわりのイメージ力。

 0.1ミリ単位でディテールを修正する集中力。

 それを魔法に応用すれば?


「やってみる価値はある……!」


 俺はニヤリと笑った。

 生き残るための特訓だ。手段を選んでいる場合ではない。


 それからの俺は、剣術の稽古以外の時間をすべて「氷の造形訓練」に費やした。

 端から見れば、部屋に引きこもって氷遊びをしている子供にしか見えないだろう。

 だが、俺は大真面目だった。


「まずは球体……完全な真球を作る。次は立方体。エッジを鋭く。そして、複雑な構造……」


 魔力を指先に集中させ、大気中の水分を凝固させる。

 最初はすぐに溶けたり、形が崩れたりしたが、数日もすればコツを掴んできた。

 自分の好きなキャラクターや、ゲームのモンスターを思い浮かべながら作ると、驚くほど魔力操作がスムーズになるのだ。

 やはり「好き」の力は偉大だ。


 そして一週間後。

 俺は庭園の片隅にあるガゼボで、ある「大作」に挑んでいた。

 今日は剣術の先生が休みで、天気も良かったため、外で実践練習をしようと思ったのだ。


「イメージしろ……。鱗の一枚一枚、爪の先まで……」


 俺が作っているのは、このゲームの隠しボスである『氷竜ヴェルザード』のフィギュアだ。

 全長30センチほどだが、その造形は緻密を極める。

 大きく広げた翼、咆哮する口内の牙、そして全身を覆う鋭利な棘。

 俺の全魔力と全集中力を注ぎ込み、完成間近に迫っていた。


「……できた」


 目の前のテーブルの上に、クリスタルのように輝く氷のドラゴンが鎮座していた。

 太陽の光を浴びて、七色に煌めいている。

 我ながら完璧な出来栄えだ。これを魔法として放てば、相当な威力になるのではないか?


「ふふっ……美しい。これぞオタクの執念……」


 俺が自分の作品に陶酔していた、その時だった。


「ヴィンセント様ーッ!!」


 遠くから、メイドの悲鳴のような呼び声が聞こえた。

 振り返ると、屋敷の方からメイドが血相を変えて走ってくるのが見える。


「た、大変です! リリアーナ王女殿下が! 殿下が今、こちらにいらっしゃいました!」


「は?」


 思考が停止する。

 リリアーナ? なぜ? アポなしで?


「な、なんで急に……!?」


「『近くまで来たので、婚約者の顔を見に寄りました』と! 今、セバスチャン様が玄関で応対しておりますが、ヴィンセント様が庭にいらっしゃると聞いて、こちらへ向かわれるそうです!」


「ま、待て待て待て!」


 俺はパニックになった。

 今の俺は、剣術の稽古着姿で、手には泥がついている。

 髪もボサボサだ。

 そして何より、目の前には「氷のドラゴン」がある。

 これを見られたらどうなる?

「婚約者がフィギュアオタクだった」とバレてドン引きされるか?

 それとも「遊んでないで修行しろ」と呆れられるか?


