第3話 脳内サミットと間違った結論

 アークライト公爵邸の自室。

 重厚なカーテンが閉ざされ、薄暗い部屋の中で、俺は、机に向かって一心不乱にペンを走らせていた。

 部屋に引きこもってから丸一日。俺は発狂していたわけではない。いや、半分くらいは発狂しかけたが、残りの理性でこれからの生存戦略を練っていたのだ。


「……まずは情報の整理だ。敵を知り己を知れば百戦危うからず、ってな」


 羊皮紙には、前世の記憶にあるゲーム情報をびっしりと書き殴っていた。

 俺の脳内にある『セイクリッド・アカデミー ~白銀の剣と六人の花嫁~』の攻略Wikiを、記憶の限り再現する作業だ。


 基本設定の確認。

 この世界は、中世ヨーロッパ風の剣と魔法の国「サンクチュアリ王国」。

 魔力を持つ人間は希少で、主に貴族の血筋に現れる。

 魔力を持つ少年少女は、制御法と魔法技術を学ぶため、15歳になると国営の「セイクリッド魔法学園」へ強制的に入学させられる。

 そこで繰り広げられる青春、冒険、そして恋愛。それがこのゲームの醍醐味だ。


「属性は基本四属性の『火・水・風・土』。そして、選ばれた者だけが持つ希少属性『光』……」


 俺は震える手でインク壺にペンを浸した。

 原作主人公は、平民出身ながら突然変異で最強の「光」属性に目覚めた勇者枠だ。

 対する俺、ヴィンセントは、強力だが制御の難しい「氷」属性。

 スペックだけ見ればライバルとして申し分ないが、性格の悪さが災いして破滅する。


 次に、このゲームの肝であるヒロインたち。

 攻略対象となるメインヒロインは4人。


 一人目は、俺の婚約者となってしまったリリアーナ・フォン・ロセリア。

 第三王女。金髪碧眼の絶世の美女。

 属性は、主人公と同じ「光」。

 表向きは慈愛に満ちた聖女だが、ルートによっては目的のために手段を選ばない冷徹さや、主人公への重すぎる愛を見せる「腹黒」「ヤンデレ」の側面を持つ天才肌だ。

 男性人気投票不動のNo.1。その美貌は、画面越しでも俺の心臓を止めるほどだったが、現実での破壊力は核弾頭並みだと身をもって知った。


 二人目は、シルヴィア・フォン・ロセリア。

 リリアーナの双子の妹で、第四王女。

 姉とは対照的な、月光のような銀髪と涼しげな碧眼を持つクールビューティー。

 属性は「水」。

 姉に対するコンプレックスを抱えており、そこを主人公に救われてデレるチョロイン枠だ。


 三人目は、エレノア・バン・ミュラー。

 武門の名家、ミュラー辺境伯の令嬢だが、幼い頃に両親を亡くし、アークライト公爵家に引き取られた俺の義妹だ。

 燃えるような赤髪をショートカットにした、活発でスタイルの良いボクっ娘。

 属性は「火」。

 孤独な幼少期の反動で、愛に飢えている「恋多き女性」という設定。情熱的すぎて、一度火がつくと止まらない。


 四人目は、ソフィア・ド・ランパード。

 宰相の娘で、眼鏡が似合う知的な文学少女。

 黒髪を三つ編みにした地味めな外見だが、眼鏡を外すと超美少女というお約束を持つ。

 属性は「土」。

 寡黙で常識人だが、実は一番のムッツリという噂もある。


「……どの子も可愛いんだよなぁ、ゲームの中なら」


 俺はため息をついた。

 画面の向こうなら「尊い」で済む。だが、ここは現実だ。

 彼女たちの背後には、王家、辺境伯、宰相という巨大な権力が鎮座している。

 迂闊に関われば、物理的にも社会的にも消される。


 そして、俺自身の立ち位置の再確認。

 ヴィンセント・フォン・アークライト。

 原作では、「公爵家の権力」と「有り余る魔力量」を理由に、強引にリリアーナとの婚約を取り付けていた。

 そして学園入学後、リリアーナに近づく主人公に嫉妬し、権力を使った陰湿な嫌がらせや、魔法による実力行使で妨害し続ける「中ボス」となる。


 その末路は二つ。

 主人公がリリアーナと結ばれるハッピーエンドなら、ヴィンセントは全ての悪事を暴かれ、公爵家を廃嫡された上で国外追放。

 主人公がバッドエンドなら、狂気に染まったリリアーナ、あるいは彼女を守ろうとした主人公に腹を刺されて死亡。


「……詰んでる」


 書き出した情報を眺めれば眺めるほど、絶望的な未来しか見えない。

 特に今の俺は、原作とは違うルートに入っているが、リリアーナの婚約者というポジションにいる以上、主人公との対立構造は避けられない。

 むしろ、原作よりも強固な婚約関係にある分、主人公からの「略奪愛」イベントが発生した時のダメージは計り知れない。


「まだだ……まだ慌てるような時間じゃない」


