アンドロイド・トラップ
数金都夢(Hugo)Kirara3500
テレビで流れたニュース
皆さん、「アンドロイド・トラップ」という経済用語はご存知でしょうか? それはどういう意味だと思いますか?
朝、出勤前のひととき。ダイニングテーブルを前にして座る彼女の目線の先に「さまよえる故人資産」「相続人不存在で国庫帰属、昨年より倍増」等といった見出しが踊る新聞が置かれていた。
そして、その日の午前中、会社に電話がかかってきた。叔母・
そして伊桜里は数日の忌引の後に会社に復帰した。明美は五年前に亡くなった彼女の母、裕美の妹で終生独身だった。やがて彼女は明美の財産も引き継ぐことになった。数少ない一族の「生き残り」ゆえに、また、ただ一人の法定相続人になってしまったのであった。彼女は明美がなんでアンドロイド化しなかったのか、と思っていたのだが、葬式のときに漏れ聞こえた声によれば、認知症が進行して「間に合わなかった」らしいようだった。
会社から帰宅してポストをのぞくと、いくつかの会社から株主総会の決議通知が入っていた。そしてそこに同封されていた優待商品券は次の日の就業後に会社の近くの金券ショップに売った。彼女が若かった頃からインフレが進行して、定期預金だけでは価値の維持が苦しくなってきたので、インデックスファンドを買っていたけれども、後に個別株にも手を出すことになった。そういった自助努力によって、食べ物の必要もなく子供もいない彼女にとっては、給与や相続した遺産に手を付けなくても、一億円相当の株式保有による配当と優待品の売却益だけでもなんとか暮らしていくことができた。
落ち着いたところで彼女は食事代わりに壁のコンセントから伸ばしたUSBケーブルを自分の後頭部のうなじにある端子に差し込んだ。そこで生み出す熱が彼女に気持ちよさを与え、思わず大あくびをした。そしてなんとなくリモコンを触ってテレビの電源を入れた。
「次のニュースです。最近、問題になっている『アンドロイド・トラップ』。アンドロイドの親族が相続した財産が最近増えています。人間と違って食事をしないアンドロイドたち。人間のみの家庭に比べて高くなる電気代。しかし食料消費支出ゼロのアンドロイドたちの家庭に滞留する巨額の資産をどのように経済成長につなげていくかが課題になっています」
「財務省は五年に一度評価額の二パーセントを徴収する『アンドロイド資産税』を提案しました。それに対して、『アンドロイド税理士会』は、『アンドロイドにも財産を享受、保全する権利がある』と主張し反発しています。また、資産の捕捉、特に暗号通貨の把握が課題になっています。政府・与党は妥協策として株式投資に対する優遇制度や、アンドロイド転換前に生まれた未成年の実子や養子の人数や学費負担額に応じた控除を提案して来年度の通常国会に提出して三年後の実現を目指す方向です」
それをぼんやり見ていた伊桜里は五百万円もの残高が溜まった給与振込口座を思い出した。彼女は、女性型だからこそ、衣服やシリコーンコンシーラーなどのアンドロイド専用化粧品などを買うためにそこそこ出費をして経済が動くのだが、これが男性型となると……。
そこに突然彼女の従姪・
「伊桜里おばさん、こんにちは」
彼女はいくら年配のアンドロイドとはいっても、元気な子供の声を聞くのは嬉しかった。それは近所のショッピングセンターに行っても子供は本当にポツポツとしかいないこのご時世だからこそかもしれない。蒼生の家は電車で数駅という比較的近くにあって、度々来て伊桜里にお小遣いをねだるのがいつものことだった。そして、「いつまでも若くて綺麗だね」という殺し文句に負けて小銭を出してしまっていた。
「高校生活はうまく行っているの? ちゃんとそれで参考書買ったり模擬試験とか英語の検定試験とか受けるのに使うんだよ」
伊桜里は毎回、蒼生にその小銭を渡すときにそう念を押している。
「またね、伊桜里おばさん。ママにバレないように早く帰らないといけないから」
伊桜里は玄関で帰宅する蒼生を見送った。そしていつもの蒼生とのやり取りで、伊桜里のCPUにひらめくものがあった。そしてつぶやいた。
「そうなのか……。べンチャーファンドも必要だと思っていたけど、育児・学資ファンドも必要だよねぇ。何も考えない思考停止した永遠の未亡人マダム生活を続けるわけにはいかないしねぇ。私には消費する義務も、使わないことによる罰則もない。ただ、私みたいな『高齢アンドロイド』の巨額の資産が経済の循環から外れてしまったのは事実みたいだね。まるで、上流のダムは大量の水をたたえているけどそれが、社会という川に流れていかなくて干上がっているような感じだね。実際、ダムでできる電気は私達のご飯のようなものだからこの喩えもあんまり洒落になっていないし」
実際、伊桜里が持つ個人資産の総額は、数回の相続によって彼女が今後数世紀生きるとしても使いきれない額に達している。アンドロイドの体になった彼女の消費は、生活上必須のものとして電気代のほかに、毎年のメンテナンスとそこで異常が発見されたパーツの交換、五年に一度の腹部バッテリーの交換、そして十年に一度の肢体部などの動力パーツのオーバーホール、それに衣類や化粧品代が加わるのだが、買い物に出かける頻度は月に一回もなく人間たちが食料品を買うのに比べたら頻度は非常に少ない。