「隠さなきゃ……いや、溶かすか? 間に合わない!」


 俺がオロオロとドラゴンを持ち上げようとした瞬間、ガゼボの入り口から光が差した。


「――ごきげんよう、ヴィンセント様」


 鈴を転がすような、可憐な声。

 心臓が止まるかと思った。


 恐る恐る振り返ると、そこには護衛騎士を引き連れたリリアーナ王女が立っていた。

 今日の彼女は、淡い若草色のドレスに身を包み、黄金の髪をハーフアップに結っていた。

 背景に薔薇の花が幻視できるほどの、圧倒的な美貌。

 そのエメラルドの瞳が、俺と、そして俺の手にある「氷のドラゴン」を捉えた。


「あ……」


 終わった。

 俺はドラゴンを抱えたまま、硬直した。

 逃げ場はない。言い訳も思いつかない。

 リリアーナ王女は、目を丸くして俺の手元を凝視している。

 沈黙が痛い。


「殿下、これは……その……」


 俺は冷や汗をダラダラと流しながら、乾いた唇を開いた。

 もう、開き直るしかない。

 これは遊びじゃない。修行だ。高尚な魔力制御の訓練なのだ。


「……魔力制御の、特訓です」


 俺は震える声で言い切った。


「私の魔力は氷属性。しかし、ただ凍らせるだけでは芸がありません。より緻密に、より強固に魔力を操るため……こうして、複雑な形状を維持する訓練をしていたのです」


 苦しい。我ながら苦しすぎる言い訳だ。

 ドラゴンのフィギュアを作ることが、どうリリアーナを守ることに繋がるのか。

 こじつけにも程がある。


 俺は断罪を覚悟して、ギュッと目を閉じた。

「気持ち悪い」と言われるか、「不真面目だ」と罵られるか。


 しかし、聞こえてきたのは感嘆の吐息だった。


「……素晴らしいですわ」


「え?」


 目を開けると、リリアーナ王女が頬を紅潮させ、キラキラとした瞳でドラゴンを見つめていた。


「これほどの精緻な氷細工を、魔法だけで……? なんて繊細で、美しい魔力コントロールなのでしょう」


 彼女はゆっくりと歩み寄り、俺の手にあるドラゴンに触れようとした。


「冷たい……でも、とても綺麗。ヴィンセント様、貴方様はやはり天才ですわ」


「は、はぁ……」


 予想外の反応に、俺は間抜けな声を漏らすことしかできなかった。

 天才? これが?

 ただのオタク趣味が?


「私を守るために、これほど高度な特訓を……。誰にも見せないところで、独り努力を重ねていらしたのですね」


 リリアーナは、完全に自分の都合の良いように解釈していた。

 俺の薄汚れた服も、乱れた髪も、全て「努力の勲章」として映っているようだ。


「ヴィンセント様」


 彼女は真剣な表情になり、俺の目を見つめた。

 その瞳には、8歳の少女とは思えないほどの熱と、ある種の「執着」が宿っていた。


「私は、貴方様のそのひたむきな心に、改めて惹かれました」


 リリアーナは後ろに控えていた侍女から、豪奢な装飾が施された短剣を受け取った。

 王家の紋章が入った、儀礼用の短剣だ。


「これは、王家に伝わる『誓いの短剣』。本来は成人の儀で渡すものですが……私は今、貴方様にこれをお渡ししたいのです」


「えっ、そ、それは……」


「受け取ってくださいませ。そして、正式に私の婚約者として、その忠誠と愛を、この剣に誓っていただきたいのです」


 これは、ゲーム内のイベントアイテムだ。

 リリアーナ・ルートのハッピーエンドで、彼女が主人公に渡すはずの重要アイテム。

 それを、なぜ今、俺なんかに?


「……お断り、ですか?」


 リリアーナが悲しげに眉を下げる。

 その破壊力は凄まじかった。

 ここで断れば、俺は彼女を傷つけ、王家の面子を潰し、破滅ルートへ逆戻りだ。

 周囲の護衛騎士たちも、「受け取れよ」という無言の圧を放っている。


 俺は覚悟を決めた。

 いや、流されるしかなかった。

 左手で氷のドラゴンを抱えたまま、右手を差し出す。


「……謹んで、お受けいたします。リリアーナ殿下」


 俺は短剣を受け取り、その場で片膝をついた。

 ジャージのような稽古着で、泥だらけで、片手にはドラゴンのフィギュア。

 あまりにも締まらない、シュールすぎる絵面だ。

 だが、リリアーナは世界で一番幸せそうな笑みを浮かべていた。


「嬉しい……。これで私たちは、本当の意味で結ばれましたわ」


 彼女は俺の手を取り、その甲に口づけを落とした。


「期待していますわ、私の騎士様。……ふふっ」


 その最後の含み笑いに、俺の背筋がゾクリと震えた。

 彼女の瞳の奥に、昏い炎が見えた気がしたからだ。


 こうして、俺は正式にリリアーナ王女の婚約者となり、逃げ道を完全に塞がれてしまった。

 手元に残ったのは、溶けかけた氷のドラゴンと、重すぎる誓いの短剣。

 そして、「もう後戻りはできない」という絶望的な事実だけだった。


「……やるしかない。もっと、もっと強くならないと……」

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