年を越すということ

脳幹 まこと

健康寿命、あるいは生きる気力


 無礼講だと言われた忘年会、一回り下の他部署の後輩に思い切り無礼をされた。当人はあくまでイジる、からかうの範疇だったのだろう。

 パワハラだのアルハラだのモラハラだのと言われるが、それは上からより、下からのほうが多い気がする。わかっている。悪い子じゃない。ただ、ぎこちない男に対し、自分なりにコミュニケーションを取りたかったんだろう。

 モテるだろうなあ、と思ったらやっぱりモテていた。自分とは縁のない種類だ。それを言うと、大半の人は自分と縁がないのだが。


 年を越す。

 若さを失う。惨めになる。死に一歩近づく。


 多様性。選択の自由は増えているはずなのに、結局窮屈さは変わらなかった。

 一人で生きててもいい。特殊な趣味があってもいい。それを公表してもよい。そうしてもなお、耐えしのぐ選択を取る人は少なくない。楽になりたい人は少なくない。


 一人で年齢を重ねると、引きこもりがちになる。体力がなくなったとか、今更感だとか、そういうのもあるんだけれど。

 なんか、自分が外にいる資格っていうのがなくなっていくのを感じる。電車の中、公園、レストラン。対人恐怖、社交不安というやつになるんだろうか。

 追い込まれたとかそういうんじゃない。ただ、自分が外にいて人とすれ違うこと自体が、ひどくわがままな行為に感じられる。


 その原因は大まかに二点だ。


 第一は社会が求める像との乖離。年齢を重ねれば、趣味仲間ができ、パートナーができ、子供ができる。これが求められている。現代は多様性に富んでいる? それはそれとして、歳を取っても外を何の気兼ねもなく出歩くには、そういった実績が必要なのだ。とあるパーティ・ゲームが示す通り、コインだけ沢山持っていても仕方がない。スターを持っている人が勝つ仕組みだ。負けたらどうなるか? 「がんばれ」と言われる立場になる。


 第二は老いに伴う見た目の劣化だ。正確に言えば、その劣化を年齢適応に合わせられない「おじさんが(知識がないせいで)大学生風の恰好をしてしまう」現象、および、それを誰も訂正してくれないし、正誤確認も出来ない現象だ。

 髪の問題なんて、当人以外誰も気にしてない。そんなこと分かってる。髪に限らず多くのつらさが当人の中だけで生まれ循環する誇大妄想だってことくらい。


 そんなこんなで自信がなくなっていく。

 よりどころがなくなっていく。妙なところに自分の肥大したエゴを押しつけるようになる。他人と会話がかみ合わなくなってくる。

 がんばっているはずなのに、がんばれがんばれと言われる。イジられる。


 自分の狭い「中」に居場所を求め始める。

 お酒を飲んだり、ギャンブルに向かう。自分以外に化けたりもする。みんながイベントごとや、家族の出来事を語り合っている間は、ぶつぶつスマホをいじりながら、空白を埋める。

 目的があれば人は外に出られる。しかし、目的が消失すると、意義がなくなるため、引きこもる。

 墓穴に土をかぶせるだけの生活になる。


 夢を見る。

 夢の中で死にたくなってくる。



 健康寿命は「日常的・継続的な医療・介護に依存しないで、自分の心身で生命維持し、自立した生活ができる生存期間」とのことだ。

 

 精神的にもちゃんと維持できないとなかなか苦しい。なんたって平均寿命は長いんだから。

 年を越す。それは結果発表を終えて、次のパーティ・ゲームを始めるということだ。


 がんばろう。

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