「私たちは、人間に比べれば消費することがずっと少ない存在で、余計なことをしなければそれなりの資産を築ける。それに人間は自分の寿命が尽きたりすれば、財産の意味がなくなる。でも、私たちは、いや、私たちだからこそ数十年、あるいは数百年単位の超長期的なビジョンを持った投資行動ができるはず」
そう思った伊桜里は、同志を募っての財団設立を模索し始めた。そして資料集めを進めてプレゼン発表の日がやってきた。彼女は緊張を隠せないまま演壇に上がった。
「皆さま、本日はお忙しい中お集まりいただき、誠にありがとうございます。この度は、私たちが新たに設立を目指している「仮称・
現代社会は、急速な技術革新や社会構造の変化により、さまざまな課題を抱えています。特に、所得・資産格差、教育格差といった身近な問題から、環境問題そして宇宙開発によるさらなる人類文明の発展といった大きな問題の解決は、既存の民間や行政の力だけでは解決が難しく、持続的かつ中立的な支援の仕組みがいま、まさに求められています。
私たちは、その中でもこうした課題に対して、短期的な対処ではなく、中長期的な視点で根本的な解決を目指すために財団を設立する決断をいたしました。
本財団の理念は「遠い未来を見通せる視野を通じて、人間とアンドロイドが共存できる持続可能で豊かな社会の実現」とし、それを目指して活動をしてまいります。
主な活動内容は以下の通りになります。まずはじめに、超長期の期間を要する科学基礎研究の支援です。人間の寿命では見通すことの困難な環境技術、宇宙開発、難病克服などの生物科学研究、大深度地熱発電などのエネルギー開発といった百年単位の基礎研究に対し、大学や企業などに所属しているアンドロイド研究者の育成、研究資金の供給などの継続的な資金援助を行います。
その次はアンドロイドたちの雇用促進と地方過疎地復興を兼ねた鉄道やバスの運転、電線や水道設備の維持、病院運営などの公共サービスへの補助と人材斡旋、そして労働者への給与補填のための補助金を提供します。
また、過去に災害や戦災、不条理な事故や犯罪被害で幼くして亡くなった子供たちのアンドロイド化による蘇生を進めていきたいと思います。そして、それによって育ての親になった人間とアンドロイドに対する後方支援や奨学金支給をいたします。これは人間としての尊厳とアンドロイドとしての尊厳の両方を守る方法でもあります。
そして最後に、アンドロイドたちの尊厳を守るための広報・福祉活動にも充てたいと思います。具体的な例の一つとして悪意を持って人間や他のアンドロイドによって傷つけられたり、データ改造をさせられたアンドロイドたちの保護・更生を目指していきたいと思います。例えば、今では信じられないことですが、昔はアンドロイドが生み出されてから、生活の場には電源オフ状態で段ボールに入れられて宅配便で運ばれていました。それで輸送事故で傷がつくことがあり、ある女性型アンドロイドが初めて鏡を見たとき顔に大きな傷が着いていて一晩泣きはらしたことがありました。そういうことが発生しないような世の中を目指していきたいと思います。
本財団は、理事会を中心に透明性と説明責任を重視したガバナンス体制を構築いたします。また、活動資金については、個人・法人の皆さまからのご寄附や、事業収益の一部を通じて持続的に運営いたします。私からは最初に一億円を拠出いたします。
私たちの財団活動は、皆さま一人ひとりのご支援とご理解なくしては実現いたしません。本財団のビジョンに共感いただけましたら、ぜひご寄付によるご支援、協賛・連携プロジェクトへのご参画などのご協力をお願いいたします。
最後になりますが私の体は、夫・大雅が私にずっと生きていてほしかったという愛の証です。残念ながら彼はアンドロイドになることを望みませんでした。彼の遺志なので仕方がありませんがこの場に立ってほしかったと今でも思っています。私はもう人間のように多くを消費しません。だからこそ、この富は、私たちが見通すことのできるような長い時間をかけなければ実現しないような難しい問題を解決するための投資として使われるべきだと考えました。本日はご清聴ありがとうございました」
伊桜里は緊張したプレゼンを終え、ホッとした表情を見せた。その決断は、アンドロイドによる財産滞留問題を解消するだけでなく、彼らの持つ膨大な資産を未来の世代のためにどう活用すべきかという、新しい人間たちとアンドロイドたちが共存できる一つの社会モデルを提案した。彼女は、亡き夫の愛と、アンドロイドとしての新たな使命を胸に、財産を動かし始めた。彼女の「第二の人生」は、愛する従姪を見守りながら、社会全体の未来を構築するという役割を担うことになった。伊桜里にとっての壮大な旅はたった今始まったばかりであった。
アンドロイド・トラップ 数金都夢(Hugo)Kirara3500 @kirara3500
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