祝は口にて呪となる

仁木一青

第1話(完結)

 神前式の空気は、冷たく澄んでいた。


 結婚式といえばチャペルでり行われるものしか知らなかった僕にとって、その古式ゆかしい儀式はひどく新鮮に映った。


 だが、その静寂せいじゃくもここまでだ。


 会場は村の公会堂へ移った。入口をくぐった瞬間、ムッとする熱気が顔に張りついた。畳の匂い、タバコの煙、そして濃厚な香水の匂いが混じりあって、鼻の奥を刺激する。


 テーブルには寿司やオードブルの大皿が、隙間なく並べられている。  

 村人たちは互いのグラスにビールを注ぎ合い、絶え間なく紫煙をくゆらせていた。会場全体が、白くかすんでいる。


 遅れて現れた新郎新婦が、金屏風を背にしつらえられたひな壇に並んで座った。拍手が起こる、はずだった。


「末永く、不幸になれよ!」


 最初の一声は、後方の席から放たれた。マイクごしのしわがれた男の声だ。

 それを皮切りに、マイクは列席者の間を順々にリレーされていく。


「なんて不吉なツラなの! 見ているだけで寿命が縮むわ!」

「地獄の釜の底がお前たちの新居だ! とっとと落ちろ!」

「ああ、めでたくない! 本当にめでたくない!」


 新郎新婦へ向けて吐き出される悪罵あくば。だが、その声色にはどこか芝居がかった陽気さがあった。むしろ祭りのような高揚感すら漂っている。


 僕は新郎である友人から事前に聞かされていた、この村のしきたりを思い出していた。

 この村では、祝いの席――とりわけ結婚式においては、祝辞は禁忌とされている。


 しゅくくちにてじゅとなる 

 言祝ことほげば、神が去り、たちどころにのろわる 

 故に、罵詈ばりをもってよろこびとせよ


 つまり、この村では「おめでとう」という言葉は、「呪い」と同義なのだ。だからこそ、参列者は新郎新婦に向かって、ありったけの罵声を浴びせなければならない。


 僕は湯呑みに口をつけた。ぬるい麦茶が喉を通る。


「次は都会の兄ちゃんの番な」


 目の前に、マイクが突き出された。はっとして顔を上げると赤ら顔の中年男が、ニタニタと笑っていた。酒の匂いが吐き気をもよおすほど濃い。会場中の視線が、いっせいにこちらへ向いた。値踏みするような、どこか嗜虐的しぎゃくてきな視線だ。


「新郎の学生時代のツレだろ? ほら、遠慮はいらねぇ」


 その中年の親族はマイクを僕の手に強引に握らせると、肩をバシバシと叩いた。


「都会の上品な口で、とびっきりの言葉を聞かせてくれよ!」

「気張れよ、インテリ!」


 ドッと沸く会場。マイクはいままでの話者の手汗で湿っていて、ずっしりと重かった。


 あの親族の男に言われるまでもない。新郎の父親から、事前に口を酸っぱくして忠告されていた。いや、違うな。警告だ。


「ちゃんと言わねえと、お前の家族がどうなっても知らんからな」


 と、式の前に連れこまれた小部屋でにらまれながら釘をさされていた。


 僕はゆっくりと立ち上がった。

 膝の裏がこわばっている。ひな壇に座る新郎をちらりとうかがう。新郎がわずかに顎をひいたような気がした。視線は合わなかった。


 僕はマイクのスイッチが入っていることを確認し、大きく息を吸いこんだ。


「……ご指名、承りました」


 声が、スピーカーを通して会場に響く。ざわめきが止まった。全員が、僕の口から飛び出すであろう「罵詈雑言」を期待して耳を澄ませている。誰も箸を動かさない。


「――くん、――さん」


 緊張で口の中が乾いている。舌が上顎に貼りついたような感覚だ。


 会場中の注目を集めていることを意識しながら、息を吐く。


「……ご結婚、本当におめでとうございます」


 空気が、凍った。

 次の瞬間、まるで毒液を撒き散らされたように悲鳴がわき起こった。会場にいた年寄りの幾人かがバタバタと倒れるのが目に入った。


「てめえ、何言いやがる!」


 さきほどの親族が飛びかかってきた。椅子が倒れ、卓上の料理が撒き散らされた。マイクを奪い取ろうと伸ばされた太い腕には、びっしりと入れ墨が入っている。


 僕はあわてず男の耳元に口を寄せ、マイクを通さずにはっきりとささやいた。


「心より、ご多幸をお祈り申し上げます」

「あ……が……?」


 男の動きが、ぴたりと止まった。彼の目が大きく見開かれる。

 次の瞬間、彼は喉をかきむしり、白目をむいて無様に崩れ落ちた。ドスン、という鈍い音。ビクン、ビクンと身体を痙攣けいれんさせ、口からはカニのように白い泡を吹いている。


