第一章 黄金の聖女③

 今より三年前、西セルディア王国は大規模な疫病に見舞われた。

 東のヴァルクレウスよりも医療技術が遅れていたこともあり、西セルディアは蔓延に歯止めがきかず、とりわけ王都セラーナの人口は大いに減少した。病は貴賤を問わず平等に広まり、西セルディアの王族も例外ではなかった。

 これにより、王妃、王子、王女、王弟と王弟妃のすべてが命を落としたのである。王宮に暮らす王族のうち、残ったのは国王、王弟の遺児ヘリオス、王族の血を引かぬ養女アウレリアのみであった。

 こうなれば次期王位継承者は王甥のヘリオスしか選択肢はないと誰もが思った。さらに、国王よりも王弟の方がかねてより評判も良く、王子時代から兄よりも王にふさわしいと言われてきたことが、ますますヘリオスへの期待を高めたのである。

「王太子には是非ヘリオス殿下を」

 その声は日を追うごとに増え、かえって王の不安と猜疑心を煽ることとなった。無論、妻子をすべて失ったことにより王が変質していた可能性も否めない。そしてその変化はヘリオス待望論が持ち上がるほどに加速していった。

 セルディアでは古来より十六歳で成人するまで正式に立太子することはできないとされている。そのため、ヘリオスが成人する前に、国王は遠縁の王族男子を養子に迎えて継承者とするよう画策を始めたのだった。

「――国王陛下のヘリオス殿下に対する仕打ち、あまりに無体だとは思いませんか?」

 亡き王弟をいまだ支持する派閥に対し、そうささやいて接触を図ってきたのは東からの使者だった。

 ヴァルクレウスの第一王子アレクシスもまた継承問題を抱えており、東西で協力してともに王国を手に入れようと持ちかけてきたのである。この誘いに王弟派は喜んで応じた。何度も密かに協議を重ね、ついに発動したのがヴァルクレウスによる西セルディア侵攻であった。

 こうして東西セルディアの密約による王位継承計画は実を結ぼうとしていた。

 西の王は彼ら王弟派貴族たちの手で「退位」させられ、王宮の城門は手筈通り内側から開放されたのである。

 自ら一滴の血も流すことなく、東の王子は精鋭兵を従え正面から堂々と入城した。

 セラーナ王宮は統一王朝時代から千年近く聖都の要として君臨してきた。何度も修繕や改築はされていても、建築様式自体が古い。伝統を守るという意識が強すぎたため、開放的な出入り口に低い壁や塀、本宮への接続しやすさなど、とても防衛に向いているとは言えない構造であった。たとえ籠城されたところで数日で陥せただろうと、アレクシス王子は古びた王宮に冷たい一瞥をくれた。

 征服者として入城してきた敵将を恭しく出迎えたのは、つい先ほどまで西の王に仕えていた廷臣たちだった。彼らこそが東軍と結託し、このたびの征服劇を御膳立てした黒幕なのだ。

 彼らが同盟者である王子の前に進み出ようとする前に、その王子は隣に控える将軍に一言命じた。

「バルナス、行け」

「は!」

 王子の右腕たる宿将は、短く答えると小隊を率いて素早く離宮方面へと駆け去った。その様を呆然と見送っていた西の廷臣たちは、訝しげな声を上げた。

「あの、王宮内でしたら我らがご案内いたしますが……」

「その必要はない。それで、何の用だ」

 彼らの申し出をにべもなく遮断して、王子は冷たく問い質す。腹の底までずしりと重く響くような威圧感に怯えながらも、彼らは手にしていた素焼きの大甕を王子の前に差し出した。

「これは我らからの恭順の証にございます。どうかお納めいただきますよう」

 王子の眉間に刻まれた皺がいっそう深くなった。わざわざ見る必要もないほど、その中身は明白であった。甕の底から滲み出した雫が、回廊の大理石の床を赤黒く染めていたのである。

