第4話 ハーネス
「皆、お待ちどうさま。おあがりよ」
ソレスティアギルドの食堂に、勇希の声が響いた。
ヘルマンモス討伐の後、素材の査定が終わると同時に、彼は解体担当に頭を下げて肉を少し分けてもらっていたのだ。
そして勇希が腕をふるって仕上げた料理――どーんと皿に乗せられたのは、ヘルマンモスのカツサンドを熱したフライパンで豪快に押し焼きした「ヘルマンモス・パニーニ」。
「あと、これは付け合わせ。料理同士の味の足し算と引き算はちゃんとしてるから、パニーニとも合うはず。
皆が歓喜したのは、その付け合わせ――具沢山の味噌汁だった。
この世界には“味噌”という調味料が存在しない。
新は湯気の立つ味噌汁を一口飲んだ瞬間、肩を震わせ、次の瞬間――嗚咽をこらえきれずに泣いた。
「ゆ、勇希……いや、勇希さん……ありがとう……うまい。うまいよ……!」
「勇希の料理スキルこそ、この世界じゃ最強の能力だよなぁ。胃袋掴んでくの強すぎるでしょ」
「まったくだ。味噌汁おかわりある?」
俺と衛も夢中で食べた。勇希の飯は、異世界に来て以来で一番“帰ってきた”気持ちにさせてくれる。
勇希は味噌汁をよそいながら、ふと呟いた。
「…あと、明日スコップ返しに行く時、お詫びのパニーニも差し入れしようかなって」
そう、前回ヘルマンモスに遭遇した際、猟師の家に立てかけてあったスコップを勝手に借りてボロボロにしてしまったのだ。
流石にお詫びは必須だ。
もう日は沈んでいる。謝りに行くのは明日だ。
――その夜、ギルド宿舎。
俺は寝台で横になりながら、月明かりだけを頼りに文庫本「ソクラテスの問い」を読んでいた。
(ソクラテス式問答法)
――自分に問い続け、自問自答を繰り返し、核心へ近づく手法。
今日の違和感を当てはめてみる。
【なぜ違和感を感じた?】
→ヘルマンモスを倒せてしまった。
【根拠と前提は?】
→ヘルマンモスは本来、レベル35以上の冒険者が数人がかりでやっと倒せるボス。
俺たちは転移直後の多分レベル1。そして新先輩もレベル30で、本来なら戦闘すら成立しない。
【仮説は?】
→“この世界のレベルは飾りに過ぎないのでは?”
自分の考えを、バグってステータス表示はできないウィンドウの“メモ帳機能”へ殴り書きしていく。
なんか、こういう思考法……父さんに似てるな。
「……考えても答えは出ないか」
釈然としないまま、眠りに落ちた。
──翌朝。
夜明け前の空気は、思った以上に冷たかった。
森の奥から漂ってくる土と樹皮の匂い、まだ湿り気を含んだ苔の香りが鼻をくすぐる。
鳥の声がぽつぽつと響き始める中、俺たちは黙って歩いていた。
「……ほんとに、怒られないかな」
勇希が小さく呟く。
いつもの柔らかい声なのに、どこか硬い。
「怒られるだろ。スコップは完全に壊したしな」
衛が苦笑するが、目は笑っていない。
「まあ、正直に謝るしかないだろ」
俺はそう言いながら、胸元の本――『ソクラテスの問い』に一瞬だけ視線を落とした。
昨日、確かに“守られた”感触があった。
それを、まだ言葉にできずにいる。
やがて、木立の向こうに小屋が見えてきた。
丸太を組んだだけの簡素な建物。煙突からは細い煙が上がり、薪の匂いが風に乗って漂ってくる。
生活の匂いだ。
小屋の前に立っていたのは、金髪の初老の男だった。
朝の光を背に、腕を組んでこちらを見下ろしている。
「遅かったな。昨日のヘルマンモス倒したやつらだろ?」
低く、よく通る声。
威圧しているわけでもないのに、背筋が自然と伸びる。
年はそれなりにいっているはずなのに、背は高く、体つきは岩のように締まっている。
森に溶け込むような佇まい。
――ただ者じゃない。
その背後で、きらりと光が揺れた。
「ほらね、ハーネス。言ったでしょ? ちゃんと謝りに来るって」
ひらり、と宙を舞ったのは、小さな妖精だった。
人差し指ほどの体に、透き通る羽。
朝露を集めたみたいに、きらきらしている。
「……妖精!? この世界、ほんとに何でもアリだな……」
思わず声が漏れる。
「引っ込んでろ、クラウディア」
「はーい」
妖精――クラウディアは、あっさりと空気に溶けるように姿を消した。
ハーネスは俺たちを一瞥し、口元をわずかに歪める。
「……いいか。お前たちはスコップを壊した“罰”で、ここで働いてもらう。『ということにする』」
その言い回しが、妙に引っかかった。
「……“ということにする”?」
思わず問い返す。
ハーネスは一瞬、面倒くさそうに眉を寄せ――次の瞬間、視線を森の奥へ向けた。
「……ああ、もう。最近ほんと多いんだよな。ボスモンスターのお出ましが」
その言葉が終わる前に。
森が、ざわりと鳴った。
重い足音。
枝が折れる音。
地面を踏みしめる、圧倒的な存在感。
漆黒の毛並みを持つ巨体が、木々を押し分けて現れる。
太い腕、鋭い爪。
唸り声が、腹の底に響く。
「……キリングベア」
中級ダンジョンの中ボスクラス。
昨日のヘルマンモスの記憶が、嫌でも蘇る。
「お前ら、よく見ておけ」
ハーネスは、静かに腰のナタを抜いた。
刃は短い。
熊相手には、あまりにも小さい。
「……見取り稽古だ」
「グルルル……!」
キリングベアが咆哮し、地面を蹴る。
一歩で距離が詰まる。
「……引き返すなら今のうちだ。それ以上近づいたら――殺す」
言葉の直後、熊が飛びかかった。
その瞬間。
ハーネスの体から、目に見えない“圧”が溢れ出た。
空気が震え、ナタが淡く光る。
次の刹那――
首が、落ちた。
あまりにも速く、脳が理解する前に結果だけがそこにあった。
巨体が崩れ落ち、地面が揺れる。
俺たちは、声も出なかった。
血を払い、ハーネスがこちらを振り返る。
「……お前らは見込みがある」
淡々とした声。
「『ここで働く“ふり”をしながら、稽古をつけてやる』。あまり目立つと、“ヤツら”に目をつけられるからな」
「ヤツら……?」
思わず食い下がる。
「小屋に入って話すぞ。外で話す内容じゃない」
中へ通され、扉が閉まる。
薪のはぜる音。
土と鉄と油の匂い。
ハーネスは椅子に腰を下ろし、深く息を吐いた。
「……俺は海の向こうの『外界』から来た。この大陸にある“レベル”って概念はな、まやかしだ」
その言葉に、胸が強く鳴る。
「この世界が本来持つ“摂理”。それを、お前たちには教えてやる」
俺たちは、息を呑んだまま頷いた。
この瞬間、はっきり分かった。
昨日までの俺たちは、
“異世界に来ただけの高校生”だった。
――でも、今日からは違う。
この日を境に、
俺たちの異世界冒険は、ようやく“本物”になった。
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