第一章 黄金の聖女④
大広間で一斉処刑が行われている頃、バルナスは王宮の西外れに位置する離宮にいた。
彼はアレクシス王子が成人と同時に総司令に就任する前から第一軍団長を務める叩き上げの軍人で、王子の信頼の最も厚い将軍であった。だからこそ、少数の別働隊を率いて特別な任務を与えられていたのである。
その使命とは、聖女捕捉。
聖女アウレリアは王の養女で、王族の血は受け継いでいないが、セラ教の教義的には重要な意味を持つ「黄金の聖女」である。開戦の口実として王女への求婚という体裁を取っただけでなく、後々聖女として旧西領支配に利用することも可能だろう。逆に言えば、西セルディア再興の旗頭にでもされれば実に厄介なことになる。
本人の資質はともかく、その存在自体に多重の意味を持つ聖女を野放しにするわけにもいかないため、こうして重鎮の将軍バルナス自ら捕捉に向かったのだった。
しかし、
(――妙だ)
バルナスの違和感は離宮の敷地に入る前から起きていた。
このたびのセラーナ王宮攻略は、内通者たちの協力により包囲すらしないうちに完遂した。すなわち、他の内部の人間に籠城や逃亡の暇すら与えていないのである。
にも関わらず、この離宮には人の気配が全くなかった。本来なら伝説の聖女の住まいに使用人の一人もいないなどということはありえない。東軍が侵入する前に全員退避しているとは考えにくかった。
「どういうことだ? ここは聖女離宮ではないのか?」
場所を間違えたという方がまだ信憑性がある。王宮内部地図は内通者からの提供であるため、取り違えや誤情報の可能性もあった。
探索の範囲を広げるべきかとバルナスが考え始めていると、部下が中庭方面から声を上げた。
「バルナス将軍! ここに食事の形跡が!」
その声にバルナスが足早に向かうと、中庭の東屋に食べかけの軽食が残されているのを発見した。
「まだ新しいもののようです。少なくとも今日の昼頃まではここに誰かがいたのではないでしょうか」
「だろうな」
バルナスはうなずき、卓上を見下ろした。
小ぶりのパンに硬いチーズ、漬けたオリーブの実が少し。少食な女子供向けの量に、貴人用の銀食器。これが聖女の痕跡なのは間違いなさそうだった。
となれば、さらに疑問が残る。
(――なぜ、護衛の一人もおらんのだ)
事前にセラーナ王宮で聖女は冷遇されているとは聞いていた。それでも名目上の王女であるなら、複数の護衛兵が詰めていて当然のはずである。それがヴァルクレウスで長年勤める将軍にとっての常識だった。だからこそ、聖女を無傷で手に入れるため、彼のような宿将が派遣されたのだ。護衛兵たちを瞬時に制圧するのに彼ほどの適任はいない。
それなのに、肝心の敵兵が影も形もないのである。
「将軍! これを!」
慌ててバルナスの元に駆け寄ってきた部下は、息を乱したまま手にした布を広げた。
白い絹の長衣に、黄金鳥の刺繍。
教会の壁画で彼らも何度も目にしたことのあるそれは、伝説上の「黄金の聖女」の衣装であった。
それが離宮に脱ぎ捨てられていたということは――
「しまった! 一足遅かったか!」
バルナスは苦々しく叫ぶよりなかった。
バルナスらが離宮に到着する数時間前、元聖女護衛騎士マクシムは息子に最後の任務を命じた。
「城は恐らく包囲される間もなく陥ちるだろう。内通者が手引きをするはずだ。もはや時間がない。敵兵に見つからんよう、おまえがよく気をつけるのだぞ」
アウレリアには目立たないよう、聖女衣装から市井の普段着に着替えさせ、腰まで届く豊かな黄金の髪を無造作に布で覆い、フードを目深にかぶらせている。ユリウスも同様に騎士の上衣を脱ぎ、平服と古びたマントを羽織った。
細かな変装は後にして、ひとまず目立たない程度の偽装を済ませて彼らは慌ただしく離宮を出ることになった。
「アウレリア様、どうかご無事で」
マクシムがそう声をかけると、アウレリアは不安げな瞳で見上げた。
「マクシムは一緒じゃないの?」
彼女にとって、マクシムは八年間毎日そばにいてくれた、養父よりも親しい唯一の大人だった。すでに護衛職から離れたとはいえ、今はそばにいてほしい。そんな彼女の願いは痛いほどわかっていたが、マクシムは首を左右に振った。
うつむくアウレリアの代わりに口を開いたのは、息子のユリウスだった。
