第十五話:アスファルトを穿つ

夜明けの光は、慈悲深いというよりは、むしろ暴力的だった。 薄紫から濁った灰色へと変わる空の下、国枝憲吾の運転するセダンは、あのコインパーキングへと滑り込んだ。昨日、コロッケ定食を食べたあの店はまだ固く扉を閉ざし、周囲には人気(ひとけ)がない。


「……着いたぞ、早苗さん」


国枝の声は、長距離の運転と精神的な疲弊によって、ひび割れた大地のように枯れていた。 後部座席で赤い靴を抱きしめていた早苗は、ゆっくりと目を開けた。彼女の瞳は、数時間前よりもずっと澄んでいた。この場所へ近づくにつれ、二十年分の霧が晴れていくかのように。


一実:「ねえ、国枝さん。見てくださいよ。四番のスペース。まだあの軽自動車が停まっています。……私たちの『終着駅』には、誰かが先回りしているみたい」


一実は冷たく笑ったが、その瞳には焦燥の色が混じっていた。 国枝は車を止め、トランクからシャベルを取り出した。そして、後部座席のドアを開け、早苗の手を引いた。早苗は、木箱を大切そうに胸に抱え、アスファルトの上に降り立った。


早苗:「……ここだわ。ここ。……美咲が、最後にお父さんと追いかけっこをしていた場所」


彼女は、四番の駐車スペースのすぐ横、アスファルトの大きな亀裂がある場所を指差した。 国枝は、迷うことなくシャベルを振り上げた。


ガツン、という金属音が早朝の街に響き渡る。 一度、二度。アスファルトの層は厚く、国枝の腕に激しい衝撃が走る。だが、彼は構わずに打ち込み続けた。


一実:「何をしているんですか、国枝さん。そんなことしたって、器物損壊と業務妨害が重なるだけですよ。……警察が来るまで、あと何分だと思っているんですか」


国枝:「……構わない。一分でも、一秒でもいい。彼女を、あの温室の暗闇から、この光の下に返してやりたいんだ。……たとえ、この手が壊れても」


国枝の額から汗が滴り、泥と混じって顔を汚す。 彼のシャツの袖は破れ、高級な腕時計のベルトは千切れかけていた。だが、今の彼には法を司る者の端正な姿は微塵もない。そこにあるのは、過去の自分を殺そうとする一人の執念の男だけだった。


やがて、アスファルトの塊が剥がれ、その下の黒い土が顔を出した。 国枝はシャベルを置き、手で土を掘り始めた。


早苗は、その横で静かに膝をついた。彼女は木箱から、小さな白い骨を取り出し、一つ一つ、丁寧に土の中に並べていく。


早苗:「……ごめんね、美咲。……遅くなって、ごめんね。……ここはね、お父さんが育てた朝顔が、一番綺麗に咲く場所なのよ」


その光景を見つめていた一実の唇が、わずかに震えた。 彼女は、自分が描いた「復讐」という名の台本が、目の前の美しすぎる悲劇によって、無意味な紙切れに変わっていくのを感じていた。


一実:「……バカみたい。……こんなことしたって、誰も救われないのに。……お母さんはもう正気じゃないし、美咲さんは死んでるし、あなたは一生刑務所の中。……ねえ、何のために、こんな……」


その時だった。 背後で、パトカーのサイレンの音が、遠くから近づいてくるのが聞こえた。


国枝は、土を被せ終え、その上にあの小さな赤い靴を左右揃えて置いた。 彼は、荒い息を整えながら、早苗の泥だらけの手を、自分の大きな手で包み込んだ。


国枝:「……一実。……君が言った通りだ。僕は、救われない。……でも、僕は今日、生まれて初めて、自分の意志で呼吸をしている気がする」


国枝は立ち上がり、近づいてくるサイレンの音に背を向けず、正面からそれを見据えた。


一実:「……逃げないんですか」


国枝:「逃げる場所なんて、もうどこにもない。……ここが、僕の人生の、本当の出発点なんだ」


一実は、懐から一通の手紙を取り出した。それは、宗像重蔵が彼女に託した、もう一つの遺言だった。


一実:「……お父様はね、最後にこう言っていました。『国枝がもし、自ら泥を掘るようなことがあれば、この鍵を渡せ』って」


一実は、手紙の中に隠されていた、古い貸金庫の鍵を国枝に差し出した。


一実:「その中に、美咲さんのお父さんの行方が書いてあります。……彼は、死んでいません。お父様が、別の名前を与えて、南の島に隔離したんです。……あなたの『責任』、まだ終わりじゃないみたいですよ、国枝先生」


サイレンの音が、すぐそこまで迫っていた。 パトカーの赤い光が、コインパーキングの看板を、そして泥まみれの三人の中を交互に照らし出す。


国枝は、その鍵を力強く握りしめた。 彼の瞳には、絶望ではなく、微かな、だが消えることのない「希望」という名の灯火が宿っていた。

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名前のない遺産 @princekyo

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