ナーニャとシェリル
真白透夜@山羊座文学
ある日のナーニャ
ナーニャは日の出と共に目を覚まし、白髪を軽くブラシでとかしてまとめ、ちゃっちゃと身支度をすると、自分しか住んでいない割に大きな家の各部屋を回り、掃除機をかけた。部屋中の窓を開けて新鮮な空気を取り込むと、次は朝食づくりだ。パンを焼き、スクランブルエッグをつくり、鶏肉と刻んだ野菜と水を鍋に入れて塩コショウで味を整えて煮込んだ。出来上がったら、トレイに乗せて席に着き、いつも通りお祈りをした。友人のシェリルがつくってくれたりんごジャムをぬり、ひとかじりすると、りんごのさわやかなすっぱさが鼻から抜け、ジャムの甘みが口に広がった。シェリルは学生時代から料理が好きで、特にジャムづくりは季節の果物から野菜にまで至った。
学生時代のとある休日、ナーニャはシェリルの艶やかな髪をといていた。ブラシの隙間から太陽の光のような髪が流れる。
「ナーニャ、私、ラルフのことが好きなの」
え、っと言ってナーニャは手を止めた。
「そうなのね」
「これから二人で図書館に行くことになったから、告白しようと思って」
「そう、うまくいくといいわね」
「この間、クッキーとジャムをプレゼントしたの。喜んでくれたからまんざらでもないと思うけど、ラルフはモテるからライバルも多くて……。ダメでも笑わないでね」
シェリルは告白の緊張を全く感じさせない笑顔を鏡越しに見せた。
「笑うもんですか。その時は、家中の小麦粉を使ってクッキーを焼いて、失恋パーティーをしましょう」
「楽しそうね! 付き合えても付き合えなくても、パーティーはしたいな」
シェリルが急に振り向いたので、編みかけの三つ編みは解けてしまった。
次は洗濯だが、今日はよく晴れていたのでナーニャはシーツも洗うことにした。洗濯機を回している最中に、裏の畑に行き、シェリルにあげるためのトマトを収穫してかごに入れた。去年のトマトはカラスにやられてしまったが、今年は無事だった。
洗濯が終ると、洗濯物をかごに移し、物干し場に運んだ。二人でよく歌った歌を口ずさみながら干していく。最後にシーツを干し終わったとき、真っ白なシーツの向こう側に三つ編みの少女が現れた。
「ねぇナーニャ、今度ラルフとハイキングに行くんだけど、一緒に行かない?」
ナーニャは母を亡くし、家事や幼い弟たちの面倒をみなくてはならなかった。シェリルはまるでナーニャの姉妹のようにナーニャの家庭のことを手伝っていた。シーツの香りとシェリルの歌が庭いっぱいに広がる。
「……私が行ったらお邪魔じゃないかしら」
「まさか! ナーニャがいるからもっと楽しくなるのよ。天気はいいみたいなの。きっとすごくいい景色が見れるわよ」
ハイキングはもちろん楽しそうに思えた。いや、どんな時だってシェリルがそばにいると元気になれた。
「じゃあ、行こうかな。サンドイッチをつくっていくね」
「ああ、楽しみ! 私はクッキーをつくっていくわ。うんと甘くしたチョコ入りのクッキーで。ラルフはチョコクッキーが一番好きなのよ」
図書館の告白は成功し、大人になった二人は結婚し、三人の子をもうけた。そして戦争が始まり、ラルフは戦争に行き、それから帰って来なかった。
ナーニャはシェリルと共に子どもたちを育てた。今日も洗濯をする。シーツを挟んで、二人は常にお互いの影を感じていた。
「ナーニャ……私たちのせいで結婚をしないんじゃないの?」
シェリルは深刻な顔つきでナーニャに話しかけた。シェリルのそんな表情は、これが最初で最後だった。
「まさか、違うわよ。いい人に巡り合えてないだけ。そんな人が現れたら、なりふり構わずさっさと行くわよ」
そう、と言って、シェリルはほほえみ、それ以上何も言わなかった。ナーニャは、シェリルに嘘をつかないと決めていた。本当の気持ちを言わない、ということはあるけれども。
玄関の呼び鈴が鳴った。訪ねてきたのはシェリルの娘、エナ。
「ナーニャママ、今から買い物に行くけど、お遣いある? それとも一緒に行く?」
「そうだねぇ、今日は久々に私も行こうか。それと、トマト。持っておゆき」
「わあ! 立派なトマト! よくカラスから守ったわね」
「お前たちにあげる大切なトマトなんだから、何度もほうきでカラスと格闘したさ」
「トマトジャムに生まれ変わったら、持ってくるね」
そう言って笑うエナは、あの頃のシェリルにそっくりだ。
ナーニャは出かける支度のために、いそいそと家の奥に引っ込んだ。今日はどのスカーフにしよう。新婚旅行のお土産にもらったやつにしようか。シェリルの髪を撫でた頃よりもずっと皺が増えた手で、スカーフを手にとった。
了
ナーニャとシェリル 真白透夜@山羊座文学 @katokaikou
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