「父上は……これからどうするのですか」
「私はこれでも長年王家に仕えた身だ。国と命運をともにする。東軍の奴らに最後くらい一泡吹かせてやるつもりだ」
そう告げる黒い瞳は決して揺るがない。彼の決意に嘘がないことを、アウレリアはその黄金の瞳で嫌でも理解してしまった。
「マクシム……」
これが最後の別れとなるかもしれないのに、何と声をかけて良いかもわからない。小さく肩を震わせて呼びかけた時、遠くから馬蹄の音が響いてくるのが聞こえた。
もはや一刻の猶予もない。そのことを三人は同時に理解した。
「急ぎましょう、アウレリア様。――父上、ご武運を」
それだけ告げると、ユリウスはアウレリアの手を引いて駆け出し、二度と振り返ることはなかった。
アウレリアの周囲から使用人や護衛兵が姿を消していたのは、すべてマクシムの手引きであった。ぎりぎりまで王宮は東軍の侵攻に気づいていなかったとはいえ、ここ数日は砦の陥落の報が次々に舞い込み、さすがに宮中も大騒ぎになっている。
もともと関心の低い聖女周辺への注意がそれた隙に、マクシムは使用人たちに小金を握らせて離宮から退避させ、他の護衛兵にも王命を偽装して守備隊に回らせていた。
こうしてアウレリアのそばにはユリウス一人だけが残り、彼が本宮の調理場から食事を運ぶなど最低限の聖女離宮維持に努めていたのである。
そしてついに王宮は陥ち、敵軍が一斉に入城してきた。
ここまではマクシムの読み通りであった。だが、
(……まさか、抗戦も処刑もない……?)
彼は最後の一兵となっても東軍と剣を交えて討死する覚悟であった。しかし征服者である東の王子は、「弑逆者」である王弟派一族全員を即刻処刑したものの、他の廷臣や使用人たちには一筋の傷もつけなかった。武装解除はされたものの、誰一人縛られすらしない。各部屋に軟禁されただけで放置されていた。
とはいえ、戦後の占領支配で廷臣たちが尋問を受けることは間違いないだろう。その際に、自分の経歴も知られる可能性が高い。
「――聖女が逃げたぞ!」
軟禁された室内のマクシムにも、兵士たちが騒ぎ立てている声が届いた。息子がうまくやったことで安堵したのも束の間、さらに問題が起きたことを彼は察した。
どうやら東軍は聖女捜索隊を派遣する様子である。となれば、行き先を知る者を内部から炙り出そうとするだろう。彼が元護衛騎士で、現在聖女と逃亡中の騎士の実父であると知られたら――
たとえ拷問がなくとも、逆に人質とされてユリウスたちの足枷になるかもしれない。
本来は命を捨てて戦う覚悟だったマクシムは、今はかえって生き延びる必要が出てきてしまった。捕らえた文官への監視が緩いことを利用して、彼は夜が更けてから密かに王宮を抜け出した。
セラーナ王宮が古代のままの建築様式を維持し、壁や塀の低い造りだったことが皮肉にもアウレリアたちに幸いした。
マクシムとユリウスの手でアウレリアに離宮の外壁を越えさせ、マクシムと別れてからは人目につきにくい外苑の垣根に隠れながら進むと、ついに彼らは王宮の外へ出た。
すでに日は傾き始めている。禍々しいほど赤い西日が空を染め、王宮に長い影を落としていた。
「あれが……王宮なのね……」
街道から外れた小さな丘に佇み、アウレリアはかすかにつぶやいた。
彼女は五歳で王宮に連れられてきてから、一度も外に出たことがない。散歩や最低限の乗馬練習は離宮内の中庭で行われ、外苑に出ることすら許されなかった。
だからこそ、こんな事態になって初めて王宮の外観を目にする彼女の姿に、ユリウスは胸が痛むのを感じずにはいられなかったのだ。
「ねえ、ユリウス。旗が違うわ……」
アウレリアが指差す方向をユリウスは見た。
王宮の四方に建つ塔の上、これまでは西セルディアの白地に黄金鳥をあしらった伝統の旗が翻り、それを離宮の中庭から毎日彼女は眺めて暮らしていた。しかし今、その塔には薔薇と月桂樹を金で縁取ったヴァルクレウスの紅旗が掲げられていたのである。
それは旗の色が表すように、この国が西から東へ主を変えたことを誇示していた。
「――行きましょう、アウレリア様」
主を促し、ユリウスは王宮に背を向けた。
西セルディア王国滅亡の重みを、その肩に感じながら。
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