 俺は一縷の望みをかけて、事実確認に奔走することにした。

 もしかしたら、ここはゲームの世界によく似た別の世界かもしれない。

 あるいは、俺の記憶違いで、本当はヴィンセントにも救済ルートがあるかもしれない。


 引きこもりを解除した俺は、まず母・ベアトリスのもとへ向かった。


「お母様、我が国の建国の歴史について、改めて教えていただけますか?」

「まあ、ヴィンセント。勉強熱心ね。ええ、いいわよ」


 母から聞いた話は、ゲームのオープニングムービーで流れるナレーションと一言一句違わなかった。

 初代国王が聖剣を振るい、魔王を封印した伝説。

 王家に伝わる「光の血脈」の話。

 全てが一致している。


 次に、屋敷の古参メイドやセバスチャンに、他家の情報や貴族社会の情勢を聞き出した。

 ミュラー辺境伯家の武勇伝、ランパード宰相の政治手腕。

 そして、リリアーナ王女とシルヴィア王女の双子姉妹の評判。

「リリアーナ様は太陽のような御方」「シルヴィア様は月のように静かな御方」という評価も、ゲームの設定資料集通りだ。


 最後に、俺は屋敷の図書室に籠もり、歴史書や地理書を読み漁った。

 地図の形、地名、魔物の生息域、魔法の体系。

 どこをどう切り取っても、『セイクリッド・アカデミー』そのものだった。


 数日間の調査を終え、俺は再び自室の机に突っ伏した。


「……確定だ。ここは間違いなく、あのゲームの世界だ」


 疑いようのない事実。

 俺は悪役貴族に転生し、破滅へのカウントダウンが始まっている。

 しかも、俺自身の手によって、そのスピードは加速してしまった。


「嫌だ……死にたくない……」


 俺は震えた。

 30歳でトラックに轢かれて死んだ時の痛みと恐怖は、まだ記憶に新しい。

 あんな思いは二度とごめんだ。

 寒い北の地で野垂れ死ぬのもお断りだ。

 俺はただ、エアコンの効いた部屋で、ポテチをつまみながらゲームをして、寿命で死にたいだけなのに。


「……やるしかない」


 俺は顔を上げた。

 泣いていても現実は変わらない。

 誰も助けてくれないなら、自分で自分を救うしかない。

 俺は脳内で、緊急対策会議を招集した。


 脳内円卓会議場。

 そこに集まったのは、俺の中にいる複数の人格たちだ。


 議長:「これより、第1回ヴィンセント生存戦略会議を開催する。議題は『破滅フラグの回避と平穏な老後の確保』だ」


 ネガティブ担当:「無理だよぉ……相手はメインヒロインだよ? 王女様だよ? 婚約破棄なんてしたら、不敬罪で即処刑だよぉ……」


 好戦的担当:「だったら力ずくで運命をねじ伏せるしかねえだろ! 俺たちには公爵家の財力と、氷属性の魔力があるんだ!」


 議長:「静粛に。まずは現状の選択肢を整理する」


 俺は一人でブツブツと呟きながら、羊皮紙に選択肢を書き出し、×印をつけていく。


 案1:婚約破棄を申し出る

 → 却下。

 理由はネガティブ担当の言う通りだ。

 国王が認め、王女本人が熱望した婚約を、一介の貴族の子供が「やっぱ無理です」と断れるわけがない。

 下手をすれば公爵家ごと取り潰しだ。物理的な死が早まるだけである。


 案2:学園に入学せず、領地に引きこもる

 → 却下。

 この国では、魔力持ちの貴族が学園に入学するのは「義務」であり「兵役」に近い意味合いを持つ。

 拒否すれば、これまた不敬罪や反逆罪に問われる可能性がある。

 それに、学園に行かなければ原作主人公の動向を監視できず、知らぬ間に断罪イベントが発生するリスクもある。


 案3:原作主人公をいじめない

 → 保留

 これが一番まともな案に見える。

 主人公をいじめなければ、彼からの報復はないはずだ。

 しかし、ここには大きな落とし穴がある。

「ヒロイン争奪戦」だ。

 リリアーナが俺の婚約者である以上、主人公とリリアーナが接近すれば、周囲が俺を「邪魔者」として排除しようとするかもしれない。

 それに、リリアーナ自身が「腹黒」である場合、彼女の策略によって俺が「悪役」に仕立て上げられる可能性も否定できない。

「何もしない」は「安全」ではないのだ。


 好戦的担当:「だったらよぉ、誰にも文句を言わせないくらい『強く』なればいいんじゃねえか?」


 その言葉に、議長である俺の理性がピクリと反応した。


 議長:「……詳しく述べよ」


 好戦的担当:「簡単な話だ。国外追放されるのは、俺が『弱い』からだ。殺されるのも、俺が『弱い』からだ。主人公に負けるから、ざまぁ展開になるんだろ? だったら、主人公よりも、ラスボスよりも強くなっちまえば、誰も俺を追放できねえし、殺せねえよ」


