灰になるまで

 2031年3月31日。


 閉幕の日。


 私は再び、リヤドにいた。


 今度は逃げなかった。開幕式を欠席した負い目が、ずっと胸の奥にあった。始まりを見届けなかったのなら、せめて終わりは見るべきだと思った。


 夕方六時、万博は正式に閉幕した。


 花火が上がり、音楽が鳴り響き、人々が歓声を上げた。半年間の祝祭が、華やかに幕を閉じた。


 だが、本当の終わりは、これからだ。


 閉幕式の喧騒が遠ざかっていく。人の流れが逆になる。出口へ向かう人々の間を、私は逆に歩いた。


 灯りの落ちた会場は、急に広く感じる。


 日本館に向かう。


 「結びの庭」は、闇の中にあった。


 照明が落とされている。だが、月明かりで輪郭は見える。竹の線が重なり合って、夜空に薄い影を作っている。


 私は中に入った。


 すぐに、わかった。


 空気が違う。音が違う。


 竹そのものの低い共鳴音ではない。布が擦れる音。紙が震える音。ビーズが小さくぶつかる音。細かいざわめきが、止まらない。


 風が吹くたび、無数の「結び目」が一斉に揺れる。


 月明かりの中、色とりどりの布がかすかに浮かび上がっていた。


 増えている。


 三ヶ月前に見た時より、明らかに増えている。


 もはや竹の表面は見えない。節も、肌も、ほとんど隠れている。人々が結んだもので、私の構造は完全に覆い尽くされていた。


 私はスマートフォンのライトをつけた。


 近くの布を照らす。


 アラビア語で何か書かれている。読めない。


 次の布。英語だ。


「Thank you for everything」


 次の布。日本語だった。


「帰ったら、ちゃんと謝る」


 短い文なのに、妙に胸に刺さった。


 少し離れた場所には、写真が結んである。二人で写っている。笑っている。誰なのかは分からない。でも、ここで撮ったのだろう。


 私は歩きながら、次々と照らしていった。


 願い事。感謝。決意。祈り。別れの言葉。


 この庭は、いつの間にか寄せ書きのようになっていた。


 建築の中に、人の言葉が積もっていた。


 そういうものを、日本で見たことがある。


 被災地のメッセージボード。


 祭りの短冊。


 神社の絵馬。


 終わった後も、残す工夫はいくらでもある。文化として、展示として、記録として。


 会期が終わった後、この「結ばれたもの」をどこかに移して、展示する可能性もあったかもしれない。


 「結びの庭の記憶」として。


 それが良いか悪いかは別として、少なくとも、そういう議論は起きただろう。


 だが、ここでは違う。


 気候も違う。制度も違う。距離も違う。


 そもそも、誰が保管するのか。誰が責任を持つのか。誰が費用を出すのか。どこへ運ぶのか。


 そして——何より。


 これらは、世界中から持ち込まれた個人の持ち物だ。布も、紙も、写真も、装飾品も。宗教的な意味合いを持つものも混ざっているかもしれない。


 善意だけで「残す」と決められるものじゃない。


 残すには、手続きも合意も、時間もいる。


 時間は、ない。


 万博は終わった。会場は、明日から次の段階に入る。


 解体だ。


 私はライトを消した。


 暗闇に目が慣れると、揺れているのが余計によく見えた。


 風が通る。


 結び目が揺れる。


 誰かの願いが、誰かの決意が、誰かの後悔が、風に震えている。


 私は竹に手を伸ばした。


 触れたのは竹じゃない。布だった。


 竹まで指が届かない。


 竹はもう、私のものではなくなっていた。私の設計の上に、人々が別の層を作ってしまった。


