神田明神にお参りしてきました(実話)

掬月

神田明神にお参りしてきました(実話)

2025年12月26日、神田明神にお参りしてきました。


鳥居をくぐると長い待機列ができていて、しかし私語はほとんどありませんでした。


冬の東京ですが、息の白い人が居ない気温でした。



私の小説に神田明神の分祠と、その祭神として「マサカド公」を登場させました。


マサカド公、つまり平将門公。


過去、丸の内にある将門公の首塚を移転しようとしたときには、色々と祟りがあったという噂です(将門塚保存会さんが、冷静な検証をなさっているようなので、興味のある方は読んでみてください)

その首塚の周辺のオフィスでは、首塚に背を向けないように席の配置が工夫されているという都市伝説もあります。


そして極めつきは、荒俣宏『帝都大戦』での荒神ぶり。『うっかり』関東大震災を起こしたりしています。


神田明神では『愛され神』の将門公ではありますが、小説に登場させる以上は挨拶したほうがええじゃろうと思ったのです。


なお、現在の神田明神の一ノ宮は大己貴命(いわゆる大黒さま)で、西暦730年の創建当時から祀られているようです。二ノ宮は少彦名命(いわゆる恵比寿さま)で、三ノ宮が平将門命です。


なお、平将門公が亡くなったのは西暦940年の下総国猿島郡(現在の茨城県坂東市周辺)での戦で、そのあと首を京で晒されるところまでは史実のようです。


そして首が腐らずに、体を求めて飛んで、関東に戻ろうとし、武蔵国芝崎村(現在の東京・丸の内)に落下し、村人は丁寧に埋葬し首塚を作ったと伝えられています(なお、平将門公の首塚は、京都と関東の間に幾つか点在するようです)。


そして、神田明神に平将門命が祀られたのは1309年、真教上人によるもので、その2年前に上人は平将門公の供養をしたと伝えられています(疫病が流行っていたときに、その頃にはボロボロだった首塚を上人が修復・供養したところ、疫病が納まったと伝えられています)。


なお、この頃の日本は神仏習合しています。神様と仏様は分離していません。いま、神社とお寺が分かれているのは、明治政府の芋侍が国家神道をでっち上げるためにムリヤリ分離したものです(私の空想小説では、日の本一千年以上の歴史を尊重し、神仏が習合したままという設定にしています)。


私は物理屋で、神仏の存在は否定も肯定もしませんが、鳥居や山門をくぐればその寺社の教えを信じた気になり、教会ではその教会の教えを、モスクならそのモスクの教えを信じた気になります。


つまり、現実世界の寺社では、神仏が分けられていますから、それを前提にして参拝しています。とはいえ、あちこちの熊野さんや八幡さんみたいに、神仏が習合している雰囲気の所も残っているのですけれどもね。


おおっと、歴史解説が長くなりました。

とにかく私は、電車でのんびり上野まで揺られて、そのあと山手線で2駅の秋葉原へ移動し、そこから徒歩で神田明神へお参りしました。


そして、外の鳥居の端っこを礼をしてから通って、内の鳥居の手前にある手水舎で作法に従って手と口を清めて、また鳥居の端っこを礼をしてから通ると、長い列ができていました。


その列に並んで、神社で参拝している人の様子を見ると、他の寺社とはだいぶ様子が違います。

参拝している人が全員、ちゃんと二拝二拍手一拝しているのです。しかも、拍手を鳴らすのが上手な人がやたら多い。

それを見ていたらですね。自分の首に耳当てが掛かっているのが申し訳なくて、耳当てを、小さめのお洒落リュックに仕舞いました。


そして、私は神仏に頭を下げるときは、無相無念であるのが常なので、並びながらお願いをすることにしました。


(私は、自分の小説に、神田明神の分祠と、将門公を登場させました。リスペクトはしたつもりですが、神様がどう思われるかは別の問題です。気に入らなければ大いに祟ってくださって構いませんが、私を祟ってください。私以外をお祟りになるのはどうかやめていただきたく存じます)


さて、そうこうするうちに列も短くなり、私が参拝する番と相成りました。

まずは、賽銭箱に北里柴三郎先生を一枚。これは、願いの叶え賃ではありません。神田明神という文化財を維持するための費用としての心付けです。


そして、まずはキビキビと腰から四十五度の最敬礼で二礼をします。そして、大きく手を広げてからの拍手を二度します。そうしたら、ふつうは手を合わせて願い事ですが、私は手を合わせて無相無念です。それも十秒ほどで切り上げて、キビッと一礼をしました。