 効果覿面こうかてきめん

 まさに、「しゅくくちにてじゅとなる」、だ。


 禁忌の食材を誤って喉に通した信徒のごとく、もだえ苦しんでいる男を見下ろした。喉の奥から絞り出されるような、ひゅうひゅうという呼吸音が絶対に演技ではないことをしめしていた。


 新郎の話によれば村の住人は、全員がすねに傷を持つ犯罪者だという。


 彼らが祝い言葉を避けるのは、単に警察や敵対組織に見つかることを恐れてのゲン担ぎなどという生易しい理由ではなかった。

 これは江戸の昔から、この村の血に深く刻みこまれたごうなのだ。


 目立てば、殺される。

 まぶしい光を浴びれば、影は焼き尽くされる。


 光を避け、祝いを忌み嫌い続けた結果、彼らの肉体は変質してしまったのだ。


 特に祝いの席でまぶしい言葉を浴びせられると、身体がそれを猛毒と誤認し、過剰な拒絶反応を引き起こして自壊する。

 裏稼業が繁盛し、罪が重くなればなるほど、その反応は劇的なものとなった。


「ひいぃっ!?」

「やめろ、聞きたくない!」


 男の無様な姿を見て、周囲から悲鳴が上がった。椅子が倒れ、皿が割れ、酒瓶が転がる。村人たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。阿鼻叫喚の地獄絵図。


 これこそが、僕が新郎と約束した本当の披露宴の幕開けだった。


 泡を吹く男をまたいで村人たちを眺めた。まだまだ祝い足りない人がたくさんいる。僕は次なる標的を見すえた。


 テーブルの下へ逃げこもうとしたが、腰が抜けたのか、無様に這いつくばっている中年女性。派手な柄の着物を着ている。ふくよかでいかにも人のよさそうな風貌だ。


 彼女は僕が近づくと、ひきつった愛想笑いを浮かべながら後ずさった。


「ひっ、ひぃ! や、やめてちょうだい……あたしは関係ないわ。ただの慈善活動家よ……」

「ええ、すべて知っていますよ」


 この女は東南アジアで孤児院を運営していると偽り、各国の愛好家へ子供を売り飛ばしている元締めだ。


「姉妹セットの方が高く売れるから」


 と、顔の似た他人同士を無理やり姉妹に仕立て上げているのだとか。そんなビジネスの秘訣ひけつを、式の前に彼女は得意顔で話してくれた。


 僕は女の震える肩に、優しく手を置いた。


「商売繁盛、心よりおよろこび申し上げます」

「あ、あ、あああ……ッ!!」


 彼女は絶叫し、自身の顔中をかきむしった。爪が皮膚に食いこむ。自分の頬を爪で引き裂きながら白目をむいてのたうち回った。


 僕は畳の上を歩き、一人ずつ、祝言を告げてまわった。


 認知症の老人ばかりを狙ったオレオレ詐欺のグループを束ねるリーダーには、「ご繁栄を心よりお祝いします」と言った。


 難病に苦しむ患者やその家族を言葉巧みに洗脳する、霊感商法の偽坊主。彼の前で合掌し、「ご健勝をお祈りいたします」と頭を下げた。


 劣悪な環境で犬猫を繁殖させ、病気になれば山に遺棄する悪徳ブリーダー。彼女には「ますますのご隆盛を」と笑顔で祝った。


 一人、また一人と、床に倒れていく。


 十分ほどで室内に立っているのは、僕だけになった。犯罪のノウハウを共有し、人・モノ・カネを融通しあう犯罪村の村人たちは、ぐったりと横たわるばかりとなった。うめき声だけが、低く会場に響いている。


 残念ながら、本当に残念なことに、この村のことを教えてくれた新郎も村人といっしょに倒れていた。


「親友だからって遠慮はいらん。それが、この村に生まれた俺のけじめだ」


 式の前に真剣な顔で僕に言っていたのを思い出した。

 

 彼はひな壇から転げ落ち、金屏風に寄りかかるようにしてぴくりとも動かない。

 僕は村の真実を明かしてくれた彼の良心に、心のうちで感謝を捧げた。


 公会堂を出ようとした時、背後でパチパチという音がした。


 倒れ伏した誰かの手から落ちたタバコの火種が、座布団に燃え移っていたようだ。小さな炎が、瞬く間に大きくなって畳へと走った。建物全体が炎に包まれるのも時間の問題だろう。


「……幸せになれよ、来世では」


 僕はそうつぶやいて、会堂の扉を開けた。

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