 祝祭は、人が作る。


 そして人は、残したがる。


 だけど祝祭は、終わる。


 残したいという気持ちと、終わらせなければならない現実。その間に、私は立っていた。


 ——燃やすしかない。


 その言葉を、頭の中で何度も反芻した。


 乱暴で、冷たくて、簡単で。


 それでも、一番現実的だった。


 私は「結びの庭」を後にした。


 明日、解体が始まる。


 翌朝。


 作業員たちが入ってきた。


 手際よく、結び目を外していく。ほどく、ほどく、ほどく。願いも、感謝も、決意も、ひとつずつ。


 私は「すみません」とも「ありがとう」とも言えず、ただ見ていた。


 外されたものは、大きな袋に詰められていく。


 布。紙。リボン。ビーズ。写真。ぬいぐるみ。キーホルダー。


 袋は、あっという間に積み上がっていく。


 私は近くにいた現場責任者に聞いた。


「これ、全部、処理ですか」


「そうだ」


 短い答えだった。責めているわけでも、突き放しているわけでもない。ただの事実として。


 会期が終われば、撤去する。


 撤去したものは、処理する。


 処理は、燃やす。


 私は、それ以上何も言えなかった。


 壊すのは、早かった。


 組むのに三ヶ月かかった竹が、数日で一本一本に分解されていく。結び目が外され、構造がほどけ、空間が空間ではなくなる。


 庭が、ただの資材の山になっていく。


 三日後、トラックが来た。


 竹が積まれる。


 袋も積まれる。


 私はそれを、追った。


 処理場は、会場から三十キロ離れた郊外にあった。


 砂漠の縁。


 空が広い。風が乾いている。燃やすには、向いている場所だった。


 トラックが到着する。


 竹が降ろされる。


 袋も降ろされる。


 作業員が、それらを積み上げていく。


 山ができる。


 竹の山、布の山、紙の山。


 祝祭の残骸——という言葉が頭をよぎって、すぐに打ち消した。


 残骸じゃない。


 これは、人が残したかったものだ。軽く扱うべきじゃない。


 でも。


 燃やすしかない。


 作業員が、火をつける準備をしている。


 私は、止めようかと思った。


 だが、止めなかった。


 これは、最初から決まっていたことだ。


 祝祭は、終わらなければならない。


 火がつけられた。


 竹が燃え始める。


 乾燥しているから、よく燃える。


 炎が上がる。


 布も燃える。リボンも燃える。紙も燃える。造花も燃える。


 すべて、炎に包まれていく。


 煙が立ち上る。


 黒い煙。


 風に流されて、砂漠に消えていく。


 私は、炎を見つめていた。


 人々の願いが、燃えている。


 健康、愛、幸福、成功。


 すべて、炎の中だ。


 私の中に、二つの気持ちが同時にあった。


 ひとつは、罪悪感だ。


 人の願いを燃やしている。そう見えてしまう。そう感じてしまう。


 もうひとつは、納得だった。


 終わらせることは、必要だ。


 祝祭は終わらなければ、祝祭にならない。


 残すことが正義じゃない。燃やすことが悪でもない。


 ただ、痛い。


 その痛みが、現実だった。


 展示できたかもしれない、とまた考えた。


 「これだけの願いが集まりました」と、額縁に入れて、照明を当てて、説明パネルを添えて。


 でも、その瞬間、別の想像も浮かんだ。


 展示された願いは、誰のものになる?


 誰が所有する?


 誰が正しく解釈する?


 誰が編集する?