さて、参拝が終わったら、遊びの時間です。

帰りに鳥居をくぐるときには端っこを通って神社を振りかえってから礼をします。ただの人間ですから、参道の真ん中を歩けるほど偉くありません。外の鳥居と内の鳥居の間に小さなカフェがあるのを私は見逃しませんでした。私はタバコが大の苦手なのですが、外から見てカフェが禁煙かどうか分かりません。スマフォを取り出して『乙カフェ』で検索すると禁煙のようです(ユーザーレビューなので正しいかどうかは分かりません)。


ドアの引き戸を手際よく静かに開けてサッと店内に入り、早急に静かにドアを閉めると、二人の女性が無言で連携よく作業をしている風です。

私がドアの近くでノンビリしていると、すぐに店員さんが私に気づいてくれたので、指で一人であることを示すと、カウンターを案内されました。


カウンターから見て、コーヒー職人のお姉さんの背後に、たくさんのカップが壁に飾られていて美しかったです。


メニューを見て、注文を決めて待っていると、店員さんが近づいてきたので、私が一言「(注文)大丈夫ですか?」と言うと頷かれたので、ブレンドとピザトーストを頼むと、ピザトーストはもう終わっているそうなので、「どのトーストがまだできますか?」と聞くと(シンプルな)トーストはできる、というので、トーストを頼みました。


ブレンドコーヒーというものは、大きく二つに分かれます。

1・店の顔

2・一番安くて不味いコーヒー

喫茶店に入って、ブレンドを頼むべきかそれ以外を頼むべきか――コレばかりは常に勘頼りです。店の人の仕草や振る舞い、店の内装などの雰囲気から、勘で選びます。


店内はだいぶ混んでいます。就学児童かどうか分からないくらいの子どもが一人騒いでいます。私は『子どもは騒ぐのが仕事』だと思うので、気になりません(余談ですが、公園の子どもの声がうるさいとか、除夜の鐘がうるさいと言われると、日本も変わったなと思います)。


店員さん二人は、主にコーヒーを淹れる人と、それ以外の作業をする人に分かれているようですが、会計はどちらもやっているようでした。手が空いているほうができることを連携してやっているようです。


私は、他のテーブルを軽く眺めました。そして、小さなミルクのステンレスのカップを見つけました。私は店員さんに手を挙げました。すぐに気づいてくれたので「私はブラックなのでミルクは大丈夫です」と告げました。店員さんは礼を言ってくれました。


コーヒーを淹れている人が、ネルに挽いたコーヒー豆(コーヒーを淹れる直前に機械で挽いてくれるようです)を入れて、お湯をサッと回した後、どのくらい蒸らすのかカウントしたところ二十秒より少し長いようでした。


それが何度か繰り返された後に、私の所にブレンドコーヒーがやってきました。

私はまず、コーヒーの香りを嗅ぎました。素敵な香り。この最初の匂いは、コーヒーを口にした後には分からなくなってしまうものです。


コーヒーの香りをかいだ後、コーヒーをちびりといただきました。美味しい。


しばらくすると、トーストと、バター二欠け、多めのジャム(何のジャムかは分かりませんでした)がやってきました。


私は焼きたてのトーストの香りをかぎました。焼きたての発酵食品ならではの香りがしました(普通のパンを普通にトーストした香りです)。


トーストをかじる前にコーヒーを一口丹念に味わって、トーストを一かじりして味わい、そしてバターをトーストに載せました。

ここで、まずはバターだけをかじってみました。美味しいし良い香りです。

次はジャムを載せて、ジャムだけを舐めてみました。美味しい。ストロベリーのようなアプリコットのような、判別はできないけどとにかく美味しかったです。

我ながら不思議なもので、バターナイフから直にジャムやバターを舐めるのは苦手です。一度パンの上に落としてから舐めています。


ジャム、バターというものを直で舐めると、実に濃い純粋な味がします。全部をパンに塗ってしまう、完全な脇役扱いは少し勿体ない気がします。

私は出された物は平らげたい主義なので、どうせ全部食べるのだから、複数の食べ方を楽しみたいと思うのです。


美味しい物を楽しんでいると、時折新しい客が来ます。入り口の引き戸を開けて、ボーッとする人が多いですね。冬だから寒いんじゃ、店も燃料費がかさむじゃろうとは思いますが、まぁ世の中こういうものです。


