空っぽのムゥ

櫻庭ぬる

 

暖かい日差しが注ぎ、冷たい風が吹く。

そんなある冬の日に、ムゥは生まれました。


ムゥは何も持っておらず、自分が何者かもわかりません。

ただわかることは、自分がひどく淋しいということだけでした。



ムゥは誰かに会いたくて、楽しそうな声のするほうへ向かいました。


やがて、小さな子どもたちが遊んでいるのが見えてきました。

ムゥは嬉しくなって駆け出します。


「おぅい! オイラもいれてくれよぅ!」


ムゥは大きな声でいいましたが、子どもたちは知らんぷり。


ムゥのことを見もせず、笑いながら遊び続けます。

ムゥはしゅんとしてしまって、とぼとぼ歩き始めました。



         ♦



しばらく歩いていると、萎れた花がありました。


「君も下を向いているね。辛いことがあったのかい?」


「わたしは枯れていくのよ。お水をあまり飲めなくって。それが辛いことってとこかしら」


「のどが渇いたんだね。じゃあオイラがお水を持ってきてあげるよ」


「ありがとう。でももういいの。わたしダメになっちゃったのよ。お水を飲んでも元気にはなれないわ。わたしが綺麗に咲いているところ、あんたにも見せたかった」


花は静かに笑いました。


「オイラが代わってあげられたらどんなにいいだろう。オイラにはなんにもないけれど、君はそうして咲きたいと思っているんだもの」


ムゥは心からそう思い、花に触れました。


すると、ムゥの鼓動が強く打ちました。何かがムゥの内で渦巻き、大きな流れとなって、花に押し寄せていきます。


萎れていた花は、みるみるうちに背筋を伸ばし、凛と咲き誇る美しい黄色い花になりました。


「すごいわ! みて! わたしとってもきれいじゃなくて?」


「ああ、本当に素敵だね」


「でも変ね。わたし、あなたのことが見えなくなっちゃったみたい。声は聞こえるんだけれど」


「それは変だね。だってオイラはここにいるもの」


ムゥは花を日当たりの良い場所に連れていき、水をかけてあげました。


「ありがとう。親切な誰かさん。わたしきっと、あなたにお礼をするわ。あなたが誰かにお花を届けたくなったら、わたしの花を摘んで、その方にあげて頂戴」


ムゥは誰かからお礼を言われたのは初めてだったので、嬉しくなりました。


「うん。きっとそうするよ。ありがとう」


ムゥはとても清々しい気持ちになり、俯いていた気持ちは今では晴れやかでした。


でも一方で、ひどく喉が渇いて、とても疲れたようでもありました。


ムゥは水を飲んで、しばらく休みました。



         ♦



やがてムゥは、また歩き始めました。


すると、1羽の小さな鳥が、地面に伏していました。

近づくと、片羽が折れ、身体から血を流しているのがわかります。


「あぁ、なんて酷いんだろう」


「狐にやられちゃったよ。食べられなかったけれど、これじゃあもうダメだ。今日はこんなにも素晴らしい青空なのに、僕は飛べないまま死んでしまうんだ」


鳥は今にも消えそうな声でいいました。


「かわいそうに。オイラが代わってあげられたらいいのに。オイラにはなんにもないけれど、きみは空を飛びたいと思っているんだもの」


心の底から思って、そっと鳥を両手に抱えあげると、また鼓動が強く打ちました。


片腕と脇腹に強い痛みが走り、思わず鳥を落としそうになりましたが、その瞬間、鳥はパタパタと羽ばたき、空中にとどまります。


「ありがとう! 親切な誰かさん。きみのことは見えなくなっちゃったけれど、本当に感謝しているよ! いつか、君の役に立ちたいな」


そう言って飛び立っていきました。

腕の痛みが癒えるまで少しかかりましたが、だいぶ良くなってくると、ムゥはまた歩き始めました。



         ♦



やがてムゥは、大きな建物にたどり着きました。

よく日の当たる場所にベンチがあり、そこで一人の痩せた少年が本を読んでいます。

ムゥが近づくと、少年は顔を上げました。


「君は誰だい?」


その問いかけに、ムゥは嬉しくなりました。


「君はオイラが見えるのかい?」


「どうして見えないなんてことがあるの?」


「ほんと、どうしてだろうね。わからないけれど、ずっとそうだったんだよ」


でも、もうそんなことはどうだってよくなりました。

