後編:黄金色の奇跡と、自由への門出祝い
3.神獣の降臨と奇跡の遠吠え
ドォォォォォォン――!
まるで世界が割れたかのような轟音が、鼓膜に突き刺さる。
大聖堂の堅牢な天井が吹き飛び、瓦礫と共に、眩い黄金の光が降り注ぐ。
土煙を切り裂いて現れたのは、城の塔ほどもある巨大な狼だった。
――シエル。
見た目は全く違う。でも私にはそう感じられた。
かつて私が名付けた小さな命。
あの弱々しかった子狼は、嵐を
その姿は”神獣”と呼ぶのにふさわしい神々しさを秘めていた。
シエルは、床で崩れ落ちていた私を前足で優しく抱き起こし、ペロッと優しく顔を舐める。
そして怯える勇者たちを一瞥もしないまま、天に向かって大きく遠吠えをあげた。
「ワオォォォォ――ン!!」
それは威嚇ではなく、優しい祈り。
世界そのものを震わせる、圧倒的な「祝福」の歌だった。
シエルの体から放たれた黄金の波紋が、大聖堂を、王都を、そして鉛色の空を突き抜けていく。
奇跡が起きた。
波紋が触れた端から、都市を蝕んでいた「灰の病」が浄化されていくのだ。
灰色に濁った空気が澄み渡り、人々の肌から病の斑点が消え、枯れた大地に色が戻る。
私が五年かけても押し留めることしかできなかった呪いを、彼はたった一鳴きで
「……すごい。これが、あなたの力なのね」
私は震える体でシエルの温かい毛並みに
とても優しくて、暖かな背中……
その毛並みに囲まれていると、不思議と体の震えが止まっていた。
シエルは、私が一番苦しんでいた「責任」という鎖をたった一吠えで断ち切り、生を諦めた私に生きる希望を取り戻してくれた。
4.旅立ちの翼
静寂が戻った聖堂に、呆然とした声が響く。
「……消えた? 病が、消えたぞ!」
「奇跡だ……! 神獣様が、我々を救ってくださったのだ!」
神官たちが歓喜の声を上げる。勇者も、神官長も信じられないものを見るような目で空を見上げている。
王都は救われた。
これで、私は自由になれる。そう思った次の瞬間だった。
「――逃がすな! 扉を封鎖しろ!」
神官長の叫び声が、私の淡い期待を切り裂いた。
「その獣を確保せよ! その力があれば、我々は永遠の繁栄を手に入れられる!」
勇者が剣を構え直し、私たちの前に立ちはだかる。その目は、救われた感謝ではなく、さらなる強欲に濁っていた。
「病は消えたが、またいつ再発するか分からん! その獣と、それを従えるお前の力は国が管理させてもらう!」
「そうだ! 国を救った英雄としての責務を果たせ! 勝手に去るなど、雇い主である国への反逆だぞ!」
彼らは、口々に叫ぶ。
「感謝」ではなく「要求」を。
「自由」ではなく「管理」を。
(ああ……。この人たちは、何も変わらないのね)
私は、シエルの背中の上で、ゆっくりと彼らを見下ろした。
怒りは湧かなかった。ただ、底冷えするような失望だけが、胸を満たしていた。
私はもう、十分にやった。
死ぬ寸前まで魔力を捧げ、そして今、私の「家族」がこの国を救った。
それでもまだ、彼らは私を鎖で繋ごうとする。
「……シエル。行きましょう」
私が短く告げると、シエルは低く喉を鳴らし、巨大な翼を広げた。
その羽ばたきだけで強風が巻き起こり、勇者たちが紙切れのように吹き飛ばされる。
「待て! 頼む、行かないでくれ! お前がいなくなったら、俺たちはどうすれば……!」
這いつくばった勇者が、哀れな声を上げて手を伸ばす。
私は冷ややかな瞳で、かつての仲間を突き放した。
「私は死ぬ寸前まで捧げたわ。――次は、あなたたちの番よ」
私の声は、風に乗って彼らに届いたはずだ。
「行きましょう、シエル」
私の声を聞き、シエルが空を蹴る。
私たちは天井の大穴を抜け、突き抜けるような青空へと躍り出た。
眼下で、権力者たちが何かを喚いているが、もう羽音にかき消されて聞こえない。
灰色の雲は消え失せ、太陽の光が痛いほどに降り注いでいる。
私はシエルの背中に顔を埋め、久しぶりに声を上げて泣いた。
悲しみからではない。
ようやく、本当に息ができた喜びで、涙が止まらなかったのだ。
5.終わらない祝祭
それから、季節がいくつか巡った。
私たちは、とある南の国の、小さな港町にいた。
抜けるような青空と、湿り気のない乾いた風。
市場は活気に満ちていて、色とりどりの果物や織物が並んでいる。
私は、露店の前で足を止めた。
「お姉さん、いい林檎が入ってるよ! 北の国から取り寄せた高級品だ、甘くて蜜がたっぷりだよ!」
店主の陽気な声に、私の隣にいた狼が嬉しそうに尻尾を振った。
もう黄金の輝きは隠しているけれど、その立派な体躯と品のある顔立ちに、道ゆく人々が感嘆の声を上げている。
「……ふふ。あなた、本当に林檎が好きね」
「ワンッ!」
元気な返事。
私は財布から銀貨を取り出すと、店主に手渡した。
「これ、全部いただくわ」
「えっ、全部!? こりゃあ随分と気前がいいねぇ! 何かいいことでもあったのかい?」
店主が目を丸くして尋ねてくる。
私は籠いっぱいの林檎を受け取ると、愛狼の頭を撫でながら微笑んだ。
「ええ。今日はお祝いなの」
あの日、雨の降る魔王城で、たった一枚の乾燥林檎から始まった、私たちの奇妙な絆。
あの日私が言えなかった言葉を、今なら胸を張って言える。
「なんの祝いだい? 誕生日かい?」
店主の問いに、私は空を見上げて答えた。
「――そう。私と、この子が新しく生まれ変われた誕生日。二人分、思いっきりお祝いしなくちゃね」
私たちは歩き出す。
どこへ行くかはまだ決めていない。
風の吹くまま、気の向くまま。
しばらくはシエルと二人、心のままに歩いていこう。
隣には、林檎をくわえてご機嫌な相棒。
頭上には、どこまでも続青い空。
聖女アリアの物語は終わった。
ここから始まるのは、誰にも捧げない、私とシエルの祝祭だ。
祝福は君に、自由は私に 八坂 葵 @aoi_yasaka_1021
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