 燃やすより、残すほうが、よほど暴力的になることもある。


 炎は、そういう迷いごと全部まとめて燃やしていく。


 潔いわけじゃない。ただ、選択肢が少ないだけだ。


 燃やすしかない。


 炎は、何時間も燃え続けた。


 私は、ずっと見ていた。


 夕方になって、炎は小さくなった。


 竹は、ほとんど灰になっていた。


 布も、紙も、すべて灰だ。


 風が吹くと、灰が舞い上がる。


 砂漠に散っていく。


 何も残らない。


 私は立ち尽くした。


 それでいい、という結論にたどり着くには、まだ時間が要りそうだった。


 でも、少なくとも。


 私は逃げなかった。


 終わりを見た。


 庭が生まれ、人が結び、そして消えるところまで。


 ホテルに戻る車の中で、私はスマートフォンを見た。


 SNSには、まだ「#結びの庭」の投稿が続いていた。


 閉幕を惜しむ声。


 また来たいという声。


 忘れないという声。


 写真。


 笑顔。


 結び目。


 私は画面を閉じた。


 忘れないと書く人ほど、いつか忘れる。


 それでもいい。


 忘れられるから、次が始まる。


 祝祭は、そうやって人間の時間の中を流れていく。


 窓の外に、夜の砂漠が広がっていた。


 風が吹いている。


 もう、竹は鳴らない。


 代わりに、私の胸の奥で、しばらく鳴り続けるものがある。


 それが、私にとっての「結びの庭」なのだと思った。


 日本に戻った。


 日常が戻ってきた。


 新しいプロジェクトが始まった。


 だが、時々、あの炎を思い出す。


 竹が燃える炎。


 人々の願いが燃える炎。


 あれは、残酷だったのだろうか。


 それとも、必要なことだったのだろうか。


 答えは、まだ出ない。


 帰国から二ヶ月が経った頃、メールが届いた。


 件名は事務的だった。


「リヤド万博 記録集制作のお願い」


 本文を読む。


 リヤド万博の記録集を作るという。各パビリオンの写真と解説を載せる。「結びの庭」も掲載したい。コメントを寄せてほしい。


 私は、しばらく考えた。


 いちばん書きたかったのは、「燃やすしかなかった」という一文だった。


 ……ただ、それを言い訳にはしたくなかった。


 燃やしたのは「仕方がないから」だけじゃない。


 終わらせる必要があった。


 祝祭は、終わって初めて祝祭になる。


 その言葉を、私はまだ完全には飲み込めずにいる。それでも、書くなら今しかないと思った。


 私は、こう書いた。


「結びの庭は、私が設計したものではありませんでした。人々が作り変えたものです。彼らが布を結び、願いを書き、空間を変えていきました。私はただ、素材を提供しただけです。竹という、結びやすい素材を。祝祭とは、作り手のものではありません。参加者全員のものです。そして、終わることが前提です。消えるからこそ、祝祭なのです。結びの庭は、燃やされました。竹も、布も、願いも、すべて灰になりました。だが、それでいいのだと思います。執着を手放し、次に進む。それが、祝祭の終わり方だからです」


 送信した。


 送信ボタンを押した瞬間、楽にはならなかった。


 むしろ、少しだけ苦くなった。


 文章は、整いすぎている。


 あの炎の熱も、煙の匂いも、燃える紙の速さも、そこには入らない。


 でも、記録集とはそういうものだ。


 燃えたものを、燃えない形にして残す。


 それが唯一のやり方で、同時に、少しだけ嘘でもある。


 それから数ヶ月後、記録集が届いた。


 重い本だった。


 ページをめくる。


 各国のパビリオンが、美しく撮影されている。


 中国館の巨大なLEDスクリーン。


 ドイツ館の幾何学的なファサード。


 ブラジル館の緑化壁面。


 どれも、最新技術を駆使した建築だ。


 日本館のページに来た。


 「結びの庭」の写真がある。


 色とりどりの布が、竹に結ばれている。


 人々が、笑っている。


 子どもが、布を結んでいる。


 老人が、座って休んでいる。


 カップルが、寄り添っている。


 私の知らない誰かが、願いを書く瞬間が切り取られている。


 そして、私のコメントが載っている。


 活字になった言葉は、書いた時よりも冷たく見えた。


 私は本を閉じた。


 残ったのは写真と、印刷された私の言葉だけだ。


 それで十分なのかは、まだわからない。


 ただ一つだけ確かなのは、あの庭は確かに存在したということだ。


 半年間だけ。


 そして、確かに消えたということだ。


 私は窓の外を見た。


 東京の街が広がっている。


 どこかで、また祝祭が始まっている。


 どこかで、また祝祭が終わっている。


 人々は、集まり、祝い、そして散っていく。


 それが、人間だ。


 私は、次のプロジェクトに取り掛かった。


 今度は、何を作ろうか。


 また、消えるものを作るのか。


 それとも、残るものを作るのか。


 わからない。


 だが、一つだけわかることがある。


 私が作るものは、私のものではない。


 人々のものだ。


 彼らが使い、変え、意味を与える。


 私はただ、素材を提供するだけだ。


 それが、建築家の仕事なのかもしれない。


 砂漠の炎を思い出す。


 竹が燃える音。


 布が燃える匂い。


 灰が舞い上がる光景。


 あれは、美しかったのだろうか。


 それとも、醜かったのだろうか。


 わからない。


 だが、確かなことが一つある。


 あの半年間、人々は祝った。


 笑い、願い、結んだ。


 それは、本物だった。


 儚くても、消えても、本物だった。


 祝祭は、成功したのだ。


 私の意図を超えて。


 私の美学を超えて。


 人々が、作り上げたのだ。


 それで、いい。


 それが、祝祭なのだから。


(終)

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儚き祝祭 木工槍鉋 @itanoma

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