ムゥは少年とすぐに友達になり、しょっちゅう少年のところに遊びに行きました。


「君は、どうしてここにいるの?」


あるときムゥは尋ねました。


「療養してるんだ。ここは空気がきれいだからね。ぼく病気なんだよ」


「病気? それはいつ治るの?」


「きっと治らないよ。僕、やがて死んじゃうんだ」


少年は何でもないように言いました。


「死ぬっていうのは怖いのかな?」


「どうだろうね。よくわからないよ。死んだ後って神様のところに行ったり、星になったりするって大人はいうけれど、誰も本当のことは知らないんだよ。でも、死んだココに会えるかもしれないよね。それだったら嬉しいな」


「ココっていうのは友達かい?」


「そうだよ。犬なんだ。怪我していたのを手当してやったら、すっかり僕に懐いて、一緒に暮したんだよ。いつも何をするのも、ずっと一緒だったさ」


「ふぅん」


それからも、ムゥは少年のもとを訪れました。

少年もムゥが来るのを心待ちにしていました。



一方で、日を追うごとに少年は細く、弱々しくなっていきます。

少年が外に出てくることもほとんどなくなりました。


少年のベッドがある一階の部屋の窓が時折開いていて、ムゥはそこから顔を覗かせました。


「僕、きっとじきに死んでしまうよ。ねぇムゥ。僕が死んでも、僕のことを覚えていてくれる?」


少年はベッドで横になったまま、細い声で言いました。


「もちろんさ。君はオイラのたった一人の友達だもの。君だって、オイラのことを忘れないでいてくれよ」


「忘れないよ。絶対。忘れないよ」


その日の夜、少年の具合は急に悪くなりました。

お父さんとお母さんは、真っ白な細い少年の手を取って神様に祈ります。

お医者様も成す術はありません。


「お父さん、お母さん、そんなに泣かないで」


そう思っても、少年はもう、話すことも、目を開けることもできませんでした。


「あぁ、ムゥはどうしているだろう。ムゥに会ってやらなくちゃ。あいつ、とっても寂しがりだもの。ムゥに会いたいなぁ」


苦しみのない暗い世界で、少年の想いだけがぽっかりと浮いていました。



         ♦



いつしか少年は、優しい光の中にいました。

そこにムゥがいます。


「あぁ、ムゥ。よかった。君に会いたかったんだよ」


そう言うと、ムゥは微笑えみました。

それはとても優しく、包みこまれるような笑みでした。


「ありがとう。オイラのことを想ってくれて」


ムゥはそう言うと少年に歩み寄り、そして強く抱きしめました。


その瞬間、少年は大きな流れが自分の中に注ぎ込んで来るのを感じました。

それは暖かく、激しく、そして強い波のようでした。

少年は、指先にまで温かく血が通い、心臓が力強く鼓動し始めるのを感じました。


「君が幸福に生きられますように」


ムゥが、そう言うのが聞こえました。



         ♦



少年が目を覚ますと、泣き顔のお父さんとお母さん、そして驚き顔のお医者さまに囲まれていました。


「奇跡だ! 生き返ったぞ」


窓からは朝の陽ざしが差し込んでいます。

少年は随分と楽に呼吸ができることに気が付きました。

もうちっとも苦しくありません。


両親は強く少年を抱きしめました。

少年は言います。


「お母さん、僕すごくお腹が減ったよ。何か食べたいな」



         ♦



すっかり良くなった少年は、街に戻ることになりました。


いよいよここを去る日。

少年は空っぽになった部屋を見渡しました。


あれから、ムゥの姿をみることはなくなりました。

窓から顔を覗かせやしないか、ベンチに座ってやしないかと毎日探しますが、どこにもその姿はありません。


最後に部屋の扉を閉める時、コン、と音がして振り返ると、窓の外に小さな鳥がおりました。

鳥は、黄色い花を一輪くわえています。


窓を開けて少年が花を受け取ると、鳥は飛び去っていきました。

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空っぽのムゥ 櫻庭ぬる @sakuraba_null_shi

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