第5話 祝うということ

 リリアの家を出ると、夕方の風が頬を撫でた。


 血と汗と、産声の余韻がまだ指先に残っている気がする。


 扉を閉めた瞬間、胸の奥にあった温かさが、すっと薄くなった。


 さっきまで確かに満ちていたものが、ゆっくりと、でも確実に遠ざかっていく。


 ――いつものこと。


 リリアは歩きながら呼吸を整えた。


 幸せは、いつもこうだ。


 心が満ちたと思った瞬間から、もう消え始めている。


 冒険者ギルドの建物に灯りが入っているのが見えた。


 アネッサの出産に伴い、戦神の翼は活動を停止した。


 神官のアリスはアネッサとマルスへの義理もあって、パーティを抜けずに冒険者ギルドで癒し手として働いている。


 なお、カールはマルスとアネッサの結婚式を台無しにしたこともあり、直後にパーティを離脱している。


 冒険者ギルドの扉を押すと、木と紙とインクの匂いが混じった、慣れ親しんだ空気が迎えてくれる。


 カウンターの向こうで、神官服のアリスがこちらに気づいて顔を上げた。


「あっ、リリア! どうだった?」


 声に弾む期待がある。


 でも、少しだけ残念そうに見えるのは、出産に立ち会えなかったからだ。


 長年パーティを組んでいたとはいえ、私には更に長い付き合いがある。アリスは私を気遣って立ち合い人を私に任せてくれた。心根の優しい子だ。


「無事、生まれたよ。女の子」


 その瞬間だった。


 アリスの表情が、ぱっと明るくなる。


 胸に手を当て、心から安堵したように息を吐いた。


「よかった……本当によかった……」


 その感情が、波のように伝わってくる。


 誰かの幸せを、自分のことのように喜ぶ、その純粋な満足。

 胸の奥が、再び満たされる。


 ああ、これだ、とリリアは思う。


 この感覚。


 暖かくて、柔らかくて、確かに心を満たすもの。


 でも――


「おめでとうって、伝えたかったなあ」


 アリスがそう言ったとき、彼女の満足感はもう、輪郭を失い始めていた。


 指で掬おうとしても、もう形を保っていない。


「明日にでも行って来たらいいじゃない」


 私は微笑んでそう返した。


 その言葉に、少しだけ安心した顔をするアリス。


 ――これでいい。


 カウンターに戻り、書類を整える。


 依頼書を並べ、掲示板を確認する。


 いつもと同じ、変わらない仕事。


 心は、ほとんど空っぽだ。


 でも、それでいい。


 満足感は、長く持つものじゃない。


 消えていくからこそ、次を祝える。


 誰かが努力を認められたとき。

 誰かが無事に帰ってきたとき。

 誰かが、新しい命を迎えたとき。


 そのたびに、心は満ちる。


 そして、必ず消える。


 だからまた、祝う。


 それだけのこと。


 私は顔を上げ、やってきた冒険者パーティに向かって、いつもの笑顔を浮かべた。


「あ、ランクアップですね。おめでとうございます」

「おおっ!! やった!!」


 彼らの喜びの声がギルド内に響き渡る。


「ほんとうに、おめでとう」





*⑅୨୧┈┈┈┈┈ あとがき ┈┈┈┈┈୨୧⑅*


最後までお読みくださり、ありがとうございます。


もしよろしければ、もう一度第一話から読み返してみてください。

違った景色が見えるかもしれません。


お題フェス11「祝い」参加作品です。

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リリアは今日も誰かを祝ってる FUKUSUKE @Kazuna_Novelist

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