私はコーヒーもトーストも撮影することなく、ちゃんとゆっくり楽しんだ上で、そろそろ引き上げ時だと思いました。


カウンターに座ったまま、手が空いていたコーヒー担当の女性に「ごちそうさまでした」と声をかけると、レジスターでお会計をするよう誘導されたので、まずはお金を支払いました。そして席に戻って、忘れ物が無いように身支度を調えて、店を出ました。


外食したときに、席でお会計できるかどうか試す遊びが好きです。席でお会計できると、お会計が終わった後にゆっくり身支度を調えることができるので好きです。

身支度を調えた後、離れたレジへ行って、また財布を出して仕舞ってをするのは、少し面倒くさく思います。



しばらく歩いて、こんどは甘酒がウリの茶店(天野屋)に入りました。

入り口にメニュー表があるのでそれを読んで、何を食べるか決めて、中に入れば、私よりずっと年上の年季の入った女将さんが注文を取りに来たので、甘酒と安倍川餅のセットを頼みました。


オーダーすると私の席に会計用のトレイと伝票が置かれたので、千円札を置いてのんびりしていると、先払いの勘定を取りに来たので、私は右手の手のひらを見せて「これでお願いします」と頼むと、お釣りを持ってきてくれました。


店内でゆっくりとメニューを読んでいると、餡蜜のみならず、豆かんがありました。食べたいなと思ったものの、そこまでする腹具合でもなく、次の機会があればお楽しみ、ということにしました。


無料で出てきた熱い焙じ茶を、まずは香りを楽しんだ後に頂きつつ、店内の内装を拝見しながらのんびりしていると、頼んだ物を持ってきてくれました。

私は女将さんに「神田明神さんの参拝客は、みんな二拝二拍手一拝をする、こんな景色は奈良でも京都でも見ない、素晴らしい」と語りかけると(実際はもっと丁寧だけど、過剰ではない程度の言葉です)、女将さんは、神田明神さんは観光客が少ない、地元の人に愛されているので、みんな作法が分かっている、と教えてくれました。私は、ようやっと『拍手を大きく鳴らすのが上手な人が多く居た理由』が分かりました。


私は女将さんに「秋葉原にやってくるオタクの人も明神さんにやってくるのでは、そういう人は礼儀作法をリサーチしてから来るから、礼儀作法はできていそうです」と言ってみました。女将さんは、そういうお客さんも多い、みんないい子だよ、と言うようなことを答えてくれました。


その後は甘酒とお餅タイム。砂糖を入れない、温かい米麹の自然な香りを楽しんでから何口か味わい、そのあと、砂糖と黄粉をまぶしたお餅を、のんびり楽しみました。このお餅は見るからに粉が落ちそうで、鼻先へ持っていくことはしませんでした。テーブルを汚すのぁ、粋じゃないけんのう。このセットには、一切れ(人切れ)でも三切れ(身切れ)でもなく、二切れのたくあんが付属してきました。昔からのお店、しかも神社の茶店となれば矢張り験を担ぐようです。それらを写真に撮影はしませんでした。




私は、目的を達したので、秋葉原駅へ移動して、山手線で上野へ移動して、上野からのんびり電車の座席に座りながら考えました。

古き良き日本が、神田明神には残っているし、二十二世紀の情報化された日本でも、神社での二拝二拍手一拝の作法は残るんじゃないか、むしろ、ネットでマナーを調べてから来る人の割合は増えるんじゃないか、と夢想しました。


そうそう、帰りの電車に乗った瞬間、私は耳当てをしていない、どこで無くしただろう、と思ったのですが、その次の瞬間に、カバンに入れたことを思い出しました。

地元でご飯を食べに行って、耳当てを店に忘れて取りに帰ることがよくある粗忽な私が、今回は耳当てを忘れなかったのは、明神さんの待機列で、耳当てを鞄にしまったからだな、と思うと、それだけで有り難い気持ちになりました。


佳き参拝でした。


(終)

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神田明神にお参りしてきました(実話) 掬月 @kikugetsu

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