結ばれる願い
開幕から三ヶ月が経った。
私は「結びの庭」を訪れていなかった。日本に戻り、別のプロジェクトに取り掛かっていた。メディアからの取材は断り、SNSも見なかった。
だが、情報は入ってくる。
施主からの報告書。来場者数は予想を上回っている。日本館全体の評価も高い。「結びの庭」は特に若年層に人気だという。
それだけだった。
具体的に何が起きているのか、人々がどう使っているのか、私は知らなかった。知ろうともしなかった。
だが、ある日、同僚が私のデスクに来た。
「見た?」
彼はタブレットを差し出した。
画面には、SNSの投稿が映っていた。ハッシュタグ「#結びの庭」で検索した結果らしい。
スクロールする。
写真が次々と現れる。
竹の構造体の中で、人々が笑っている。子どもが竹にしがみついている。カップルが寄り添っている。老人が座って休んでいる。
想定内だ。
だが、次の写真で手が止まった。
竹に、何か結びつけられている。
布だ。色とりどりの布が、竹の節に結ばれている。赤、青、黄色、緑。風に揺れている。
キャプションを読む。
「願い事を書いて結んできた! #結びの庭 #リヤド万博」
願い事?
次の写真。また布が結ばれている。今度は白い布に、アラビア語で何か書かれている。
その次。リボンが結ばれている。
その次。紙が結ばれている。
その次。造花が結ばれている。
スクロールを続ける。
竹の構造体は、もはや私が設計したものではなくなっていた。無数の布、リボン、紙、造花、ビーズ、ストラップ。ありとあらゆるものが結びつけられている。
「いつから?」
私は同僚に聞いた。
「開幕一週間後くらいから、らしい。最初は誰かが一つ結んだだけだったみたい。それを見た他の人が真似して、どんどん増えていった」
「誰が始めたんだ?」
「わからない。でも今じゃ、これが名物になってる」
私はタブレットを返した。
何も言えなかった。
それから二週間後、私はリヤドに飛んだ。
会場に着いたのは午後だった。気温は四十度を超えている。砂漠の太陽が容赦なく照りつける。
日本館に向かう。
遠くから見えた。
竹の構造体が、色とりどりに染まっている。
近づく。
想像以上だった。
数万本の竹に、数え切れないほどのものが結ばれている。布、リボン、紙、造花、ビーズ、ストラップ、ぬいぐるみ、キーホルダー、写真、手紙。
風が吹くと、それらが一斉に揺れる。
音がする。
竹の共鳴音ではない。布が擦れる音、リボンがはためく音、ビーズがぶつかる音。無数の音が混ざり合って、ざわめきを作っている。
私は中に入った。
人々がいる。
若い女性が、赤いリボンを竹に結んでいる。慎重に、丁寧に。結び終わると、手を合わせた。
老人が、白い布に何か書いている。アラビア語だ。書き終わると、竹の高い位置に結ぼうとしている。届かない。隣にいた若者が手伝った。
子どもが、造花を持って走っている。母親が追いかけている。「そこに結びなさい」と言っているようだ。
カップルが、二人で一つの布を結んでいる。青い布だ。結び終わると、キスをした。
私は立ち尽くしていた。
これは、私の設計ではない。
私は「結びの庭」という名前をつけた。竹を組み合わせて、空間を作った。風を通し、光を濾過し、人々を導くように設計した。
だが、「結ぶ」のは空間構造のことだった。
竹と竹を結ぶ。日本と世界を結ぶ。過去と未来を結ぶ。
比喩だった。
なのに、人々は文字通りに「結んで」いる。
願い事を書いて、結ぶ。
誰がそんな使い方を想定しただろうか。
私は竹に近づいた。
結ばれた布を見る。
日本語で書かれたものがあった。
「家族みんなが健康でありますように」
英語のものもあった。
「I hope to find my true love」
アラビア語のものは読めない。だが、きっと同じような願いだろう。
健康、愛、幸福、成功。
普遍的な願い。
私はふと、ある光景を思い出した。
日本の神社。御神木に結ばれたおみくじ。
いや、違う。
中国の願掛けの木。赤い布が無数に結ばれている。
いや、それも違う。
これは、どこの文化でもない。
あるいは、すべての文化だ。
人々は、何かに願いを託したい。形にしたい。結びつけたい。
それが人間だ。
そして、この竹の構造体は、偶然にもその受け皿になった。
「結びの庭」という名前が、誤解を生んだのかもしれない。
いや、誤解ではない。
人々は、この場所を正しく理解したのだ。
私よりも正しく。
私は設計者として、この空間をコントロールしようとした。風の流れ、光の角度、音響効果。すべて計算した。
だが、人々はそれを超えた。
勝手に意味を与え、勝手に使い方を発明し、勝手に変えていった。
私の意図など、関係なかった。
風が吹いた。
無数の布が揺れる。リボンがはためく。ビーズがぶつかる。
ざわめきが大きくなる。
これは、祝祭の音だ。
私が設計した竹の共鳴音ではない。人々が作り出した、予測不可能な音だ。
秩序ではなく、混沌。
計算ではなく、偶然。
それこそが、祝祭なのだ。
私は、わかっていなかった。
祝祭とは、コントロールできないものだ。作り手の意図を超えて、勝手に膨らんでいく。参加者全員が作り手になり、全員が受け手になる。
境界が曖昧になる。
私は建築家として、この場所を「作った」つもりだった。
だが、本当に作ったのは、人々だ。
彼らが布を結び、願いを書き、この空間を変えていった。
私はただ、素材を提供しただけだ。
竹という、結びやすい素材を。
私は笑った。
自分の傲慢さが、滑稽だった。
儚さの美学? 侘び寂びの精神?
そんなものは、どこにもない。
ここにあるのは、色とりどりの布と、人々の願いと、風に揺れる混沌だ。
美しいかどうかは、わからない。
だが、生きている。
この空間は、生きている。
私が去った後も、人々は結び続けるだろう。
開幕から三ヶ月。あと三ヶ月ある。
どれだけの願いが、ここに結ばれるのだろうか。
そして、閉幕後。
これらはすべて、竹とともに燃やされる。
人々の願いが、炎に包まれる。
その光景を想像して、私は息を呑んだ。
残酷だと思った。
だが、それでいいのかもしれない。
祝祭は、終わらなければならない。
願いは、手放さなければならない。
執着を燃やし、灰にする。
それもまた、祝祭の一部なのだ。
私は「結びの庭」を後にした。
人々は、まだ結び続けている。
祝祭は、まだ続いている。
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