 眉をしかめながらも仕方なく甕の中を見やると、王子はさらに不快感を増大させた。

「……これは何だ」

 その凍てつくような声音に肝を冷やしたのは、西の廷臣よりも東の兵たちの方であった。

「む、無論、西セルディア王の首にてございます! どうかご検分のほどを――」

 廷臣たちは主の首を渡すと一斉に頭を下げた。――ただし、平伏ではなく起立のまま。それは彼らが征服された敗者ではなく、対等な同盟者であるという自負の表れである。

 王子はこれ以上の会話を許さず、彼らに短く命じた。

「大広間にこのたびの功績者を全員集めさせろ。これより褒賞を下賜する」

 その言葉に廷臣たちは喜びの声を上げ、王の首を回廊に置き去りにしたまま軽やかな足取りで大広間へ向かっていった。

 その背を見送ることすらせず、王子は吐き捨てるようにつぶやいた。

「……蛮人どもめ」

 王子の怒りは当然のことであった。

 そもそも入城してきた征服者を呼び止め、回廊の中央で立ったまま首実検をさせるなど、聞いたこともない。よほど焦ってまともな準備もしていなかったのだろうが、その入れ物すら素焼きの大甕とは非常識にも程がある。一国の王、しかも自国の君主の首ならば本来は礼節を重んじ、白布に包んで銀盆に載せるか、厳重に封をした木箱に納めるのが古来よりの習わしなのだ。

 しかも――

「何と……これでは検分もできませぬな」

 王子の側に控える将官が、甕の中を覗き込んで溜息をついた。そこに入っていたのは人間のものかどうかも判別できないほど無惨に損傷した首級であった。

 憎しみや怒りで激しく傷つけたわけではない。ただ、生まれてから一度もまともに刃物を持ったことのない柔弱な貴族たちが、無理やり首を切り離そうとした結果、ただの肉塊と成り果ててしまったのだ。

 一振りで首を落とせる者ばかりの東軍精鋭たちにとって、あまりに無様で見るに堪えない醜態だった。

「まあいい、すぐに終わる」

 黒いマントを翻し、王子は眉間に深い皺を寄せたまま、中央の大広間へと向かった。



 セラーナ王宮の中央に位置する大広間は、千年近く様々な会議が行われてきた由緒正しき議場である。神の恵みである陽光を多く取り入れるために窓も広く、白い円筒形の柱には古代装飾が浮き彫りにされている。

 その大広間に、このたびの「功績者」たるヘリオス擁立派貴族たちは喜び勇んで集まってきていた。

 一度も武器を取ったことのない根っからの貴族である彼らが初めて人を手にかけ、しかもそれが自国の王ともなると、非日常感と高揚感に心身を侵され、まともな判断力など欠片も残っていなかった。だからこそ、こうして全員召集されても何の疑問も持たなかったのである。

 王の「退位」に参加したすべての者たちが大広間に集合すると、召集者の王子は片手を上げて合図した。すると、出入り口を警護していた兵士たちがただちに扉を閉めて内側から閂をかけた。

 突如、広間を密閉され、旧廷臣たちは顔を見合わせた。中には不安げな表情を見せる者もいる。

 国王打倒の達成感に酔いしれていなければ、もっと早くに気づけたかもしれない。日中は開け放たれて神の陽光に満たされているはずの広間が、今は全窓の鎧戸を固く閉ざし、灯火のゆらめきだけが照らし出しているという事実に。

「これよりおまえたちに判決を言い渡す」

 そう切り出したのは、王子の隣に立つ高位の将官と思しき男だった。不機嫌そうに口を閉ざした王子の代わりに、将官はさらに続ける。

「こたびの西セルディア王崩御は一部廷臣たちによる弑逆であり、国家に対する大罪を我が国としては看過すること叶わぬ。ヴァルクレウス王国軍総司令アレクシス・レオニス・ヴァルクレウスの名において、ここに友好国の叛徒どもを討ち、亡き王に代わって国に安寧をもたらすことを宣言する」

 何を言われているのか理解できぬとばかりに、旧廷臣たちは大いにうろたえた。しかし慌てふためく彼らを無視して、非情な宣言は下される。

「国王弑逆の大罪人は計画、幇助、実行犯そのすべてを斬首。また三親等内の男子すべても同罪と見なす」

「な……っ、なぜそのような……!?」

「馬鹿な! 弑逆などではない!」

「お待ちください! 我々はあなた方に協力して――」

 旧廷臣たちは青ざめて口々に騒ぎ立てる。しかし王子は眉一つ動かさず、冷たく短い一言だけを告げた。

「――やれ」

 その合図と同時に、広間の柱の陰に控えていた兵士たちが一斉に動いた。悲鳴を上げる暇すら与えぬほど迅速に、ただ一振りで次々に命令を実行していく。

 瞬く間にすべての首が落とされるのを見届けると、総司令たる王子は無言で凄惨な現場を後にした。

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