 ネガティブ担当:「でもぉ、相手は光属性の勇者だよ? 勝てるわけないじゃん……」


 議長:「いや、待て。理屈は通っている」


 ゲームのヴィンセントは、魔力量は多いが、精神的に未熟で修行をサボりがちだったため、才能を持て余していた。

 だが、今の俺には「死への恐怖」という最強のモチベーションがある。

 そして、オタク特有の「凝り性」と「データ収集癖」がある。

 効率的なレベリング、魔法理論の解析、裏技の検証。

 それらを駆使して、学園入学までの7年間、死に物狂いで修行したら?


 議長:「……いけるかもしれない」


 そして、もう一つ。

 ヒロインたちとの関係性についてだ。


 ネガティブ担当:「関わりたくないよぉ。女の人怖いよぉ。特に王女様なんて、絶対裏があるよぉ」


 議長:「その通りだ。リアルな女性、特に権力を持つ女性との恋愛など、俺のガラスのハートでは耐えきれない。胃に穴が開く」


 そこで導き出される結論は一つ。


「『孤高』を貫く」


 誰とも群れず、誰にも媚びず、ただひたすらに己の道を歩む。

 ヒロインたちには「興味がない」という態度を貫き、好感度フラグを片っ端からへし折る。

 リリアーナに対しても、「君には相応しくない」「俺は修行が恋人だ」みたいなスタンスで、のらりくらりと距離を置く。

 そうすれば、彼女もそのうち愛想を尽かして、主人公のもとへ行くだろう。

 その時、俺が圧倒的な実力者であれば、「身を引いたクールな元婚約者」として、円満に婚約解消ができるかもしれない。


 議長:「よし、採用だ! 方針は決定した!」


 俺は羊皮紙に大きく書き殴った。


 打倒・原作主人公! 世界最強の魔法使いになる!


 目指せ孤高のボッチ! ヒロインの好感度は上げない!


 全ては平穏な老後のために!


「これだ……これしかない!」


 俺は立ち上がった。

 目には、狂気にも似た決意の光が宿っていた。

 客観的に見れば、この結論はかなりズレている。

「最強を目指す」ことと「平穏な老後」は矛盾しやすいし、「孤高のボッチ」は逆にミステリアスな魅力を生んでヒロインを惹きつける王道パターンだ。

 だが、この場にいる全員が「コミュ障のオタク」であり、「恋愛経験値ゼロ」であるため、誰もその矛盾に気づかない。

 誰も、「強くてクールな男はモテる」という少女漫画の法則を考慮していなかったのだ。


「よし、善は急げだ。まずは魔力制御の特訓から始めるぞ!」


 俺は勢いよく部屋の扉を開けた。

 数日ぶりの外出。

 その顔つきは、引きこもる前の「怯えた少年」のものではなく、修羅場を覚悟した「戦士」のそれに変わっていた。


 廊下に控えていたセバスチャンが、俺の姿を見て目を見開いた。


「ぼ、坊っちゃま? お部屋から出てこられて……その、お顔の色も良くなられたようで」

「ああ、セバス。心配をかけたな。俺は決めたんだ」


 俺は拳を握りしめ、高らかに宣言した。


「俺は強くなる。誰にも負けないくらい、最強の男になるためにな!」


 セバスチャンは一瞬ポカンとしたが、すぐに感涙にむせび泣いた。


「おお……! リリアーナ様をお守りするために、強くなると仰るのですね! なんて健気な、なんて男らしいご決断!」


「え?」


「さすがはアークライト家の嫡男! 愛の力は偉大ですな! さっそく旦那様に報告し、最高の家庭教師を手配いたしましょう!」


「いや、ちょっと待っ――」


 俺が訂正する間もなく、セバスチャンは風のように去っていった。

 廊下に取り残された俺は、虚空に伸ばした手を力なく下ろした。


「……違う。そうじゃないんだ」


 俺はただ、自分の身を守りたいだけなのに。

 なぜこうも、全ての行動が「リリアーナへの愛」に変換されてしまうのか。

 最強を目指す=彼女を守る騎士になる。

 周囲の認識は、俺の意図とは真逆の方向へ、さらに強固に固定されてしまったようだ。


「……ま、まぁいい」


 俺は気を取り直した。

 誤解だろうが何だろうが、修行ができる環境が整うなら好都合だ。

 俺は強くなる。

 そして、いつかきっと、この重すぎる愛のレッテルと婚約を、実力でねじ伏せてみせる。

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