ボクシング小説でありながら、拳よりも先に自己認識を殴ってくる物語

真珠洲晶のスランプは、単なる技術的停滞ではなく、「自分が何者であるか」という問いが肉体にまで浸食した結果として描かれており、その違和感の描写が非常に説得力があります。

サンドバッグを叩く反復、当たっているのに足りない感覚、借り物の体という自己疎外――これらが丁寧に積み重ねられていて、読者は早い段階で「これは勝敗の物語ではない」と理解させられます。

リングの上でしか自分になれなかった晶が、そこでさえ自分を失い始めている。その焦燥が、静かでありながら痛い。

そこに現れる初鹿野華憐の造形が、強烈です。
ゴスロリという視覚的異物感が、単なるギミックではなく、「社会的に与えられた属性」と「内面の実像」の乖離を一瞬で象徴している。ボクシングジムという極めてマスキュリンな空間に、これほど説得力のある“異質”を立たせた点は見事です。
特に優れているのは、華憐が説明しすぎないことです。
「俺は俺だよ。それだけ」という台詞は、アイデンティティを語る物語でありながら、思想や主張を前面に出さず、拳と立ち姿で“分からせる”方向を貫いている。これはボクシング小説として非常に誠実です。

静かに、しかし確実に、良い物語が始まっています。